思い出に残る名機たち(第6回)~コンチネンタルⅠ(瑞穂製作所・3-1号機)~...その3 | 回胴日記

回胴日記

回胴式遊技機、すなわちパチスロを愛する人との情報交換の場にしたいと思います。
小生のパチスロ歴は26年ほどでしょうか...。

回胴日記-コンチⅠ(林檎テンパイ)
...やっと第3回めです♪

いつの間にやら仲間内でも定着してしまった「パーラーcontinental」という名の我がパーラーでございますが、これにも「生を受けた瞬間」というものがございまして...。

ということで、今回は’03の夏頃のお話をば中心に...。



[第五章:パーラーcontinental誕生]
’02年...この頃は、獣王にはじまりをアラジンA、サラリーマン金太郎、コンチⅣx、ミリオンゴッドといった爆裂機ばかりを打ち続け、毎日しこたま負けをこしらえていたものです...(汗)。

私めの長いスロ人生の中でも収支も最悪だったと記憶しております...(涙)。




そんな爆裂機漬けの毎日を過ごしていた折にふと出会った機種がございました。

かの「ネオプラネット(4号機・山佐)」です。

キンパルあたりの頃はストック切れのイメージが強くて敬遠していたST機でしたが、ネオプラは浅い天井やチェリー解除などもあり、そこそこ遊べた記憶がございます。

爆裂機を打ったときは、何も当たらずにおけらになって帰宅することも多々ありましたが、ネオプラならさしてお金を使わずにボヌスを引けましたからね...。

実際、ネオプラをメインに打つようになってからは、徐々に収支も上向いてきた記憶がございます。

と、ネオプラの話はここまでにいたしまして...(汗)。




その後は関候や海一番など、ややずっこけた機種もございましたが、翌’03年の夏にデビューした「ネオマジックパルサー(4号機・山佐)」との出会いを境に、どっぷりとST機の世界に入り込んでいくことになります...。

まあ、この年の秋に、かの「爆裂機規制問題」によって爆裂機が撤去されたことも相俟ってのことなんですけどね...(汗)。




ということで’03年の夏。

仕事が終わると毎日にように師範と職場付近のH店へ...ってな時期がございました。

お目当ては新台ネオマジックパルサー♪

これが思った以上に順調に勝ち続けちゃいまして、たしか8月半ばだったかに1週間で100K以上の浮きが出たことがございました...。




そんな折、これまたどういう因果か、スロマガの巻末に掲載されていた「いちご商会」の記事を目にしてしまったのがいけなかったわけで...(汗)。

ページの下のほうにあった「文字のみの在庫表」の部分に「ビガー」(4号機・パル工業)の文字を見つけてしまい、早速お電話...。

まあ、当時はビガーを打つとなると横浜の上大岡まで逝かなければならず、我が家からは3時間近くかかる場所でしたから、いっそのこと買ってしまおうと思い立ったわけですな...。




ですが、どういう経緯だったか忘れちゃいましたが、「コンチネンタルⅠって在庫ってありますか?」なんて質問に話が飛びまして...。

したらば、「ありますよ。4万円です」とのお返事が...。

小生は当然のように「買います!」と即答したわけでございます。




まあ、今でこそ「2台ください」なんて発言は朝飯前ですが(苦笑)、当時はスロ実機なんて家に置くもんじゃない、な~んて考えてましたから(えぇ、昔はそういう考えだったんですよw)、コンチⅠのみの購入となったわけです。




さて、数日後、宅配業者が来まして、我が家の玄関に見たこともないようなドデカい段ボール箱が届きました。

今でこそ宅配業者から段ボールが届いてもひとつもドキドキしませんが、このときは初めてのことだったので、大変わくわくしながらダンボール箱を開封した記憶がございます(懐)。

そんでもって段ボールを開封いたしますと...
回胴日記-コンチⅠ(黒パネル)
...ピカピカに整備されたコンチネンタルⅠが...。

これが記念すべき「パーラーcontinental誕生の瞬間」でございます♪




出会った当時は「すでに誰も見向きもしなくなった、ただの古ぼけた怪しい黒い箱」だったコンチネンタルⅠでしたが...

このようにして「所有実機第1号」として我が家にやって来ることになるとは、’96年12月3日(火)の弱冠20歳の小生には、まったくもって想像もつかなかったわけでございます...。




ちなみに、パチスロの筐体がこんなに重たいというのも、この日に初めて知りました...(汗)。







<第6章への布石>
現状ではあと2つほど書きたいと思っていることがございます...よかったらお読みください。