子どもの「今までの人生を振り返る」という課題、どうする? | 胆道閉鎖症・乳幼児肝疾患母の会 肝ったママ’s

胆道閉鎖症・乳幼児肝疾患母の会 肝ったママ’s

胆道閉鎖症や乳幼児肝疾患の早期発見に力を入れております。
便色カードで早期発見 No more 脳出血!

 今日は、病気とは直接関係ないお話をしたいと思います。

 今、小学校では2年生の授業で「生まれた時の話」や、4年生で「1/2成人式」を行う学校が多いと聞いたことがあると思います。どれも、自分の人生について親に生まれた時の話を聞いてきたり、または親への感謝の手紙を書くなど、親も関わる作業がでてくるものです。しばらく前から、家庭で虐待を受けているお子さんやシングルの家庭のお子さんには、この作業はどうなのか?と言う議論がインターネットではありました。

 このことについて、「生まれた時から慢性疾患を持つ子どもの親」として、考えてみました。

 7才8才の子どもが、自分の生まれた時の話を親に聞く、あるいは9才10才の子どもが、成人への過程を半分まで来たところで人生を振り返る1/2成人式。教育の課題としては、非常にわかりやすいのかもしれません。そして、この課題に対し、聞いた多くの作業としては「自分の生まれた時の話を親に聞いて、作文にする」ことが多く、これを授業参観などで読み上げることも中にはあると聞きます。授業参観ではなくても、クラスでの授業で発表があるのかもしれません。また、親への感謝の気持ちを手紙にし、1/2成人式で子どもに読ませるみたいなことをする学校もあるそうです。

 生まれた時に病気がわかったお子さん、胆道閉鎖症や肝疾患で言えば、大きな手術などをしたお子さんもいます。記憶のない赤ちゃんの時期に手術したお子さんもいれば、学童期になって手術をしたお子さんもおられます。物心がついた時から自分の病気を知っているお子さんもいれば、あまり意識せずに過ごしているお子さんもいます。どのように生まれた時から病気と向き合ってきたのかは、病気の経過によって、ご家庭によって、そしてお子さんの性格によっても随分と大きく違うと思います。

 どのご家庭でも、親としてどのように子どもに手術痕を含めた身体のことを話すかは、ずっと悩みの一つだったのではないでしょうか。きょうだい児のいるご家庭であれば、きょうだい児の思いも含みます。子どもの心の発達にそって、どこまでどのように話すか、周りの同じ仲間と交流しつつ、向き合っているご家庭もあることでしょう。しかし、学校でこのような課題が出された時、まず一つの大きな問題は、「ご家庭の準備に関係なく、第三者から出された課題」ではないかと思います。

 どのご家庭も、どの親も、そしてどのお子さんも、学校がその課題を出した時に、それに向き合う心の準備ができているわけではありません。例えば、赤ちゃんのころに葛西手術や移植をしたお子さん、身体の傷痕は知っていても、それが具体的にどんなことでなったのか、写真などを見て衝撃を受けるかもしれません。学童期に移植をしたばかりだと、辛い入院生活をすぐさま思いださせることも子どもには酷なことです。また、移植をしたお子さん、ドナーの存在(それが脳死ドナーであったり、生体ドナーであったりでまた違いはありますが)をどのように受け止めるか、非常にデリケートな問題です。

 親から肝臓をもらって移植したことを子どもが知った時、そして課題が「親への感謝の手紙を書く」となった時、どうしますか?子どもに対し、自分の肝臓で生命を繋げてほしいというのは、「親」の心から出た願いであることは確かにその通りですが、それを「子どもに感謝されたい」と思った親はいないでしょう。

 子どもが成長していく過程で、病気を持って生まれたこと、生まれてすぐに大きな手術をしたこと、人によっては移植をしたこと、これらのことを「理解してもらう」ように向き合わなければならない時期はかならず来ます。そして、これらの過程があっての「子どもの今」があるのも事実です。ただ、その向き合う時期、向き合う心の準備は、親・子ども・ご家庭でそれぞれ違います。「外部の第三者から課題として与えられる」ものではないと思います。

 人は確かに自分のルーツを知る意義があると思いますし、生きてきた中でいろいろな支えがあることを知ることは大事だと思います。こういうことを教育の中に盛り込むことも決して悪いことではないと思います。ただ、繰り返しますが、「生まれつき慢性疾患を持つ子どもと親」には、向き合うには「時間」も「時機」も必要なんだと思います。

 子どもと一緒に過ごしてきた10年近い歳月の中で、「病気発覚」「手術」「移植」は、大きなライフイベントであり、振り返った時に決して目を背けることはできない出来事です。しかし、子どもの人生は、それだけではないと思います。病気も手術も入院も確かにその子の今までの歩みで大きく占めてはいますが、「それだけではない」と思います。「長い入院からようやく退院した後に、初めて行った旅行」、他人の目には「普通の旅行」のように映っていても、それが家族の中で「大きな意義のある旅行」ということを子どもと親が分ち合っていれば、それも大きな思い出です。大人から見て、手術や入院が大変だったように思えても、子どもには退院した後に思いっきり外で遊んだことが「生きるってすばらしい!」と実感したのであれば、それが子どもにとっては一番の「ライフイベント」なのだと思います。

 学校の課題が出されたタイミングを生かして、向き合うきっかけづくりにするご家庭もあると思います。しかし、まだ自分の子ども、あるいは親の自分が向き合う時期に来ていない場合は、無理をして向き合う必要もないと思います。親子で話し合う、向き合うきっかけではあっても、それを必ずしも第三者である学校になんらかの形として提出する必要はありません。子どもの思いがどこにあるのか、子どもが学校という社会生活の中で、形として思いを出すも出さないも、子ども自身をまずは尊重してあげたいなと思います。

 子どもの「今までの人生を振り返る」という課題、みなさんはどう向き合いますか?/向き合いましたか?