孔子曰く
「粗末な食をし、水を飲み、腕を曲げて枕とする。楽しみとは又そのなかにある。不義を働いて得た富や地位は私にとっては浮き雲のようにつまらないものだ。」
雑誌には風水というとお財布で金アップ、宝くじの買い方など下賤な話題が多い。
風水は、本来は孔子のような志をもって生きる人ためにあると思われる。
故に、ねずみ講的な不労所得を得ようとすれば、逆に偽物風水に騙されて鉄槌を食らうでしょう。また周囲の人が自分の都合のいいように動くことを前提に活用せんとすれば同様です。
風水で仮に効果を挙げて財を得たとしても、不義を働けばいずれはあばかれ糾弾されれば奈落の底です。自分の実力と過信しグルメして歩けば第9運で令星入囚(財の一番星がロック)になることを風水師から知らされていたのを忘れ奈落の底です。
また孔子のように仁を貫き徳の高い生き様でない人は器が小さいので開運幅が狭い。 風水鑑定以降連絡がない、こちらからしても反応がないのは同様になりやすいです。現実的に地道な努力をする人は後天的に器を大きくすることは可能です。
近年、日本の大企業は不正が暴かれ業績が急落している事例がたいへん多い。
孔子が言うような浮雲のようなだということを知らないのでしょう。
その企業の本社風水を見ると外観だけでも明らかに風水上の致命的な欠陥が見受けられる。
中国伝統風水を活用していれば正しい人事が行われ不義を行う経営陣は誕生しなかったであろう。