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出典:レムナント出版 レムナント・ミニストリー様の内容を要約しました。


少年が縛られ使いが来て解放される
 御頭祭では、「おこう」(御神とか神使と書く)と呼ばれる少年が、主人公である。

この少年は、一五歳未満の子供で、"神の使い"としての役割を与えられる。
 

「おこう」と呼ばれるこの少年は、まず、「御贄柱(おにえばしら)」とも呼ばれる"生け贄"とする為の柱に「縛りつけられる」。


 柱に少年を縛りつけるときには、桑の木の皮をより合わせて作ったが用いられる。
 

次に、人々は少年を柱ごと、竹のむしろの上に押し上げる。そこには、小さな「刃物」も登場する。
 しかし、諏訪の国の司からの使者や、神官がそこに現われる。その後、桑の木の皮で縛られていた少年は、解き放たれるのである。


しかし「おこう」の風習は、少なくとも江戸時代頃まではあったらしい。



江戸中期の国学者、また紀行家であった菅江真澄が、自分の見た御頭祭の「おこう」について、次のように書き記している。

 「神長(祭祀のリーダー的人物)が・・・・篠の束の縄をほどき、篠をばらばらにして・・・・先のとがった柱を押し立てる。これを御杖とも御贄柱ともいう。・・・・
 

御神(少年)といって八歳ぐらいの子供が、紅の着物を着て、この御柱にその手を添えさせられ、柱ごと人々が力を合わせて、かの竹の筵の上に押し上げて置いた。・・・・
 

そこへ上下を着た男が、藤刀(ふじがたな)というものを、小さな錦の袋から取りだし、抜き放って長殿(神長)に渡す。長殿がこの刀を受け取り、山吹色の衣を着た神官に渡す。その藤刀を柱の上に置く。・・・・

 例の神の子供達を、桑の木の皮をより合わせた縄で縛り上げる。・・・・いよいよ祭は最高潮となる。


藤刀(ふじがたな)と、根曲太刀(ねまがりのたち)
(御頭祭に参加する神官の一人がさしていたもの)。

 諏訪の国の司からの使者の乗った馬が登場する。その馬の頭をめがけて、人々は物を投げかける。しかし、この馬はとても早く走る。・・・・その後ろから、例の御贄柱を肩にかついだ神官が、

 『御宝だ、御宝だ』
 

と言いながら、長い鈴のようなものを五個、錦の袋に入れて木の枝にかけ、そろりそろりと走り出し、神の前庭を大きく七回まわって姿を消す。
 

そして長殿の前庭で先に桑の木の皮で縛られていた子供達が、解き放たれ、祭りは終わった」。
 

(『菅江真澄の信濃の旅』信濃教育会出版部刊)より


菅江真澄による神前供物のスケッチ




※この「おこう」の風習は、今日の御頭祭ではもう見られない。長野県茅野市の守矢史料館の職員によると「贄柱」の風習は残っているものの、この少年を登場人物とする「おこう」の風習はすたれてしまったという。
 






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