「松山千春 2016年秋のツアーで歌われた曲について思うこと~その1 V1.1」S4008
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◇更新履歴
1.0:2016.10.12 ツアー中につきアメンバー限定記事にて公開。
ツアー終了後「限りある命」のレビュー に統合予定。
V1.1:2016.12.26 ツアー終了につき通常記事にて公開
◆「限りある命」に思うこと 夢野旅人 2016.10.12
2016年秋、ツアーの初日、アンコールラスト。
19年ぶりに「限りある命」が歌われた。
この曲がツアーで歌われたのは過去3回。
1981年春の「時代をこえて」と、1984年秋「愛を贈る」本編でレギュラーで歌われたのと、1997年秋の「俺の人生'97」でツアー前半にアンコールでイレギュラーで歌われた。
1981年はこの曲から「長い夜」に繋げて熱狂の坩堝で本編が終了した。
音源は日比谷野外音楽堂のライブ盤で残っている。
~お願い僕の長い道には花が咲いてるの 教えてほしい愛は優しく吹いているの~
1984年は、貧乏だった幼少期を振り返りって未発表曲の「道」に続けて歌われた。
音源は、ラジオ(FM東京)で東京初日のテイクがO.Aされた(「道」はカット)。
鮮明に記憶に残っているのが東京厚生年金会館3daysの最終日。
MCから千春は泣き崩れた。
「道」も、「限りある命」も歌い始めは涙声で絶唱の中で本編の幕が下りた。
その後、歌われることがなかったが、
97年秋の初日・綾瀬で13年ぶりに歌われ、2本目の千葉でも歌われた。
2本目の千葉。
アンコール。
「限りある命」を歌うと云って、
この歌はリリースしたときぐらいしか歌ってこなかった。
よほど体調が良くて気力があるときではないと歌えない。
キーが高いということもあるが、
気持ちで歌うから。
ほかにいい曲を書く人間はたくさんいるが、
この歌は、俺にしか歌うことができない(要約)。
といって歌った。
歌い終わったとき。
立って聴いていた観客の拍手が止まらなかった。
スタンディグオベーションさながらだった。
97年秋のツアーは全41公演。
しかし、この歌が歌われたのは9月の10公演のうちの数回。
風邪や喉の炎症などのトラブル見舞われ、10月以降歌われていない。
最後に歌われたのは、9月30日の神戸公演と記憶する。
それから歌われていなかった。
35周年の2012年。
ベストアルバム『松山千春の世界』をリリースして、
ラジオでこの曲を流す際。
この曲が出来上がったとき。
いつか、こういった曲を歌ってみたかった、こんな楽曲ができてよかったと思った。
と千春は云った。
歌うべき時期でないと、または歌いたくない歌は歌わない千春。
だが自身が好きな曲で歌わないのは稀有。
それだけこの歌は、
自分たちの想像以上に、気力を必要とするのだろう。
もうステージで聴くことはないと漠然と思っていた。
初日の府中。
19年ぶりにイントロがきこえた瞬間。
それだけで十分とさえ思った。
80年代の20代の千春と60歳の千春。
当たり前だが歌い方も、質感も違う。
だけどライトに照らされ、この曲を歌っている千春に、
日比谷野音で、東京厚生年金会館で絶唱する若き日の千春が瞳に映って重なった。
声が出ているとか、質感だとか、どうでもよく感じた。
自分にとって、初日のハイライトはこの歌、その瞬間でした。
翌日、ライブ盤の日比谷野音の音源をきいた。
聴き入って感涙し、むせび泣きした。
スタジオ録音も聴き、1984年ラジオの音源もきいた。
97年の千葉の当時のリポートを読みながら、
小一時間くらい繰り返し聴いた。
デビューから40年。
変わらない千春がいる。
いつも千春は我々に云う。
輝きを止めずに、
自分らしく生きてください。
松山千春は自分らしく、
松山千春でずっとあり続けている。
初日に20代の千春と、60歳の千春が、
オーバーラップしたのも、
CDを聴きながら咽び泣きしたのも、
そのことに、身体が無意識のうちに反応したのだろう。
20年前の自分だったら、
絶対、思わない、云えなかったと思うが、
19年ぶりにきいた「限りある命」は絶品でした。
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