思い出に残る名機たち(第3回)~ニューペガサス(パル工業・1,5号機)~ | 回胴日記

回胴日記

回胴式遊技機、すなわちパチスロを愛する人との情報交換の場にしたいと思います。
小生のパチスロ歴は26年ほどでしょうか...。

さて、ウイリーチャンプの設定5のデータでも...と思ってましたが、笑ってしまうようなクソはまりを食らって途中で心が折れて休憩中なんで、たまには昔話でも...。


で、御題は
'08 2/28 天馬8 ...ニューペガサス(パル工業・1,5号機)。


本日は、ニューペガサスに敬意を表して、敢えて「ニューペガサス」とフルネームで呼んで通すことに致します...どうでもよいこだわりかもしれませんが...。



ニューペガサス...初めて打ったのがいつだとかははっきり憶えてませんが、都内のみとや系列の店(と言っても、小生が足を運んだことがあるのは上野・神田・水道橋のみ)には、白パネルのニューペガサスが必ず設置されてましたね...。

小生は大学2年の頃(’96年)、上野と神田のみとやによく顔を出していて、記憶が確実なら上野のみとやがニューペガサスの初打ちなんじゃないかと...。




当時は上野のみとやは1Fのみのスロ専で、入り口から向かって一番左の壁沿いがコンチネンタルⅠ(瑞穂製作所・3号機)、その向かいがニューペガサスのシマだったと記憶しております。


当時の上野みとやは、小生が知るパーラーの中では新台の導入が早い店でして、大学2年のときには結構足を運んでいた記憶がございます。

当時つけていた日記によれば、フローズンナイツの新装なんかでは結構勝っていたみたいです(懐)。




まあ、そんな風に新台目当てで足を運ぶうちに、左端で閑古鳥の鳴いていた2シマが気になりだしまして...。

ニューペガサスのシマには、必ず軍手をした人が3名おりまして、2人がおじさんで1人がおばさん...しかも、いつ上野みとやに逝っても、ニューペガサスのシマにはその3名がおりまして...。

しかも、この3人、仲間なようで、ちょくちょく会話を交わしていたのも何度も目撃しました。

ということで、ニューペガサスがどんな台なのか、ひじょ~に気になってくるわけです。


大学2年の頃にはスロを初めて半年以上経っており、クランキーコンドル全盛期だったこともあり、たいていの機種でボヌス絵柄の目押しくらいはちゃんとできるようになってました。
ということで、ニューペガサスにも何の知識もないまま果敢に挑戦したのでしょう(爆)。




さて、そんなふうにして何も知らぬまま対峙することとなったニューペガサスですが、先ほど話をした3名の挙動を見ていて常に疑問に思ったことが...。


①なぜ軍手をしているのか?

②なぜ右リールから逆押しをしているのか?


①に関しては、いまだに謎ですが、神田のみとやのニューペガサスのシマにも必ず軍手をした方々がおりまして、しかもニューペガサスのシマのみ...多分、手が汚れるとか、そんな理由なのか...。

②に関しては、当然「吸い込み方式」なるシステムでボヌス抽選が行われていることを知らないから、逆押しを不思議に思ったわけです...。


何はともあれ、見よう見まねで逆押しをしながらニューペガサスを打ち始めたわけです(爆)...あ、軍手はせずに素手で打ちましたよ(笑)。




まあ、そんな風にして出会ったニューペガサスですが、いつの頃からか、吸い込み方式ということを知り(多分ハカタワン氏から教わったのかと...)、たまに見かけると擦っていたようです...。

でも、学生時代のうちはニューペガサス目当てでパーラーに足を運んだ記憶がございません...。




ちなみに、小生が他に知っていたニューペガサス設置店は、新宿歌舞伎町のコマ劇場の向かいにあった店(B1Fにあったが、打ったことはない)や、池袋の西口のロータリー沿いにあったモナミ(ハカタワン氏と連れスロをして、2人で14万負けたw)くらいでしょうか...。




ということで、大学を卒業してから現在の職場へ転職するまでの2年間はニューペガサスとはご無沙汰だったわけです(そもそもスロもほとんど打ってなかった)。

で、転職後、獣王との出会いをきっかけに再びスロにどっぷりとハマり...。




そして、もうニューペガサスを打つことはないんだろうなぁ、なんて思っていたある日(多分’03年の夏かな?)、職場付近の某M店にたまたま足を運び、店の奥にひっそりと鎮座するニューペガサスをば発見...当然着席いたしました...。

もうこの頃にはニューペガサスのシステムもきちんと理解しており、軍手はせず、右押しで打ち始めたわけです...。

この日から、仕事が終わると毎日のようにニューペガサスばっかり...。

しばらくすると師範が様子を見にやってくるのも、今と同じ...。




そんなふうにして、ニューペガサスとの再会から一週間も経たないある日、珍しく調子よく浅いところをヒキまくってドル箱を重ね、「5万は勝つか?」と思っていたところ...


「当店は明日より改装のため一時閉店いたします」


との店内アナウンスが...(汗)。


で、小生は店員に迷わず質問...。

「このニューペガサスは今日でおしまいですか?」

と。


と、無常にも

「はい」

との返事が...。


ということで、一打一打、かみ締めるように...んなわけありません...閉店までに連荘を取りきるのに必死です(笑)。

まあ、無事に納得いく枚数を打ち込み、某M店を後にしたわけですが...一緒にいた師範は、店員に頼んで、シマに貼ってあったリーチ目シールをもらって帰ってましたね...(懐)。

あ、小生はしっかり5万くらい勝って帰ったと記憶してます...嬉しかったけど、やはり素直には喜べないところでしたね...。




その後、みなし機撤去の年の春、博多のマンハッタンというパーラーにてハカタワン氏と並んで打ったニューペガサスが、パーラーでのニューペガサスの打ち納め...最後の思い出となったわけです...。
'06 4月 ニューペガサス ...その日の初ビッグ...あんまりいい揃え方ではないと思います(爆)。
'08 3/8 ニューペガサス ...やはり、こうやってチェリー付きでありたいものです...。


と、まあ、小生とニューペガサスの付き合いというと、長いといえば長いですが、ホントにゲーム性を分かったうえで楽しめたのは、某M店での最後の1週間(&最後に打ったマンハッタン)くらいでしょうか...(いや、ゲーム性を知っているなんていったら、レトロ台好きの先人達に怒られてしまいそう...というくらい、まだまだ私めが知らないことがいっぱいあるみたいです...)。




ということで、ノクターンの調べを聴くと、今でもまず最初に思い出すのはあの某M店の最後の日のこと...ノクターンを聴くと、いつも何となくしんみりとした気持ちになるのであります...。