前にblogに書いたRiskiくん、12月に亡くなりました


ここで書いてから、みんないっぱい心配してくれたり、寄付を申し出てくれたのに、報告が遅くなってごめんなさい


亡くなる数日前ご両親から電話が来て、状況は悪くなる一方だし、もう疲れたし、ロンボクに帰りたいけれど、自分たちにはどうしていいかわからない、と相談されました


日本なら在宅医療もできるけど、Indonesiaではまだそんな医療は整っていないし、酸素をつけて飛行機に乗れるのかとうか・・・

保健センターで相談してみたけれど、ここではできないと言われました


どうしてあげたらいいかなあと考えていた時、突然亡くなったと連絡がありました


なんだかとっても無力感いっぱいになったけど、そのあと法要にも伺って、ご両親はとても感謝してくれました


イスラムの方は亡くなった後9日目、40日目、100日目、1000日目に、日本でいう法要を行います

お料理を作ってご近所の方たちを招待します


その100日目が3月29日なので、是非お参りに行こうと思っていたのですが、riskiくんのお父さんからメールが来て、その法要のためのお金を借りたいと言われました


Riskiくんの家庭の経済状況を思うと、借りたいと言っても返すのは不可能な気がします


前に付き添い費用を支援していた有志のボランティア団体は、貧困で困っている人たちを助けるものだけど、法要で大切なのはお祈りする気持ちであって、ふるまうごちそうは絶対に必要というわけではない

と私は思いました


でも、宗教を重要視するこの地域の方にとっては、日本人にはわからない感覚があるのかもしれない


迷ったので、保健センターの人たちに相談したけれど、

「Indonesia人は怠け者だからお金をもらえると思ってあてにするんだよ」

「いくらって聞いたらだめだよ、絶対多く言われるから」

と言われました


Riskiくんのご両親はそんな風にいう人たちではないと思うし

子供の為にちゃんとした法要をしてあげたいという気持ちもわかるので、ちょっと悲しかった


お金を出すのは簡単だけど、これは私たちのボランティア団体で支援する案件にならないと思ったし

私が個人でお金を貸してあげればいいのかもしれないけど、でもじゃあ次1000日の法要の時私はもうIndonesiaにいないし、全てのことにお金を貸してあげていたらきりがない

そう思って丁重にお断りしました


でもこれで良かったのかなあとどうしても色々考えてしまって


そんな私の気持ちを汲んで、保健センターのみんなが、今度の法要に自分たちも一緒に行くから、その時に気持ちのお金を包んであげようと言ってくれました

インドネシアの人、特にイスラムの人は、やっぱり助け合いの気持ちが大きいのか、周りにいたみんなが「私も」「私も」と言ってくれて、とても嬉しかった


だけど、そうメールを返すと、お金がなければ法要はしないで、孤児の子たちにお弁当を買うだけにするから、大人は招待しないよ、と言われました


Riskiくんのお父さん、せっかく頼ってくれたのに、お金を出さなかったら気を悪くしてしまったかな

日本人だし、月1万円出せる余裕があったんだから、法要のお金くらい出せるでしょって思ったかもしれない

けちだなあって思ったかもしれない

せっかく今までいい関係だったのにな・・・


Indonesia語だし、メールだし、本意はよくわかりません


お金の支援をするって難しいなって、このボランティアに参加するようになってからよく思う


とりあえず、100日には法要があってもなくても、お参りに行ってこようと思います