近付きたくてあらゆる手を考えておきながら

いざ手が届く所にまでくるとひどく臆病になる自分がいる

それはまるで、永遠に終わらない鬼ごっこ

 

    lovesickness~弁慶の場合~

 

窓枠にひじをついて、望美はぼんやりと外を見ていた。

三階から見下ろす中庭の小道には、女生徒の輪とその中心に弁慶の姿があった。

甲高い声で笑いながら妙にはしゃぐ生徒達に、弁慶は優しげな笑顔で接している。

話し声は聞こえたり聞こえなかったりだが、そんなことは別段どうでもよかった。

 

「望美?何見てんだ?」

 

机の中をガサゴソとやっていた将臣が、目当てのものを見つけ望美のほうに顔を向けた。

 

「・・・うん。」

「うんってなぁ・・・。」

 

将臣は気の抜けた返事を返す望美に呆れたような声を上げて、

望美の視線の先を追いながら窓の外に少しばかり身を乗り出した。

 

「・・・弁慶か?・・・保健の。」

「・・・違うよ。行こ。」

 

怪訝そうな表情でこちらを見てくる将臣に、望美はただ無表情にそう言い放つと

さっさと机の上に準備していた教科書を手にとって教室をあとにした。

 

「おい望美?待てよ・・・ったく。」

 

軽い文句を、しかしさして気にした風もなく口にしてから望美の後を追う将臣を、

すでに女生徒から解放された弁慶は無表情で見上げていた。

 

               *                        *

 

相変わらずしんとした図書室で望美は本を読んでいた。

しかし先程からてんでページがめくられていないところを見ると、

どうやら読んでいるというよりは、ただ開いているだけのようだった。

頭の中は無意識にも弁慶で埋め尽くされているのだ、本に集中できるはずがない。

弁慶のことを好きだと気がついたのはほんの最近の事で、

その思いに望美は未だ、戸惑いを隠せないでいた。

彼を苦手だと思っていた時もそれなりに辛かったし苦しかった。

しかし今は。今のほうがずっと辛くて、苦しくて、どうしようもない。

今日みたいに、女生徒に彼が囲まれていることなんかはごく日常の光景で、

むしろ一人でいるときのほうが圧倒的に少ないように思われた。

そんな些細なことで、こんなにも心ゆるがせてしまう自分に、今は無性にイラついていた。

 

ガチャ・・・ガチャン

 

古い扉が音をたてると共に誰かが入ってくる気配がした。

それに気にも留めず本にとりあえずは目を向けていた望美は、

ふとその気配が扉の前から一向に動かないことに気がついた。

それと同時に感じる視線。

 

「・・・春日さん・・・?」

 

視線を向けるとほぼ同時にかけられた声も、視界に入った人物も、紛れもなく望美の思い人、弁慶だった。

 

「よくお会いしますね。」

「・・・まだ、二度目です。」

「ふふっ、確かに。これは失礼しました。」

 

やっとの思いで口にした切りかえしを笑顔で受け止めると、

弁慶はそのまままっすぐ望美のほうへと足を進めた。

 

「何を、読んでいるんですか?」

「え、あの。」

「失礼・・・ああ、ずいぶんとしっかりしたものを読んでいますね。こういうものはよく読むんですか?」

 

開いていたページに指を挟んで本を手に取ると、

タイトルを見て感心したようにそう言った。

 

「・・・いえ、今日はたまたまです。」

 

反射的に本を追って顔を上げはしたが、すぐに俯き答える望美に

弁慶は苦笑しながらもとの通りに本を戻した。

そしてそのままその場を立ち去ろうとする後姿に、望美はハッと慌てて視線を上げた。

 

「あのっ!本!・・・一緒に読みませんか?」

「・・・え?」

 

キョトンとした表情で振り返った弁慶に、しまったという思いからカッと顔が赤くなるのを感じた。

無意識に、と言ってもいい。思わず口をついて出た言葉は取り消しようもなく、

どうしようかと視線をさまよわせた所でどうしようもない。

 

「あ、あの、だから・・・同じ本を見ようというのではなくて・・・あれ?」

「・・・ご一緒して、よろしいんですか?」 

 

その言葉はまだ幾分驚きを含んでいて、表情もどこか彼らしくないかたさがあった。

一瞬無理をしているんじゃないかという不安がよぎったが、

引けに引けなくて、望美は小さく首を縦に振った。

 

「・・・嬉しいな。君がそう言ってくれるとは思いませんでした。」

「え?」

「・・・ちょっと、失礼しますね。」 

 

そう言うと、弁慶は何故か図書室からいったん出て行った。

そこでふぅとつめていた息を吐き出して周りを見ると、今までぼんやりしていて気が付かなかったのだが、

図書室には今、望美の姿しかなかった。

これでは二人きりになってしまう、と軽く狼狽する。

彼への恋心を自覚したのも、二人きりの放課後ここでだった。

同じような状況を今度は自分で作ってしまったのかと痛む頭を押さえていると、

すぐに弁慶がまたいつもどおりの笑顔で戻ってきて望美の向いに腰を下ろした。

 

「あの、どうしたんですか?」

「・・・誰かに呼ばれていたような気がしたので出てみたんですが、気のせいだったみたいです。」

 

弁慶の返答に多少の違和感はあったものの、それ以上の追求はしなかった。

弁慶は左手に文庫本を持ち、時々滑らかな手付きでページをめくった。

その姿はどこかしら優雅に見える。

望美はぼんやりと、穏やかな表情で本に視線をおとす弁慶を見つめた。

 

「・・・そんな風に可愛らしい目で見つめられると、

顔に穴が開いてしまいますよ。春日さん。」

 

顔を上げずにそう言ってから、ふっとこちらに笑顔を向ける弁慶に、望美はバツが悪そうに下唇を噛んだ。

ずっと視線に気がついていたのだろうかと顔を赤くして、

まだ視線を本に戻さない弁慶の視線から逃げるように、

望美は目を逸らしながら必死に自然な話題を探そうと試みた。

 

「あ、そういえばさっき、私が一緒に読みませんかって言ったら意外だみたいなこと言ってましたよね。

あれ、どうしてですか?」

「え。・・・そんなこと、言いましたか?」

 

笑顔がまだ残ってはいるものの、無表情に限りなく近い顔を望美に向けて、

弁慶は小さく問い返した。

「はい。言いました。」

 

きっぱりと答える望美から今度は弁慶が視線を逸らし本に目を落とす。

 

「特に意味はありませんよ。」

 

静かにそう言うと、弁慶は何もなかったかのようにページをめくった。

この話はもう終わりだと、その姿が何よりも雄弁に物語っていたが、

望美はそれに、なおも食い下がってみた。

 

「そんな感じ、しませんでしたけど。」

「・・・・・・・・・。」

 

いつもが嘘のようにしっかりと弁慶を見据えたままの望美にゆっくりと顔を向け、

一度の瞬きの直後にはその視線を下に、なにか考えている風だった。

それからまた、先程と変わらない格好で本に視線を戻す。

 

「君は、僕のことを嫌っているようでしたので。」

「え・・・?」

 

その静かな声に、望美はとっさに声を失った。

 

「っ・・・そんなことっ。」

 

どうにか搾り出した声は動揺で微かに震えている。

 

そんなことない。

そう言いたいのに舌がうまく動かなかった。

気付かれていた。

ああもあからさまにしていれば当然なのだろうけれど。

それでも本人に気付かれていたということがひどく衝撃だった。

 

でも違う、違うのだ。

そのことだけは、伝えなければ。

 

「・・・すみません。やはり話すべきではありませんでした。

友人同士でもないというのにこのような、個人的な話は・・・。」

 

その間の沈黙をどう取ったのか、弁慶のそんな言葉に、望美は勢いよく顔を上げた。

 

「・・・私っ」

「もう、よしましょう。君もそんな、無理なんかしないでいいですから、ね?」

「違っ・・・っ先生っ!!」

 

思わず手をついてその場に立つ望美を、弁慶は本を置いて驚いた風もなく見上げた。

辺りに漂う妙な沈黙は、二人をどうあっても隔てているように望美には感じとれた。

 

「・・・っすみません。」

 

冷静になってみると自分のとった行動がどうにも恥ずかしく、また椅子に力なく身を落とした。

望美の言葉に、弁慶はいつもあの遠めに見る人好きのする笑顔で いいえ と首を振る。

 

「僕も、考え無しでした。」

 

その笑顔が今はとんでもない仮面に見えた。

全然伝わっていない。

それかもしくは、受け取ろうとしていないのがひしひしと伝わってくるような笑みに、

望美はそれでも言葉をどうにか続けようと口を開いた。

 

「でも私は・・・」

「春日さん。もう・・・」

「私っ、先生のこと、嫌いなんかじゃありませんっ!嫌ってなんか・・・。

そりゃ、初めはちょっと苦手で、失礼な態度ばかりとって先生を気分悪くさせたりしてたと思うけどっ。

でも、でも違うんです。嫌いとか、そういうんじゃっ・・・。」

 

言う端から涙が溢れて止まらなかった。

どうしてこんなに胸が苦しいんだろう。

どうしてこんなに弱い女の子になってしまったの?

男の人に縋って、分かり合えないからと涙に訴えるような女にだけはなりたくなかったというのに。

でもそれはきっと、好きだから。

悲しいとか、苦しいとか、甘えとか、弱さですらなくて、そういうことではなくて。

この人を、好きだと思う気持ちが途方もなく大きいから。

だからそれが大きすぎて、抱えられずに溢れていくんだ。

 

震える唇からは生まれた言葉もまた、どこか頼りなげに震えていた。

涙を必死に拭いながら、なおも言葉を続けようとする望美に、

弁慶は立ち上がり隣りにまで歩いてきた。

そして一瞬ためらってから泣きじゃくる望美の頭に手を置くと、

まるで壊れ物でも扱うかのような優しい手付きでそこをそっと撫でた。

 

「もう、わかりましたから。どうか泣き止んでください、春日さん。

本当に、泣かせるつもりなんてなかったんです。

あなたを、傷つけてしまいましたか?」

 

首をふるふると横に振って、望美は涙を拭うしかなかった。

真摯な言葉はとても温かく心に届くのに、どこか冷たい印象がある。

弁慶は大人で、保険医とはいえ立場的に教員と変わりはなく

この言葉は自分と彼の関係を如実に表していると思えた。

優しい言葉も、優しい手のぬくもりも、やはりそれは己の立場から来るものなのだろう、と。

でもそれだけではない何かを、欲目とでもいうのか弁慶の言葉や行動の節々から感じてしまうのも事実で、

その動揺と自己嫌悪の狭間で自分の恋心が溢れている。

 

「・・・好き。」

「え?なんですか?」

「好き・・・です。先生が。私・・・私は。」

「春日さん。」

 

不思議と声は生憎震えたままだというのに心のざわめきはすっかり凪いでいた。

涙の残る瞳に弁慶を映して、望美は、もう一度、ゆっくり噛み締めるように思いを繰り返す。

 

「私は、先生の事が、先生としてとかじゃなくて、・・・好き、好きなんです。」

 

弁慶は目をわずかに見開いて望美を見下ろしていた。

頭の上の手は今もう、力なく重力にしたがってだらりと下げられている。

 

「・・・すみません、僕は生徒を、そういう対象には、見れません。」

 

静かな答えだった。

これ以上ないという位月並みな言葉は、あまりにあっけなく弁慶の口からこぼれた。

 

「わかって、ますから。ただ、伝えたかったんです。でも忘れてください。

それじゃあ私帰りますね。」

「春日さん。」

「大丈夫、本当に忘れてください。でも、笑顔で答えてくれるのかなって思ってたけど、

予想、外れちゃいましたね。さよなら。」

 

もうあとは只、本を片手に扉に向かって一目散だった。

逃げているようで嫌だったし、後悔はしていないのだけれど、

それでも普通にしていられる自信はないから。

 

ガチャ・・・ガチャン

 

そのまま振り向かずに玄関まで行こうとしたところで、

ふと本が借り出し手続きを済ませていないことに気がつく。

振り向いた所で今更戻れないことなど分かってはいるのだけれどなんとなく体が向くままに振り返って、

そこで望美は少し不可解なものを視界に入れた。

 

“閉館”

 

入ったときは確かに開館のプレートが下げられていたはずなのだ、

いくらぼーっとしていたとはいえ、鍵がかけられたことに気がつかないはずはない。

それに鍵は開いていた。

図書委員は本来今日は開館日ではないのでいなかったが、

少し前に出て行ったきりの担当の先生がまだ戻ってきていないのだし。

 

どことなく抜けない違和感を抱いたまま、望美は痛む胸に手をやって玄関へと走った。

 

 

 

初めは。

初めはただ、本能のようなものだった。

逃げられれば追いかけたくなる。そんな本能。

それがやがていつも目で追いかけるようになって、

そして今はどうしようもなくこの分かりようもない思いを持て余している自分がいる。

近付きたくてあらゆる手を考えておきながら

いざ手が届く所にまでくるとひどく臆病になって・・・。

 

笑えるなら良かった。どこまでも割り切れたならそのほうが良かった。

 

気がついてしまった感情はひどく残酷に自分を責め立て、

真実はいつも優しく、それでいて容易にこの身を窮地に陥らせるのだ。

どうしようもない。

どうしようもない。

それならば、もういっそ。

 

 

窓越しに見下ろす望美の後姿が、すこし歪んで見えた。

弁慶はその姿をただ、人知れぬ静寂に包まれた図書室で、苦しげに目で追うのだった。

 

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

弁慶の場合です。前回消えたものとは全く違う内容になったんですがどっこいどっこいのできです。

悪すぎる。もうどうしようもないね私の文才は。うけけのけ。

さらりと将臣登場。でも結構主要人物になる予定。(予定は未定であって決定ではないんです)

譲はたぶん誰かに言われでもしない限りはほとんど出さないでしょう。

弁慶の場合 なのに彼の視点では書いていません。

どちらかと言うと望美よりの第三者的視点で書きました(書いたつもりなんですっ)

なのであまり弁慶の考えてることが分からないとは思うのですがそこは特に謝ります。すみません。

とりあえず最後の文章は弁慶視点の文面なんですが、

それについては次かさらにその次の話でちゃんと書・・・けるといいな。(おい)

一度は告白断らせるべって決めていたので、でも一応最終的にくっつけるとはおもうんですが・・・

だってなんかここまでしてくっつかなかったら嫌でない?いいならBDEDにしちゃいますよ?(爆)

そろそろ文章構成能力の駄目さをひしひし感じております。

まとまんないよぅ。勉強したいと思います;素敵なモノ書きになりたいものです。

本当にお粗末さまでした。もし目を通してくれた寛大なお方がいましたらば心からの感謝を。