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~生立八幡神社のキセルガイ伝説~

この宮が神功皇后の皇子が初めて立った所です。
福岡県神社誌を見てみましょう。

【神社の縁起】

息長足姫命(おきながたらしひめー神功皇后)が筑紫の蚊田で誉田(ほむた)皇子を生んで、翌春大和国へ行く時、仲哀天皇の別の后の二皇子が反逆を企てていると聞いて、
「穴門は早戸の狭い門である。どんな密謀があるか分からない」
と言って、豊の国のこの地にやって来て船路で出立しようとした。

その時、皇子が誰から貰ったのか、転がして遊んでいた美しい石があって、その石を持って母君の膝に手をかけて初めてお立ちになった。

母君はとても喜んで「もう生い立ったよ。」と言った事から、ここを生立(おいたつ)と言うようになった。
後に、三柱をお祭りする。これが神社の起源である。
また霊石を置いた所が二子大神である。(祭神は応神天皇、神功皇后、比賣大神)



境内の左手にある二児神社です。今でも石は残っているでしょうか。


【生立神社のキセルガイ伝説】神社の説明板にもう一つの伝承がありました。


この大楠はここ生立八幡宮の社叢中最大の樹木で、神社第一の「御神木」として長い歴史を誇ります。一説に樹齢約800年といい、町内でもトップクラスの長寿の古木です。それだけに、この木には次のような伝説や逸話が残されており、町を代表する巨樹・古木にふさわしい情報に満ちています。

その一つはこの木の由来に関するもので、当宮の祭神でもある神功皇后が三韓出兵から凱旋の途中この地に立ち寄り、
軍船に貼りついて皇后軍を守った蜷貝(にながい)を自らこの楠に放し、木の守り神としたというものです。楠はこんなに大きくて、きらきらとしていました。


 この軍船に貼りついていた蜷貝については、他の地方にも語り継がれています。
場所によって少しずつ話が変化します。


何だか気になる貝です。
ここでは、こんな風に語られています。以来、この木は神社第一の神木とされる一方、蜷貝(キセルガイ)は先の逸話と共に皇后自ら携えた霊験あらたかな貝として尊ばれ、とりわけ歯の痛みをとる「まじないの物実(ものざねー神さまの力が宿る事物)」として大切にされるようになりました。

~以上~



どうでしたか?たかちほがイチョウ様からプレゼントして貰ったキセルガイでしたが、時代の波とともに人々から忘れられ、そして、場所によっては絶滅したとまで言われ→たかちほが探し出したので事実とは違った訳ですが。


そんなキセルガイ・・・・。

非常に大きな意味が有ったのです。

この神秘の生物・・・・実は非常に農薬等に弱くすぐに死滅するのです。その性質はカタツムリに似ていますね。なので、増えるのも早いのに、状況が変わると直ぐに死滅してしまうのです。


この大事な自然・・・・。

大切に守って行きたいものですね(*^^)v





おしまい