ブレブレタコラの逆襲 -181ページ目

ダイジェスト:2005年2月21日より。(ほぼ日刊 hitorigotoより抜粋)

どこの世界も世代交代の時期なのよ。
とはいいながら、音楽の世界では、新しい優秀なスタッフの出現はわりと少ない。
まあ、じつはアーティストも不作なのだが。
ある芸人のお笑いのネタで、「大○愛のヒットを見ると、昨今のJ-POPの不作を感じずにいられない。」というのがあったけど、まったく、そう思う。

ダイジェスト:2005年2月18日より。(ほぼ日刊 hitorigotoより抜粋)



思いおこせば、クラシック音楽や現代音楽といわれる物を聴きはじめたのは、この業界に入ってから、しばらくしてからの事だった。
学生時代は、フォーク、ロック、ニューミュージック、ブルース、フュージョン(クロスオーバー)、ジャズまではなんとか嗜好の対象だったが、昔を思い出すと、クラシックや現代音楽等を聴いて「良いな~」なんて思う自分が、ここに存在すること自体がびっくりする。
大人になると、いろんな音楽の良さが少しづつわかってくるのね。
今日のBGMは、「フィリップ・グラス」も、こんな事やってるんだ~。っていうシリーズで、幅ひろい交友関係が覗かれる作品。
「デヴィッド・ボウイ」の「LOW」と「HEROES」をシンフォニーでやってる「"LOW"SYMPHONY by PHILIP GLASS from the music of David Bowie & Brian Eno」と、「"HEROES" SYMPHONY by PHILIP GLASS from the music of David Bowie & Brian Eno」。

ダイジェスト:2005年2月16日より。(ほぼ日刊 hitorigotoより抜粋)

地震で災害にあった事がある方々には申し訳ないが、いつも地震が起きると、私は、何故かウキウキする。
不謹慎な奴だ。
台風で風が強いと、子供たちが飛ばされそうになりながら、はしゃぐのと同じだと思って、許してほしい。
ベッドに寝ていて、地震が起きたりすると、本当に、「もっと揺れろ、もっと揺れろ、ビルが倒れるまで揺れろ。」と叫びたくなってしまう程、喜んでしまう。
でも、誰かが傷つくなんて、本当に考えてもいないんです。
ただ、他の人が恐怖と思う事が、私には楽しいと感じられるだけなんです。
飛行機に乗っていて、エアポケットに入って揺れるのも、すごく楽しいし、着陸のときには、ショックが無いと、すごくつまらなく感じる。
一度、本当に恐い目に会えば、ちょっとは変わるのだろうか。

そんな私だけど、じつは、ジェットコースターも、バンジージャンプも、一度も経験した事が無い。

誰か、今度、連れて行ってほしい。

本当にワクワクする。

ダイジェスト:2005年2月16日より。(ほぼ日刊 hitorigotoより抜粋)

リアルな夢を見た。

タクシーに乗っている。
メーターは360円だった。
(安いということは、今の時代じゃない。)
目的地で降りようとすると、「お客さん。良かったねえ。私の車に乗れて。」と、運転手さんが言う。
「えっ。なんでですか。」と聞くと、「もうちょっと後の車に乗ったら、事故にあってアウツだったよ。」と運転手さんが答えた。
そういえば、この前も、そんなことがあったなぁ。と、思った。その時も、運転手さんに、同じようなことを言われて、後で、新聞を見ると、本当に直後に事故があって、
きっと、ちょっと遅れて出かけていたら、巻き込まれていたかもしれなかったのだ。
(もちろん、これも夢の中の出来事です。)
「この前、同じようなことがありましたよ。その時も運転手さんに言われて、後で新聞を見たら…。」と言いかけたら、その運転手さんは、「私ですよ。その時も。」と言う。
なんと、そのとき予言をした運転手さんだったのだ。
普通なら驚くはずが、それほど驚きもせず、私は「あぁ。その節はありがとうございました。」とお礼を言いながら、タクシー料金を払おうと、小銭入れから360円を取り出そうとした。
すると、その運転手さんは私の小銭入れをのぞきながら、「400円いただけると嬉んだけど。」と言ったので、「いやぁ、そんな命の恩人に、もう~、全部持っていってくださいよ。」と小銭入れのお金を、全部、出して渡した。
(命の恩人なら、小銭じゃなくて、もっと札でも渡せよ。)
運転手さんは「いやっ。悪いねえ。」と、躊躇もせず受け取った。
私は、後で、あらためてお礼をと思い、「連絡先を教えてもらえますか。」と、聞くと、「いいよ。」と言って、住所や名前の書いてある大きい封筒を渡された。
そこに書いてある住所と名前を、自分のメモ帳に書き写したところで、自分がベッドの中にいることに気がついた。
(以上、全部、夢の中の出来事です。)
思い出そうとしても、住所も、名前も(苗字も)思い出せないが、イッセー尾形のような運転手さんの顔と、動物(熊?)のキャラクターの漫画が書いてあるバンタイプのタクシーの形は、はっきり覚えている。

リアルな夢は、何か、これから起きる事に対する暗示である事が多いとよくいうけれども、これも何かの暗示?

でも、意味が分からない。

ダイジェスト:2005年2月6日より。(ほぼ日刊 hitorigotoより抜粋)



NHKの「トップランナー」という番組で、「ハナレグミ」こと、「永積タカシ」が出ていたので見た。(「ハナレグミ」とは、「永積タカシ」のソロ・プロジェクトの名前。)
以前、彼が、前にやっていたバンド「スーパー・バター・ドッグ」の曲、「サヨナラCOLOR」を聞いて、知り合いのミュージシャンや、後輩、担当アーティストまでに、「良いよ。良いよ。」と、言いまくっていたのを思い出した。
私のイメージの中の「永積タカシ」は、「カーティス・メイフィールド」+「ジェイムス・テイラー」。
FUNKミュージックをルーツとした音楽をやっていた「スーパー・バター・ドッグ」が「サヨナラCOLOR」のような曲をリリースしたときには、本当にびっくりした。
彼が、子供の頃には、親の運転する車の中で、「ビリー・バンバン」や「吉田拓郎」などのフォークがよく流れていたという。そして、彼が、音楽に興味を持ちはじめて、最初に衝撃を受けた曲が、「ボブ・マーリー」の「ゲット・アップ・スタンド・アップ」。こんなところから、彼の音楽は生まれてきたのだろう。
インタビューをはさんで、3曲目に「サヨナラCOLOR」を、歌った。
聞いていて、不覚にも、47歳になる私は、泣いてしまった。
彼は、現在30歳。
新人の、いい歌が歌えるアーティストを探してるんだけど、やっぱり、いい歌が歌える人って、このくらいの年になっちゃうんだよな。

ダイジェスト:2005年2月6日より。(ほぼ日刊 hitorigotoより抜粋)

一時、ギャンブルにハマっていた十年以上も前のことを思い出した。
どうして、そんなにハマっていたのか、自分でもわからないが、給料が、手取り30万円くらいだった頃、給料日には、給料全部以上のお金を、貯金通帳から引き出して、渋谷の、違法のポーカーゲーム屋につぎ込んでいたことがある。(で、賭博、博打の刑法の時効は大丈夫だろうか。)
ひどい時は、次の日からコンサートツアーで、会社の経費を持っていたときなんかは、そのお金すら、全部すっちゃったりなんかして、あわてて、次の日の朝、サラ金にお金を借りて、地方にツアーに行ったことなんかもある。(もちろん、返しました。)
もちろん、勝って、立つくらいの現金の札束を持って帰ったこともあるが、結局は、計算すると、大変な赤字だ。
知り合いの、ある人は、ドイツ車を3台買えるくらい負けているという話も聞いた。
でも、なんだか、楽しかったのね。
賭博場の中では、年齢も、役職も、何も関係ない。それぞれ、一人の孤独な賭博師同士。
レコード会社の宣伝マンがいたり、プロダクションの社長がいたり、アーティストのマネージャーがいたり、現役じゃないけど、今のレコード会社の社長や、重役になっている人までいた。
そんな会社の地位が、バラバラな連中が、対等に会話して、「そんなに、ムキになっちゃ、駄目だよ。○○ちゃん。」とか、「その台は、やめといたほうがいいよ。昨日ロイヤルが出ちゃったから。」とか、そんな会話がとぶのだ。
いやー、楽しかった。
バブルですね。狂ってた時代ですよ。

じつは、もっと、もっと、言えないような話が、あるんですが、ちょっと、まだ、時効が来てないような物件なので、あと、十年くらいしたら書きます。

ダイジェスト:2005年2月3日より。(ほぼ日刊 hitorigotoより抜粋)

作詞家兼WEBデザイナーのK氏に、以前から、三田においしい焼き鳥屋があるという話をしていたので、夕方から、三田で待ち合わせをして「世良田」に行く約束をしていたところ、ちょっと、私のほうが、野暮用で予定の6時になっても、電話をとることができなかった。
私は、滅多に、遅れたり、連絡が取れなくなったりすることが、まず、少ないため、心配?したようだ。
彼が、私に、いくら電話しても出ないので、部屋のあるマンションまで行ってインターホンまで鳴らしたと言う。
6時15分くらいに、田町の駅に着いて、やっと、彼に電話をすることができたのだが、「一人暮らしだから、お風呂で、倒れたりしているんじゃないかと思って、心配しましたよ。」なんてことを、言われた。
でも、15分、遅れただけでしょ。そんな大袈裟な。
彼は、39歳にして、何度目の大学かは知らないが、仕事をしながら、横浜国大を受験し、合格して、近々、横浜に引越をして、仕事もしながら、大学に通うと言う。
勉強嫌いで、試験嫌いの私には、どうも、理解できない。私は、「京浜急行の駅の近くに引っ越してくれると、また、一緒に飲みにいきやすいから、そうしろよ」なんて、勝手なことをいいながら、飲み終わって、店を出た。

外は、強力な寒さだった。
「もう~、また、暖かいところへ、出かけたいよ~」

ダイジェスト:2005年1月30日より。(ほぼ日刊 hitorigotoより抜粋)

昨日、「億万のココロ」という日本テレビの番組を見ていたら、ロンドンブーツの発祥は日本とのこと。
発案者は細野さんという。
札幌にいた学生時代、HOSONOブランドのロンドンブーツを、わざわざ友達に頼んで、東京まで買いに行ってもらったことがある。その時は、注文待ちということで、買えなくて、知り合いが履いていたものを、無理矢理譲ってもらって履いていたのを思い出す。
番組での情報では、当時の値段で、店頭価格が18,000円だったとのこと。現在の値段に変換すると54,000円に値すると言う。当時、学生時代の私は、ファッションに、そんな、お金をかけていた訳じゃなかったはずだが、札幌では、売ってなかったので、履いているだけで、なんとなく、知る人ぞ知るHOSONOブランドということで、ステイタスだったのを覚えている。
海外のアーティストが、日本まで、わざわざ買いにきていた理由が、日本発祥だったからだということで、謎が解けた。
ある意味で、日本って、すごい国だ。
「ロンドンブーツ1号2号」も、細野さんに感謝しなくちゃ。だって、細野さんがいなくちゃ、”ロンドンブーツ”って言葉もないんだから。

ダイジェスト:2005年1月15日より。(ほぼ日刊 hitorigotoより抜粋)



今日のBGMは、「サラヴァ・レーベル」(SARAVAH)の BOX BEST「サラウ゛ァの軌跡1967-2002」(Les annees Saravah 1967-2002)。
「男と女」で有名な「ピエール・バルー」(Pierre Barouh)が主催、プロデューサーをつとめる「サラウ゛ァ・レーベル」の3枚組 BEST。「ブリジッド・フォンテーヌ」、「フランソワーズ・アルディ」、「ジャック・イジュラン」などを輩出。もちろん「ピエール・バルー」も歌っている。

むかし、コロムビア・レコードで、本人のレコーディングで「ピエール・バルー」に、会ったことがある。じつに気さくで、赤坂のピアノ・バーで、ご機嫌に弾き語りを披露していたのが思い出される。
そういえば、思い出したが、そのとき、日本でレコーディングして、リリースしたアルバムが、フランスで発売された時に、日本語でタイトルが書かれている帯ごと、そのまま印刷されてジャケットになっていた。日本のタイトル帯がおもしろく感じたのだろうが、どういうセンスか、わからない。

ダイジェスト:2005年1月11日より。(ほぼ日刊 hitorigotoより抜粋)

携帯電話を持ち始めて十何年。と、いうことは、もう腕時計をしなくなってから十何年も経つ。
携帯電話では、時間も日付もわかるので、携帯電話を持つようになって、間もなく、腕時計を付けるのをやめたのだ。
ふと、海外旅行のことを考えると、携帯電話は持っていない訳だから、時計を持ち歩かなければ、時間がわからない。私は、理由もなく、人一倍、時計で時間を気にするほうなので、ひさしぶりに、引き出しの中にあるはずの腕時計を探した。
十何個かある腕時計の中で、正常な動きが確認できたのは自動巻の国産腕時計2個だけだった。他のものは、電池が切れていたり、古くて狂いが気になったりする。
とりあえず、慣れておくため、今日から、「SEIKO FIVE AUTOMATIC」という、十何年前かに、パチンコにハマっていたときに景品でとった輸出仕様の国産腕時計を、左腕にはめておくことにした。
しかし、十何年も、裸で放っておいて、錆もなく、正常に動くとは、国産腕時計のなんと優秀なことか。
でも、ひさしぶりに、腕時計をつけると、やっぱり重たい。