大阪ひとり定年生活(旧、中国北京ひとり生活) -341ページ目
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お掃除

今日は早く会社に来ました。
と言いますのは
本日は掃除当番なのです。
朝早く来て会社の周りを掃除するのが主な仕事ですが
会社のある場所はけっこう大きな通りに面しているので
信号待ちをする人が良くタバコのポイ捨てをします。
(私くしは会社の近くでは捨てません。他の場所で捨てます)
それと植木に投げ込んだ空き缶
(私くしは酔った時、他で良くやります)

子供の頃飼っていたネコ

うちの前の家が犬を飼いだしたんです。
ネコぐらいのコロコロした犬で、きっとコロと云う名前だと思う。
でもなんか犬相が悪く、あまりかわいくない。
けど、今のうちに手なずけておかないと
夜中帰ってきたとき、吠えられるのもいやだ。
と思っているうち雨の日のタケノコのように知らぬ間に
すっかり大きくなり
拡大コピーしたような犬が寝そべっているんです。
僕がそばを通ってもしらんぷりしてます。
それはそれでありがたいんですが,ほんとに愛想の無いこと。
考えてみれば周りはほとんどの家が犬を飼っています。
ひょっとしたらこの地域は犬を飼いたい人たちが
引っ越してくるところかもしれません。
 いままで、ネコは飼ったことはあるけれど犬は一度もない。
死んでしまったらかわいそうなのが原因なんだけど...
ネコだって死ぬけど、ネコは死ぬときどこかへいってしまうから
そのあたり、犬とちょっと違います。
 僕が小さい(幼い)ころ、どんなに遠くへ捨ててきても
必ず帰ってくる立派?なネコを飼ってました。
それからはよくかわいがっていたんですが、
よその家で悪いことばかりするので
悪ガキがいてるみたいに近所からいつもおこられた。
そんなおり、誰かが「ネズミに困っている家があるんで
そのネコもらえないか」と、うちに来ました。
役だってくれるならと差し上げたんですが
後々になって、良く考えたらあのネコ、そのまま連れって殺されたんです。
大きくなったネコが簡単によそになれるわけがないし
自分のバカさかげんとそのオッサンに腹が立ってしょうがなかった。

出張旅、ブラジル編

もうこれもずいぶん昔ですが、


ブラジル全土を撮影に行った時の話です。


もちろん今のように、関空がありませんので、成田経由でしたが


現地に着くまで30時間もかかってしまいました。


当時のブラジルはたいへんなインフレで現地通貨を山ほど持たないと買い物できません


そこで、ドルを使うわけですが使えないところもあり、残った紙幣をみんなで燃やしてしまいまた


当然治安もわるい。撮影当初から車をパンクさせられ


結局現地シンジケートを雇ってからは、そういう事故はなくなりました


今回のコージネータはブラジル移住している夫婦で、日本からのテレビ局の案内も過去に多くてがけてきたらしい


 ほぼ2ヶ月くらい現地にいましたので


この夫婦がもってきてくれたおにぎりには、ホント涙がでるくらいうれしかった


しばらくしてこの夫婦が経営している日本食レストランに夕食を招待してくれた


座敷からは海が見え酔いにつれ、「来てよかった」とその時は思った


とにかく、仕事でくると早く帰りたい一心でいつも日本に帰ったらどんなつらいことでも


がまんできると思うそんな心境になる


ここでもっと嬉しいかったのは、なんと夫婦の娘さんが和服を着てわれわれの相手をしてくれたのである


 かわいい!きれい!僕は一緒に記念写真を撮った。


日本に帰ってきて写真を見たとき


え!こんな娘だったけ?


かわいくない


写真写りが悪いんだろうか


そんなことはない??


山登りする人が「山から帰ってきたら女性がキレイに見える」


と言う話しは本当でした。

「こそく」なヤツ

JR大阪駅で切符を買おうと千円札を入れ、切符と釣り銭を手にして

「あれ?500円玉が無い!」

呼び出しボタンを押そうとして、釣り銭窓口を見ると

500円がひっかかている。

こんな事も時には起こるのかと指先でお金をひっぱり出すと

なんとチューインガムがお金の落ちてくるところに付けてあるんです。

”こそく”なことをする者がいるもんだ。

でもこれ、まだ犯人は遠くへ行ってない。

ベタベタしてる!

きったねー



-雑記-父親違いの兄

わたくしの生まれは和歌山の山奥で、父親は炭焼きをしてました。

山の樹林のみ買って、そこが済めば又べつの山を買って

そうして次々と移動していた。

まるでジプシー生活のようだが

中学の時、海辺まで引っ越して来てそれ以上は海なので

そこで止まった。

すぐに友達になってくれる人も多く、中学生時代が

一番楽しかったと思う。

(高校は工業のため女性がいなかった)

この年代は思春期でもあり、何事にも関心、好奇心があった。

理科の時間、氷を使った実験をした後、先生が

「氷をこのまま放っておいたら溶けてしまうなー」

と言ってたので、僕は冗談で「毛布被せといたら?」と言ったら

先生が「それも良い案やけど、そんなもん無い」と言った。

「冗談で言った」 と書いたのは

僕は毛布は暖かいものだ、こんな暖かいもので氷をつつんだら

よけい早く溶けると思っていた。

 この一言で僕は開眼(目から鱗が落ちた)

今の中学生が聞いたら笑うかもしれないが...

そして---もう一つ解らないことがあった。

これも理科だったか忘れたが、植物は花を咲かせ

蜂や風に花粉を運んでもらい、受精?して実を結ぶと

教えてもらった。

でも花自身にも花粉はあるし、なんでよその花粉じゃないと

だめなのか、種を増やすためなら自分自身で実を結べと思った。

 ずいぶんと後から理解できた。

ようするに、種を絶やさずに強く育つためには

病気や、冷害、干ばつに強くなければならない。

もしある土地で伝染病が流行り、植物が枯れてしまったとする

この情報をいち早く他の仲間に伝えるべく、生き延びたものは

その花粉を運んでもらい、実を結んだ種には

その病気に勝てる抵抗力は備わって生まれる。

極端な例は、ノミやダニに今年使った殺虫剤は

来年効かないし、ネズミは毒に強くなった行く。

最近抗生物質の効かない菌が出てきた。

 少し飛躍しますが

あまりみんな話題にしたくないし、最近聞かない話に

部落問題があります。

今でも時々、差別をなくそう!部落解放とかポスターを見かけるが

子供にも教育として、教えているところもある。

何も知らない子供にそんな事教えて、

「部落と言うところがあって意地悪したり差別したらいけないです。」

それならいっそ言わなければ知らないままですんだのに。

きっと解放とか叫んでいる人は、他に理由があると思う。

-世間から見放された人たちは

仲間内から結ばれ優生保護の面から良くない

これは先ほどの植物と同じことが言える。

人間は一度AさんとSEXをしても、次のBさんとの間に子供が

出来てもAさんの血は一切引き継がない。

ところが犬や、猫はやっかいである。

一回でも他の種とすると以後ずっと雑種になってしまう。

血統書付きの犬や猫は価格が高いのもうなずける。

癌と言う病気も遺伝子から来ると最近わかって来た。

実を言うと僕はずいぶん前からそう思っていた。

これを書くと長くなるが、

 そして昨年、姉から電話があり、「私らに兄さんがもう一人いてるの

知っていた?」

僕は内心、またうちのオヤジはどこかで......と思ったが

内容はそんなことではなかった。

父親は戦争で中国に8年も行ってた。

どうもその間に母側に出来たこどもらしい。

父親の怒りがどんなものだったか想像するだけで

おそろしいが、そんな時代に生きた母親もたいへん

だったろう、無理矢理出来たのか、それとも..

いや、そんなこはととても聞く気になれない。

その子が16才になった頃、町から出ていった。

いや、追い出されたのかも知れない。

なぜ今頃そんなことがわかったのか?

それは父親がその子を許したからである。

そもそも子にはなんの責任もないのだけれど

父親は未だ元気そうに見えるけど

先が見える年になると、どんなことでも許してしまう。

 で、早速その兄から息子が結婚式をあげるので来てほしいと

連絡があってでかけた。

兄の家は立派であった。

どれだけ苦労してここまで店を大きくしたことか

想像を越えるものがあったろう。

そして二人の男の子を授かり、今一人が店を次ごうとして、

そして結婚の話もある。

そんな大事な時兄は癌にかかったのである。

肝臓癌でそれも末期状態まで行った。

でも兄は癌に勝った。

医学の力ではなく、生きたい!治ってほしいという心が

癌に勝ったのである。

医者もビックリしているが、その話を聞いた人たちが

治療法を聞きにくるらしい。

僕も少し聞いたが、ちょっと健康な人にはくるしいほどの努力がいる。

普通子供が病になると母親が井戸で冷水を被る映画を観たことがあるだろう


あたりまえだけどあれは効果が無い


自身を心のためにしかならない

兄は自分自信で冷水を被る。

心で叫び、身体に教えるためである

けっして冷水自信が癌を治したのではない


ダニとの戦い

ダニとの戦い
この長屋に下見に来たときわたくしは姉夫婦と一緒だった
家の中を見終えたあとわたくしの足に黒いものが...
手ではらって翌日、自宅マンションに帰ってから
あちらこちらがかゆい
どうもあれはダニだったらしい
後で姉に電話すると
「わたしらはなんともない」と言われてしまった
それから何ヶ月か後、もうダニのことは忘れたころ
わたくしはそのダニ家に引っ越した
さあ大変かまれる、かまれる
バルサンに殺虫剤ありとあらゆる薬を使った
人間が死ぬかダニが死ぬかの戦いでした
しかし毎日殺虫剤をまいている訳ではないので
しばらく忘れていると又かまれる
近くの薬局に強い薬はないかと相談すると
店主は茶色の瓶を取り出してきた
見ると中には錠剤が入っている
そして店主はこれを毎日飲んでください
え!僕がのむんですか
そうです。ダニにはかまれやすい体質と、かまれにくい体質があると言った
わたくしはだまされたつもりで6千円もだして買ったが
長続きしない性分なのですぐにのまなくなった
と、言うより季節が変わるとかまれなくなったため
ダニのことも忘れてしまうのです
でも梅雨が訪れると又かまれます
で「も何年か経つと段々かまれなくなりました
薬局の言った、体質は本当だと思います
しかしわたくしは薬を飲んで体質が変わったのではなく
我が家を住居にしているダニがわたくしの血に飽きたのです。
我が社に体臭のきつい人がいます
日頃は分からないのですが
汗をかいたとき臭うのです
でもその人は蚊にかまれのくいのです
きっと先祖はそういう環境で働いていたので進化したのかもかも知れません

母の死

4/30に母が亡くなった

もうだめだと前から言われていたので電話で知らせがあった時は別にショックも無かった

帰省して実家のドアを開けると顔にハンカチを乗せた母があった

その時初めて「死んだ」事を実感した

いろんな事を思い出して勝手に涙が出てきた



高齢であった事、大往生である。

だから悲しみが少なかった。


病で寝たきりの看病の大変さ、そのことでの兄弟のもめ事が母とともに去っていった。


騒音

近所で協会(宗教)が朝から行事を行うのでうるさい。





アパートの2階の人が





でかい声でどなった「○○教やかましい-----」





その日から行事はなくなった。





すぐ近くの民家から朝の5時にニワトリが鳴く





今度はわたくしの出番になったが





その家に文句を言いに行った。





ご主人らしきひとはすぐにわたくしの事を聞き入れてくれた。

主人は自分の家の中に向かって叫んだ





「だからニワトリなにか飼うなといったやろ!」





その先には幼い娘がいた





それからニワトリの鳴き声はしなくなった。





この日から睡眠不足の朝を迎えることが無く晴れやかな気分であるはずなのに





わたくしの心は曇ったままだった

パトカーにのせられた

今は飲酒運転なんて絶対できないですね。

昔は自他ともに多かったけど

必ず降下になった先の見通しがきかないところでやっている

わたくしの近所に降下をおりたところに吉野屋がある

そこの先で検問をやっていた

おかげで吉野屋の駐車場は満員になっていた

友達とお酒を飲んで運転している時、橋にさしかかった。

友達は「ちょっと先まで行って見てきて」とたのまれて

歩いて橋の中央まで行った

赤色灯が点滅している

パトカーは1台しかない。検問じゃないかも?

と思いつつノコノコとパトカーの近くまで行った

検問では無いのでそのまま来た道を引き返した

なんと!そのパトカーはわたくしを追いかけてきた

警察:なんでにげるんや!

私:逃げているんではないランニングしていただけ

警察:セッタ履きでランニングするか?

(ほんと商売がら良く見ている)

でもわたくしはランニングで押し通した

理解はしてもらったが警察は家まで送ると言うのである

断ると友達の車に引き返すことになるので

嫌々のせていただいた

むかしむかしの話だけど

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