去る18日未明に、このブログの写真にも使っている飼い猫が亡くなりました。享年19歳6か月でした。

年を取ってから、動きが緩慢になったり、目やにや歯槽膿漏が目立つようになる症状はあったものの、昨年ぐらいまでは概ね元気でした。しかし、昨年辺りからガラガラ声のような変な鳴き方が目立つようになり、今年に入っては足の皮膚が剥げる病気が治らずびっこを引いて歩くようになりました。特に先月辺りからは、皮膚の病気とは別に、足腰自体が弱って歩くのが億劫になり始めたようで、最期は顔を上げることすらできなくなり老衰で逝きました。

亡くなる前日夕には、もう相当に衰弱していたようなのですが、私が帰って来ると、一声鳴いたのは、最期の挨拶だったのかも知れません。

 

あと半年足らずで20歳を迎えていたことや、近年は餌の改良により長生きをする猫が増えつつあることを考えると、もう少し生きて欲しかた気持ちもありますが、猫の本来の寿命からすれば、その倍ぐらい生きたのですから、十分なのでしょう。

とは言え、これだけ一緒に長くいると、それが通常のようになるので、いなくなるのは切ない気持ちになります。

 

長いこと一緒だった動物は、14年間いた犬や、10年間いた小鳥のように、これまでもいます。しかし、19年となると、これらを大きく上回る期間になります。

一方で、犬や小鳥がいたのが、幼少期から成人になるまでの期間であったのに対し、今回亡くなった猫は、始めの段階で既に社会に出て、しかも弁理士を目指し始めた頃からだったので、感覚的には然程長くないようにも感じます。

 

猫と一緒にいた期間を振り返っても、大きな進展があったようで無いような、そんな気持ちです。

表面的には、その間に弁理士になり、結婚をし、二人の子供ができ、独立もした。

一方で、自分が、既にその頃から打開しなければならないと考えていた課題は、未だ大部分がそのままのようになっている気もします。

一つの難局を乗り越えると、また新たな難局に遭遇する、その繰り返しだった一方で、19年前から見ると顕著では無いとしても確実に自分なりの進歩があったようにも思えます。

 

一つ言えることは、これからしばらくの期間は子供達が就学し、大きく成長して行く時期になります。これを書くと悲しくなって来るのですが、亡くなった飼い猫が、その成長を天国から見守っていてくれたら、ありがたいです。

 

実際、生前も、家族の誕生日や、クリスマス、正月と言った特別な日に、近くから獲物を採って来ることがよくあり、家の雰囲気を察していたようなところがありました。

一般的に、男性の膝の上には乗りたがらなかったのですが、下記のブログを書いた日のように、凹んでいた日に、何を思ったのか、しっかりと膝に乗って降りようとしなかったこともありました。

https://ameblo.jp/hakase425/entry-12258653432.html

 

最後に、これだけ長い間、散々紆余曲折を重ねて来た自分のある種、支えになってくれたことに、いつまでも感謝したいです。