デモしかやらずに原発止まるわけないじゃん | 大江ゆかりのブログ

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平成24年度新司法試験再現答案。
私は『とめはねっ!』に出てくる鈴里高校書道部唯一の男子部員、帰国子女です。
第14巻(最終巻)は平成27年5月29日発売!

WPB最新号より引用。

「自分が思うのは、もっと何か大きなことが起こったら、国民は初めて「やるしかない」と精神が統一されて変わるだろうけど、3・11現象だけで変われるかというと、わからない。「これほどデモをやってるのに再稼働が止められない、政治が変わらない」という不満も聞きますが、それは、それぐらいしか変えようと思ってないということなのでは。本当に変わるのは維新の志士のように皆が必死になるときではないでしょうか。

 サリン作って、炭疽菌(たんそきん)作って、自分たちも死ぬ思いをして、死ぬ恐怖を抱えて革命しようと思った妄想で狂ってる人間たちから見ると、「なんだよ、まだデモしかやってないんでしょう」って。「それで変われるわけないじゃん」って。もともとデモぐらいの努力で変えられるものだったら、オウムも選挙で勝ってたろうし。

 だから、少なくとも犠牲を覚悟して、「経済なんかどうでもいい。環境が第一だ!」「失業してもいい。オレたちはそれで自殺はしない。だから野田首相ぜひ止めてください」って言えば、野田首相も止めるでしょう。

 だから、「どうしたら今の政治が、国が、変われるのか」という話を聞くと、私は、「本当に皆、変わりたいのかな」と違和感を覚えるのです。そしてもし、その本音が、長い地道な努力の積み重ねではなく、誰かに委ねて楽に変わりたいということならば、それはオウムのように危険だなと。

週刊プレイボーイ29号「上祐史浩 咆哮搏撃の4時間半 前編」より


上祐氏あたまいいですね。

わたしと、事実認識にはちがいがありますが、本質的なことをはっきり忌憚なく言明しています。

「中坊先生のことを知って、人権派の弁護士になりたいと思いました」とかいっているお花畑の人たちとはちがいます。

「中坊先生でも弁護士やれるんなら自分もなります」といってる人もいます(笑)



現在、宗教学の研究対象となっている自己啓発セミナーでも、人が変われないのは本当に変わろうと欲していないからだ、と言っています。

変わりたいけど心がクールな人物がセミナーに参加すると、その熱気に違和感をかんじつつも徐々にヒートしていく・・・、セミナー後半には火がついたように号泣しながら本音をさらけ出し、「自分は生まれ変わった」と言い出すようなことはよくあります。

でも、変われないんです。変わったつもりでも、一定期間たてば元にもどってしまうんです。「変わった」と思えた状態を維持することに価値を感じていないからだといわれます。

まあ、自己啓発セミナーにも限界がありますけどね。

伝統仏教でも同じことが言われることがあります。


金持ちになりたいとか、モテたいというのでも同じです。

お金に隷従しているから、金持ちになれないんだ。お金に隷従している意識から脱却するために1万円札を破りなさい、と言われて、破れる人はなかなかいません。

こうしたらモテると教えられても、そこまでしてモテたいとは思わないとか。

学部時代に北京に国費留学し、学生結婚した同級生が、彼女とうまくやるコツは「最低人間になる」ことだと言っていました。

それほど優秀なのに、彼女から「あなたって最低」と言われ続け、奴隷を演じ続けていました。首輪まではめられるそうです。

もちろん、自分をどのように作っていくかは自由だから、変わらなくてもいいし、金持ちにならなくてもいいし、モテなくてもいいし、首輪に甘んじてもいいんですが。



私は金持ちになりたいし、モテたいです(首輪は嫌)。

自分のいちばんの願望・欲望を抑制してしまうのも、かなりよくないと思っています。

社会貢献であれ、自己実現であれ、自分のいちばん大きな願望があって、そのために試験にも受かりたいというのなら、合格のための最大最強のモチベーションになると思うからです。

人から感謝され、尊敬されて金儲けできりゃ、たまらんわ(笑)



個人が変わる方法は、古典的ですが、ベンジャミン・フランクリンがやったように、1つの徳目(沈黙・清潔・平静・節約など)をまもることを一定期間集中して意識しつづけるというのが参考になります(『フランクリン自伝』 岩波文庫)。



政治を変えるには、どうするか?

一人一殺をやればテロになりますが、現代もべつの国ではふつうに行われています。もちろん、それがいいと言っているわけではありません。

維新の会の人たちは、橋下市長に共鳴し、選挙に出て、地方議会の議席を得るいっぽうで、自分たちの考えをグラス・ルーツ(草の根)で一般市民に伝える努力もしています。政治家になるべくしてなった特別な人たちの集まりではありません。

代表民主制に乗っかるというのは、社会のしくみからすれば、もっとも効果的な社会変革の方法の1つだと思います。

つまり、意思決定過程や実現過程にコミットメントしていくことです。なお、オウムの選挙は、社会との関わり方・アピールにも問題があったのでしょう。


橋下・維新の会は、ブレもありますが、本気があります。

もちろん、地方議員でもないふつうの一般市民が今の自分のままで原発止めようとしてすぐできる社会的行動といえば、デモぐらいしかないんですけどね。