ダン・ダゴスティーノ インタビュー (1994年3月頃) | 禁断のKRELL

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SS誌 №114にダン・ダゴスティーノ 7ページのロング・インタビューが掲載されています。



ダンは大学卒業後、デイトン・ライト、ゲイル、グレート・ホワイト・ホエール社を経て、
「自分で何かを始めるつもりだ」 と決めて、8ヶ月間地下室にこもり、
自分がいままで追求してきたクラスAで電流供給能力の高いパワーアンプの
開発に取り組んだのでした。やがて完成したアンプはシャーシに入っておらず、
平らな金属板の上に部品を並べただけのものでした。これがのちのクレルの、
KSA-100の原型になったものです。78年の春の事です。



79年の秋に最初のKSA-100の試作機が組み上がりました。
この時私は働いていなかったので収入はゼロでした。
妻のロンディーがミッチェル・コッター社からもらった給料を全部つぎこんで
くれたのです。ミッチェル・コッター氏は自分が支払った給料でクレルが
誕生したとは思ってもいないでしょうけれど。


CSEでのクレルのデビューは成功し、価格が2200$(安い!)の
KSA-100ですが、予想外にも50台の注文がありました。
工場に戻ると、ロンディーと週に8台を目標に作り始めました。
ロンディーが組み立て、私がテストして、ふたりで段ボール箱に詰め、
それから車に積んでお店に配達したのです。


クレルのスタートは、ダンとロンディーのふたりきりだったわけですか。


そうです。特に最初の50台のKSA-100を組み立てたのは、彼女ひとりなのです。