K学院の元K院長を退職してから、K先生は、ちょうど、私がフリーランスライターになった頃である。私に相談だと言う。

 

 

K元院長が「自分が寮長時代に生徒たちのことを書き留めて来た日記があって、それを本にしてお世話になった先生方たちに配りたいんだけれど。自費出版じゃ高くてしようがないから、出版社を紹介してほしい」と言って来たのである。

 

 

そう言えば、思い当ることがあるのだ。当時は、100万部以上のベストセラーになっていた『だから、おなたも生きぬいて』講談社、大平光代著が無名なのに大ベストセラーになっていたのである。

 

K元院長にこの本の話をしたら、よく知っていたのであるから、自分も同じようにと思っていたはずである。

 

 

私は、たまたま、元朝日新聞社出身の故・児玉進さんがフリーランスと編集者をマッチングさせる会をやっており、勉強会などもあった、私は、ライターに成り立てであったが、出版のいろはを教えて頂いた。

 

この頃は、故・児玉進さんの会で、講談社さんと神楽坂で勉強会をしていたので、講談社の編集者さんも知っていたので、早速、聴いてみたのである。

 

とても、興味をもってはいたが、生徒たちのことを書くのであれば、プライバシーの問題もあるので、生徒たちに了解してもらうことである。興味深いと言われたのは、少年院の内情は知っていても、教護院の内情は、真っ暗闇であるというそうだ。確かにそうだろうと思う。

 

 

元K院長に講談社の編集者さんの話を早速してみたが。

元k院長には、私ぐらいしか連絡をして来ないと奥さんがよく言っていたことがある。だから、生徒たちが今何処にいるかもしらないわけである。プライバシーどころではないのだ。

それを聴いたK学院の元K院長は諦めるしかなかったのである。

 

その後、元K院長は障害者施設の院長になってしまう。しかも、虐待防止を掲げた施設長となったので、私は「この虐待魔が!」と言って、連絡を取るのを止めたのである。冗談じゃない!あんだけ、K学院の寮長時代には、度を超す虐待をして来たはずである。ひとり、生徒を気違いにもさせているのだ。私はそれから連絡を止めたのである。

 

このような経緯があったわけなのだ。

そして、元K院長はK学院に対しての功労として、勲章をもらったので、数年ぶりに電話したというわけである。

 

まだまだ、続きます。読んで下さいね(^^♪