前世
意外に奥深かったね・・・。
重い前世だったからなおのこと・・・・・。

でもクリアできたと思います。

先日お仲間の夢に 私が登場して
「私は下照姫なの・・」と伝えていったらしく
この方は奥ゆかしいので、伝えていいものか悩んだみたいだけど
教えてくれました。
たまにあることなので、不思議はないですが
しっかり調べてみました。

ところが・びっくり・・下照姫を調べれば調べるほど 私か‼  というくら似ていて
一番しっくりくる! 

それで講座時に
前世のセッションをしていただきました。

さて下照姫とは?

玄松子さんのHPから
お借りしました。

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下照比売命
したてるひめのみこと

別名
下光比売命/下照姫命:
したてるひめのみこと
高比売命:たかひめのみこと
天照高比売神:あまてらすたかひめのかみ
天照高日女神:あまてらすたかひめのかみ
高姫:たかひめ
稚国玉:わかくにたま
大倉比売命:おおくらひめのみこと

大国主神が宗形三神の奥津宮に坐す多紀理毘売命を娶って生れた御子が、
阿遅鋤高日子根神
と、その妹高比売命。
下照比売命は、
天津国玉神の御子・
天若日子の妻。
天若日子は
阿遅鋤高日子神
と瓜二つで、
天若日子の死に際し天若日子の親族により間違われて怒る。
このとき、夷振(ひなぶり)の歌謡を歌った時は高比売命と記されている。
これは、高日子神に対する名称だと考えられる。

    下照の名義は、下=赤として赤く輝くとも、下方を照らすとも考えられる。

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    調べた結果ですが・・いろいろわかりました。
    要は下照姫は
    大国主の娘で、宗像三女神の中の多紀理姫が母親。

    天若彦が高天原から派遣されて出雲に来て
    恋仲になり一緒になった。
    しかし、本当は天若彦は国譲りの調整をとろうとして先に派遣された天穂日命を探しに出かけたが
    三年経っても帰らないので
    様子を見て来いと
    勅命を受けて、出雲に行ったのだった。
    そこで仕事を忘れ、恋をして下照姫と結婚して子をつくり(御手洗姫)
    八年も高天原に帰らずお役目を果たさなかった。

    幸せに暮らしていたが、いつまでも帰らないので偵察を送りこまれた。
    その偵察にきた雉鳴姫を邪魔として、矢で殺してしまった。
    その矢を持って帰った従者から、矢を見て天若彦が犯人とわかり
    密偵に返り矢を打たれ死んでしまった。

    悲しみに暮れる下照姫は
    兄のアジスキタカネヒコに伴われて
    葬式をするために岐阜の天若彦の里に遺骨を持っていった。
    行ってびっくり! 実は妻子がいて、
    高天原の裏切り者であったこともわかり、
    高天原には入れてもらえない。
    二重の裏切りに驚き、泣き叫んだ下照姫の鳴き声が
    高天原にまで響いたということだった。
    兄のアジスキタカネヒコが
    義兄弟なのに天若彦に似ていたので
    親族が天若彦が生きて戻ってきたと喜ぶのを
    裏切りものに似てるといわれるのが腹立たしいと
    アジスキタカネヒコは喪山を壊してしまいます。
    天若彦の父親が喪山を作ってくれたので葬式を行い
    しばらくそこで祈りをささげていたという。

    そののち二人で暮らしていたところなのか
    出雲にも岐阜にも帰れなくてここに住んだのかはわからないが
    海路で伯耆(鳥取)に帰ったらしく仮屋崎(現在の湯梨浜町の宇野と宇谷の間・・羽合らしい)に着き、
    倭文神社のあたり〈御冠山)に住み、
    安産の普及に努めたという。
    下照姫命は故郷の出雲を偲び、度々塞ぎ込んだ。
    そんな時にこの高台にやってきては、
    遠く出雲の方角を眺めていたという。
    もしかすると里でもあるが
    二人が出会った出雲を恋しく思われたのかもしれない。
    この姿を見た人々が、おいたわしい・・・といつしか出雲山と呼ぶようになったといわれているということだ。
    下照姫命は、展望台からほど近い御冠山の中腹にある倭文(しとり)神社の祭神で、安産の神として知られている。

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    悲しい話です
    前世はリンクが多いという話をしましたが私が関連することを載せてみます。

    ◎父親に恵まれない ← 大国主はいつも国土の拡張のためにいないことが多かったようだ
    ◎夫に死なれる 
    ◎夫に騙される

    ここは私のテーマです

    父親の不在
    夫の裏切り
    いつも悲しくなりうつうつとすることがある。
    裏切りなどに過剰反応する

    そしてその他のリンクは 
    ◎大国主関連の白兎神社 私の母方に相当古い時代から白兎神社の神官だった一族が居ます。

    ◎いつも夕陽見ながら泣くのは私の癖です。どの前世でもいつも外にいて夕陽を眺めて居ます。

    ◎東郷池のそばで 釣りをしていたそうです。 ←釣り好きです。私。

    ◎機織り好きです。←機織り機はないので 編み物をよくしていました。コツコツチクチクやってるのが好きです。


    そして 

    この夕陽の写真は出雲山から見える夕陽だそうです。
     びっくり !!!前世のセッションで見えていたのは
    まさしくこれだったのです!!!


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    そうか・・・なるほど


    私はヘミシンクでいつも泣いていましたが

    私の魂の根源に「悲しみがある」というのが なかなか抜けませんでした

    前世の傷は大きく こんな時は運命だと諦めるしかないと思っていました。

    いろいろ出しました

    あの時代もこの時代も・・
    ありとあらゆる前世を掘り下げ
    最後に魂の一番のテーマにたどり着くものですね。

    これでもう大丈夫だと思いました。
    そして
    現世の天若彦に文句をそうとういいました。

    なぜだました!
    なぜ死んでしまった?

    前世では死んでいるので 
    訴えられなかったので
    今回それを思いっきりぶつけました。

    すっきりしました・・・。 笑

    そして ああ・・・私はこの事を怒り 
    言って共感してほしかったんだなと
    思いました。
    死んでる人には一方通行ですから

    父の死で死の苦しみを得たけど
    時間かけて克服しました。
    今はもう平気です。 
    悲しいけど悲しみはなくならないから
    悲しいを受け入れて 手放してしまったのです。
    それでも人は生きねばならないのですから。

    そして 現世の天若彦にいいたいことを言って
    すっきりした後に現世では前世のようなことがないようにしてもらおうと前向きになりました。

    今までならもうやめる 別れるということばが
    いつも出ていたのですけどね・・。

    過去の思いを清算すれば
    本当の意味で終わります。

    先日の静御前もそうでした。
    本当の意味で残って居る苦しみを解放したら
    楽になっていくので
    前世の重い方は一度
    本当の解放に セッションを使っていただき解放作業に向かうといいと思います。

    静さんはヒプノを習ってくださったので
    十回以上セッションをしています。
    だからこその皮むきの結果だったかもしれませんけど
    重いものを片付けると
    本当の意味で 魂の平安を味わえます。

    セッションをすませて、なにも無くなったからこそ
    もう この先の人生 あと半分を大事に生きねばならないなあと
    違う視点を持てるようになりました。
    怖いものなどもうないし
    好きに生きようと思えました。
    自分らしく
    自分を認めて
    自分軸で・・・。

    さあ 人の目ではない 自分の目で 自分をみて
    構築して

    生きていこうと思います。

    ヒプノセラピー 侮れませんよ^^

    人の魂の浄化をするセッション 浄霊出来るセッションは 
    私の特許みたいなものです。

    みなさまも是非 いかがですか?

    根に深いものがある方は 是非お越しくださいね

    苦しみが癒えない生活をいつまでも送ることはありません。

    私は苦しみました。


    でも 苦しみがあったから 這い出すことも出来たのです。

    ありがたいことだと思います。

    生きるということは   
    長い道のりを味わい尽くすことなのだと思いました。
    学びました。
    わたしは皆様より
    歳を得ていますから
    わかることも多いはず

    皆様はこれから・・・・

    さあ みなさまも歩きましょ 自分の人生の道を!



    さて
    彼女の住んでいた辺りの景色
    よく釣りをしていた東郷池の島だったようですが
    地形が変わったらしく
    地続きになったようです。
    いまは、弁天さまが祀られているそうです。

    写真は人様ブログからお借りしました。

    わたしは
    これを見てわたしのお墓とわかりました。

    古代は石の下がお墓である事が
    多いし、わたしにはわかりました。

    下照姫は、宗像三女神の多紀理姫が母です。
    多分母神を祀っていたのが
    時間が経ち
    弁天様になったのも当たり前です。



    そして私は今年中
    ここに行く事にしました。


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    お墓は
    倭文神社のある山が見える場所にあります。


    行ける日を楽しみにしています