今年度、つまりもう数日で父が長年勤めていた会社を退職します。既に8年近く前に定年は迎えており、嘱託となっていたのですが、それも終えて完全に辞めることになります。


 父の会社人生を見ていると、タイトルにもあるように、人間万事塞翁が馬で何が良い方向に転ずるかわからないことを如実に示しているように感じます。


 まず父は、当時役員であった親族の引きもあり、その頃ならMA○CHレベルだと就職し難かった会社に就職し、しばらくは後ろ盾により速いスピードで出世します。

 しかし、間もなくしてオイルショックにより会社が傾き、実に社員の1/3近くがリストラされるような状況になります。それと時を前後して、親族も失脚。父自身の性格も影響し、出世コースを外れ(おそらく本人にとっては)面白くない時期が続きます。

 そのうち会社が再度傾き、世はバブル絶頂期の浮かれた頃に、ボーナスカット、入社後二度目の希望退職を募るという試練を迎えます。

 それから何年かして子会社出向。十何年か前にはALSを疑われる難病を患い、結局ALSではなかったものの今でも歩行不自由な状態ではあります。


 ここまで見ていると最初良くても後から悪くなる典型例のように思われるでしょう。しかし、そうではないのです。


 まず、会社の状態の方から。もし、バブル当時、他の会社のように羽振りがよくなっていたら、その後に会社はどうなっていたか?

 皮肉にもバブルのときに傾きがちだったため、大きなことに手を出せずに結局バブル崩壊後の惨憺たる状況においても会社が堅調を維持でき、生き残ったとも言い得ます。


 次に父親の出世や病気のこと。父がそのまま順調に役員まで出世していたら、本社に残っていたら、病気をしなかったら、定年から8年近く過ぎるまで、嘱託とはいえフルタイムで会社に残れていたか。

 役員まで行かなかったから却って会社のコストが少なくリストラに会わなかったとも考えられるし、子会社に出向したからこそ技術が重宝がられて雇用延長が図られたとも言い得るし、病気があったからこそ障害者雇用ということで会社にメリットがあるために長いこと雇ってもらえたという事情もあったかも知れません。


 もっとも、常に「俺は」「俺は」と言った感じの父からすれば、いわば細く長くという生き残り方は本意ではなかったかも知れません。

 しかし、名立たる大企業でも、いつ肩叩きに遭うか判らない現状で、あの年まで同じ会社で働いて来れたというのは結果として幸せだったのではないかと思います。


 感謝や労いの言葉を口にしても、当然だと言わんばかりの態度を取るので、あまり面と向かっては言い難いのですが、心の中でだけでも、長いことお疲れ様でしたと言ってあげたいです。