前回は→その6
 
 蓮如が東北の遠くまで来て影響を与え、そして庶民に脈々と愛されていた痕跡は実は踊りに有りました。
踊り?何言っているの坊さんだよ相手は?と思ってしまうところなのですが・・・・以下をご覧ください。これは最近の実際の地域ニュースです。
( 'ω'o[ 独特の盆踊りがここに有り ]o
写真等:あわら市HP吉崎観光案内等より引用
 塩屋町の海辺で蓮如踊りを披露するイベントが行われいてます。波の音を伴奏にした幻想的な踊りを鑑賞できます。
蓮如踊りは蓮如上人から教えられたとも伝えられる事から別名「蓮如踊り」と呼ばれる「シャシャムシャ踊り」と言います。
 加賀市塩屋町を中心に吉崎町、永井町に古来から伝承されている加賀市無形民俗文化財の盆踊りです。
 
実際の吉崎町での盆踊りの様子です。吉崎紹介HPより

 加賀って言うとこの辺ですよね・・・・
( 'ω'o[ この盆踊りの出来たきっかけとは? ]o
加賀から近い、吉崎(福井県)
ここに、その踊りが出来たきっかけの場所があるんです。
吉崎山という場所があるのですが、そこは蓮如が浄土真宗の北陸における拠点とした重要な土地です。
北・西・南の三方を北潟湖に囲まれた天然の要害で、海抜33m程、面積約2万平方メートルの小高い丘である。
この山の頂に吉崎御坊があった。1975年には国の史跡に指定され、公園として整備されています。

( 'ω'o[ つい後を追いたくなる程の魅力ある男。それが蓮如  ]o
この吉崎山に登った蓮如の姿が実は、上の盆踊りの、原型になりました。
生い茂った笹を掻き分け掻き分け登ったのだ。
さすが蓮如。気合入ってますね!こんな感じの笹の海をかき分けながら登ったんでしょうね。

そしてその蓮如の後を追うように、彼の話を聞こうと笹をかき分けながらやって来た門徒達。
その様子を現したものがこのシャシャムシャ踊り。
( 'ω'o[ 実はあんな大きな宗教団体に目をつけられて大変でした。  ]o
 蓮如は、比叡山延暦寺との敵対関係を逃れて、文明3(1471)  年この地に御坊を かまえ、真宗教団の再興に大きく貢献しました。布教の手段として「御文(御文章)」と「講」をもって信心と布施を定着化し、本願寺の財政再建と門徒拡大をなしましたが、他派寺院の嫉妬を招き、側近の裏切りや朝倉家の弾圧にいたたまれず、蓮如は文明7 (1475) 年8月、ひそかに海路吉崎を脱出しました。時に蓮如61 才、わずか4年2ヶ月の滞在でしたが、吉崎は真宗教団再興の地として歴史的意義が大きいといえます
~以上~
 
しかし・・・・彼はどうして、こんなに敵視されていたんでしょうか?庶民には心に響く言葉を投げかける事が出来た彼・・・・
でもそ魅力が実は迫害の原因になっている様子でした。
次回から紹介してく旅路の中に・・・彼の迫害が何れ程大変だったかを合わせて書いていきます。
 
( 'ω'o[ 実は命まで狙われていたんです  ]o
坊さんなのに(((゜Д゜;)))何かすごい扱いを受けていますね~。
日蓮の事を思い出しました。しかし、日蓮は激烈。勝負男。蓮如は簡単にしたためた文章で、知的に教え諭してるというタイプが全く違う感じです。
それなのに脅威と思われるのは、余程彼が注目に値すべき人間だからだと思います。
 
続きは→その8
 




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