前回は→その8          最初からは→その1


田村麻呂ちゃんといえば「征夷大将軍」として有名ですが。


この征夷大将軍とはいったい何かという所から今日はお話ししていきたいと思います。


【征夷大将軍とは】

天皇の勅令によって任命される役職である。その字の通り、元々は「夷を征討する(蝦夷征伐)」軍の指揮官に与えられた将軍職の一。時期によっては征東将軍とも呼ばれる。

では蝦夷とは具体的にどこか・・・・?


この色が付いてる部分です。ここは昔は日本の統治下になかったのです。

恒武天皇が蝦夷を征伐という事で、軍を派遣して以来、どんどん陣地を北上させて行ったのです。


ここの住民とは元から日本に居たアイヌの人達(原日本人とも言われて居ます。)の事で、段々に北上していったので最後は北海道だけが居住地となったのです。

詳細についてはこちらが詳しく載ってます。興味ある方はどうぞこちら


この時の戦いの様子は凄く悲惨なものでした。
たかちほむらのブログ
実は「青森のねぶた祭り」というのは、この田村麻呂が関係していて、敵を土に埋めたと言う悲惨な出来事が元になって居ます。


あまりにもシュールなのでどうしても見たい方は→こちら

で個人的に見て頂くとして。


私の方は簡単な説明にします。


簡単に言うと。この地域の人達は根絶やしにされてたという事です。一人残らず漏らさないように・・・・。


なのでこの地域に、在来日本人YAP(+)の方が残ってるとは考えにくいと言う事になります。


前回出したこの地図・・・これは渡来してきた初期のものになりますので。


たかちほむらのブログ
引用先は→こちら

で、これを・・・


たかちほむらのブログ

プラスすると・・・YAP(-)遺伝子の行方は・・・東北には在来種が滅ぼされたので居なく、田村麻呂達がそこを本拠地にした事を考えると・・・


YAP(-)遺伝子の人達が多く住むようになったと考える方が自然でしょう。


で・・・田村麻呂の拠点はどこだったと言うと・・・

最初は仙台の多賀城になります。そこで地域の興隆に貢献したらしいです。

で・・・岩手の胆沢(いさわ城)が城造営と共に鎮守府が移されたので、今度は岩手が拠点になります。


その後は・・・・


田村麻呂子孫ウィキペディアより→こちら

陸奥国田村郡を支配していた戦国大名の田村氏は田村麻呂を祖とし、その子孫が代々田村郡(元は安積郡の一部)を領してきたとされる。
~以上が引用です~


安積郡・・・気が付きましたか?そうです安曇野の名前の変化?

その様に思えませんか?


そして田村麻呂はなんと、伊達正宗と関係が有ったのです。


田村氏ウィキペディアより→こちら

田村氏(たむらし)は、陸奥国の田村郡を支配していた戦国大名の氏族。豊臣秀吉の奥州仕置により改易となるが、後に仙台藩伊達家の内分分家大名として再興される。明治以降は子爵となり華族に列せられた。


つまり・・・岩手からまた仙台に戻った事になります。

そしてその子孫が福島に居た事も有りました。


そして・・・伊達正宗の家系と混合して行ったという事になります。


と言う事は・・・・


伊達正宗さんの子孫は存在すると、私仙台に行った時に博物館でみた記憶があります。


なのでその方。あるいは御親戚などはYAP(ー)遺伝子を持っている可能性が高いと思えるんです。


まぁ、それ以外にも昔の時代ですから、隠し子Wとか居たりとか・・・私生児とかもある可能性が・・・


つまり、岩手や仙台って彼らの拠点であり、在来日本人を絶滅させて住んでいた訳ですから。当然この地域ってとてもYAP(ー)が多いと思うんですが・・・。


それと田村家の子孫の田村 清顕は福島に拠点を置く大名でした。その娘の愛姫が伊達正宗に嫁いだのです。


どうでしょうか?


仙台・・・そして岩手・・・福島・・・

YAP(ー)が広がって行ったと思われます。



そういえばこの地域三つは特に、3・11地震で特に被害が多かったといわれている区域ですね。