前回(その5)の記事は→こちら  最初(その1)から→こちら

『感応院』

鎌倉には感応院という御寺があります。

これはどういう御寺かと申しますと・・・・


~以下は感応院からの引用です→こちら

 感応院は、源頼朝が静岡の三島神社を勧請したのが始まりといわれる。
 1218年(建保6年)の創建で、藤沢宿で最も古い寺ともいわれ、正式名称を「三島山瑞光密寺感応院」という高野山真言宗の寺。
 開基は源実朝本尊は不動明王。開山は道教。
 1398年(応永5年)、阿闍梨幸海が中興、1609年(慶長14年)には、江戸幕府より檀林所に指定された。

 「相模国準八十八ヶ所霊場めぐり」の一番札所。
 「藤沢七福神めぐり」(寿老人)の一つで「寿老人」が祀られています。

以上が引用でした。


これから突っ込みを入れる部分は、ピンク色にしてみました。


まずは、源 頼朝が三島神社を勧請したという文章。

勧請とはなんぞや!と調べると

分霊を他の神社に移すことを勧請(かんじょう)という。神道では、神霊は無限に分けることができ、分霊しても元の神霊に影響はなく、分霊も本社の神霊と同じ働きをするとされる。他の神社より祭神を勧請した神社を分祠(ぶんし)、分社(ぶんしゃ)、今宮(いまみや)などという。

ウィキペディアより引用→こちら


はい、ここで気がつかれた方もおられると思います。

三島神社の御祭神って何だったでしょうか?

大山祇命(おおやまつみのみこと)

積羽八重事代主神 (つみはやえことしろぬしのかみ)

※一般には「事代主神」として知られる

時代主神と蛭子は同一視されてきた事実もあるのです。

これは前回の記事を書きました→こちら


三島神社の祭祀はひるこちゃんである可能性を指摘しました。

それを・・・・勧請(かんじょう)

つまり分けて感応院に持ってきたら、ヒルコちゃんがそこにいる・・・・。


 開基は源実朝本尊は不動明王

 「寿老人」が祀られています。

※実朝は頼朝の息子です。

開基とは寺院の創始にあたって必要な経済的支持を与えた者、ないし世俗在家の実力者(大檀那)を指す語である


なんぞや~と叫びだしたくなる所ですが、

実は寿老人を探っていくと驚愕の事実が解りだしたのです。


難しい内容なので簡単にまとめます。



三島神社から、恵比寿(ヒルコちゃんの可能性)を分けて

感応院に持ってきた。



故に感応院の祀神は実はヒルコちゃんの可能性も否めない。



否めないのに恵比寿様じゃなくて寿老人が祭ってある


次は、謎めいた寿老人の巻です。



続きは→その7