~プロローグ~

日本の諏訪大社で行われる祭は、どいう訳かイサクの伝説が元になっている様なのです。



出典:レムナント出版 レムナント・ミニストリー様の内容を要約しました。

諏訪大社には『イサクの伝説』がある。

なぜ聖書のイサク奉献伝承が、
日本の諏訪大社で祭りとなったのか?



 ≪聖書の創世記二二章≫

 アブラハムが神の命令を受けて、「モリヤ」の地で、ひとり子「イサク」を捧げようとしたという記事が記されている。

 実はこのイサク伝承が、なんと、パレスチナからはるばる離れたこの日本の諏訪大社で、祭りとなって生き生きと伝えられていた・・・・。


 諏訪といえば、縄文文化の中心地


この地には、諏訪大社という大きな神社がある。
 

 諏訪大社では古来、「御頭祭酉の祭ともいう)という祭りが行なわれてきた。諏訪大社には上社と下社があり、「御頭祭」は、上社の「前宮」で行なわれている祭りである。


 前宮の祭神は、正式には「八坂刀売神(やさかとめのかみ)とされている。しかし、諏訪地方で民衆が古くから信仰している諏訪大社前宮の神は、この神ではない。


諏訪の神は「ミサクチ神」である。長野県茅野市発行の『神長官守矢(じんちょうもりや)史料館のしおり』は、
 

「諏訪大社の祭政は・・・・ミサクチ神を中心に営まれている」
 と述べている。諏訪大社の「御頭祭」は、このミサクチ神の祭である

「ミサクチ神」は、漢字では「御佐口神」と書いたり、「三社口神」「御社宮司神」「佐久神」「射軍神」「尺神」などと書いたりする。しかし定説はない。いずれも当て字であって、元来は外来語と思われる
 

諏訪大社はまた、「モリヤ山(守屋山)」と呼ばれる山のふもとにある。かつてアブラハムがイサクを捧げようとした「モリヤの地」も、小高い山であることが思い起こされる
 

この守屋山(モリヤ山)のふもとの諏訪大社で、御頭祭が行なわれている。
 

さらには、「御頭祭」を古来つかさどってきた人々の名を、「モリヤ家」(守矢家)という。


モリヤ山(守屋山)は、モリヤ家(守矢家)の聖地である。
 

今日、諏訪大社と言うと、一般には「御頭祭」よりも、「御柱祭(おんばしらさい)」を思い浮かべる人のほうが多いであろう。巨大な柱をめぐるこの祭には、多くの人が集まる。
 

それに比べて「御頭祭」は、今日はそれほど盛大ではない。しかし古来、それは諏訪大社で最も重んじられていた祭であった。


御頭祭は、古い時代には非常に盛大に行なわれた。
 御頭祭は、毎年四月一五日に行なわれる。この祭の様子が、聖書に記されたイサク奉献の伝承に、驚くほどよく似ているのである


 

次には、イサク奉献の伝承と御頭祭のどこが一体似てるのか、比較して行きたいと思います。




続きは→その2