前回は→その1

 

【日蓮が何故七面山にこだわったのか?】

 日蓮が亡くなる直前までの9年間を過ごしたのが、現在の日蓮宗の総本山(祖山)身延山 久遠寺(みのぶさん くおんじ)です。

 1274年に日蓮聖人がこの地に草庵を構えた事に始まり、後にお堂を建築し法華経の根本道場として開いたのです。

日蓮は身延山をインドの霊鷲山を移した山であるとし、信仰の山と位置づけています。

 

【霊鷲山(りょうじゅせん)とは?】

インドのビハール州のほぼ中央に位置する山。釈迦仏が無量寿経や法華経を説いたとされる山として知られる。

ウィキペディアより引用

※日蓮宗は南無妙法蓮華経の法華経です。日蓮が経典の中で一番大切だと感じたのが法華経の教えです。だから当然釈迦が法華経を説いた霊鷲山(りょうじゅせん)を一番の聖地と考えるのが当たり前です。

 

その身延山に初めて訪れたとき、日蓮聖人 が最初の説法を行った地が現在は宿坊の妙石坊にあたります。

この宿坊の境内にはしめ縄が張られた大きな石があります。

じゃらん様より引用

「これは“高座石”といい、ある伝説があります。日蓮聖人がこの石の上で(成仏について)説法をしていると、聴衆のひとりに妙齢の女性がいた。彼女は説法を聞き終えると、龍の姿となり『私は、これから法華経を信仰する人々を守護します』と言い残し、七面山の方角へ飛んでいった。この龍女は、法華経の守護神『七面山大明神』と言われています。

 

そんな出来事が有ったので当然この七面大明神(龍)の事が気になったのでしょう。

龍自ら法華経を信仰する者達への守護を申し出ている訳ですから、当然有難い竜神として祀りたいと思うわけです。そこで龍が居るであろうこの山の頂上に本人が祀りに行きたいと思うのは当たり前の感情だと思います。

まあ、確かに居るようでし・・・・読者の方でも遭遇した方がおられるようです。

龍は想像上の動物でなく、プラズマ体?物質以外だから見える人にしか見えないのだと私は答えを出しています。

見えるので誰もが知っている有名人は役行者。空海。釈迦。彼らに共通なのは瞑想。チャクラが開いているタイプの人が見えるんだと思います。

そんな事情から「いつか七面山に登り、七面大明神を祀りたい」と考えていた日蓮聖人ですが、ついに七面山に登る事は叶わなかったそうです。そこで、日蓮聖人が入滅して16年目に、その思いを継いだ弟子の日朗上人が、初めて七面山へ登りました。

 

現代の私達には想像がつかないかもしれませんが、何も整備されているない昔の山はそれこそ原生林の如く、道などない中切り開きながら進まないといけない状態だったそうです。

とてもじゃありませんが、体力がないと無理ですよね。

 

結局日蓮聖人は七面大明神とは対面していても、七面山には登っていなかったんですね。

 

この様に日蓮が山に登りたかった動機は見掛けた龍への思いが直接的な理由として一番に挙げられる事でしょう。

しかし、私は、他にも当然仏教の一宗派の開祖ですから、仏教的な意味も・・・・そして、一般に気が付きにくいのは、彼の神道的な感覚「太陽信仰」の観点も見受けられると思います。

 

彼の時代・・・・それは、神道の教えが弾圧された時代・・・・しかし、彼の八幡様への信仰心がにじみでるエピソードがチラホラあるのは。捨て去るよりも、織り込もうとしたんだと思います。

その事を表すべく書いたのが日蓮の謎というシリーズでした。

 

さて・・・・人は何故山に登るのでしょうか・・・・?

そして登った先には何が有ると言うのでしょうか?

 

これを読めばきっと「山に登ってみようと」思っちゃう人も居るかもしれません。

当然ですがゴミを落とすとか言語道断ですが(家の読者は良識の或方という前提なので、こういった聖地の事とかも実際にどこか普通に書こうと思っています)

 

 

続きは→その3