今話題の「年賀状じまい」で思い出した「親戚じまい」 濃すぎる田舎の人間関係を緩和する庶民の知恵 | 地方都市は死なず! 滝沢いっせい ブログ爽創通信  *09016693890*kpissey@rf6.so-net.ne.jp*

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上越市議会議員滝沢一成のブログです! 日々感じたこと、考えたことを、できるだけ素直に書いてゆきます。
滝沢一成のテーマは「雪」「老い」「貧困」、これらを追及します。

これから先年賀状を出すことをやめますと連絡する「年賀状じまい」が話題になっています。それで思い出したことがあります。

上越だけではないと思いますが、親戚と縁遠くなり、親戚付き合いをやめる際、正式に挨拶する「親戚じまい(づくし、だったかも)」という習慣がありました。かつて、というべきかもしれません。

近くて濃い人間関係が長く続く田舎だからこその習慣なのでしょう。

50年も前ですが、祖母が死去した後の法事で、父が祖母の従兄弟から向こうの親類に、「親戚じまい」の挨拶をしていたことを思い出します。

思うに親戚じまいは、窮屈な付き合いを少し緩和する庶民の知恵なのかもしれません。4代5代遡れば、街なか、田舎、かなりの家が縁者になってしまいますから。
私で言えば、中学高校の同級生のうち、遠縁にあたるのがざっと片手はいました。

父の話は半世紀も前ですが、さて自分はどうするのか。そんな事を考えなくてはならないときが、ひたひたと近づいています。
今どきは自然消滅が普通かもしれませんね。