今日、2020年12月31日、嵐が国民的アイドルとしての終焉を迎えます。

 

この間、様々な「嵐論」が提出されましたが、自分はこの"終わり方"にこそ、嵐の本質があると思っています。

 

すべての始まりは、大野君による2017年6月18日の申し出でした。

 

2019年1月の活動休止発表会見によると、大野君の当初の申し出は、「芸能界を離れて自由な生活がしたい」、そのために「嵐を脱退しジャニーズ事務所を退所する」というものでした。

 

他の4人は「5人でなければ嵐ではない」という認識だったので、大野君の申し出は、イコール「嵐解散」を意味しました。

 

「4人で嵐」という選択肢がない中で、何度も話し合いが持たれ、妥協案として浮上したのが「2年後の活動休止」です。

 

櫻井君は会見で「着地点」という表現を使っていましたが、5人が議論の末に一致した妥協点が、「嵐解散と大野退所の回避」=「活動休止」でした。

 

5人の結論が出て、諸々の調整を経て発表されるまで1年半。

 

ここまで長い時間をかけて考え抜かれた結論であれば、「休止期間をセットで発表する」ということも当然、議論検討されたと思われます。

 

例えば3年間だけ嵐を休みますとか、でもそれは示されなかった。

 

逆に言うと、そこはメンバー間で調整がつかなかったということなんでしょう。

 

そして、2年が経った今もその状況は変わっていません。

 

大野君は「活動再開」について否定もしませんが、具体的な時期や見通しについては一切言質を与えていません。

 

ひょっとしたら2年の間に翻意するのではないかと考えたファンもいたかもしれませんが、大野君の気は変わりませんでした。

 

おそらく、今でも本心は「退所希望」であり、嵐が活動再開する可能性は極めて低いと自分は考えています。

 

でも、重要なのはそこではありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最も重要なのは、嵐が5人で議論を重ね、「解散の回避」=「活動休止」という妥協点で合意できたということ、大野君を含めてグループとしてその判断に着地できたというところです。

 

嵐の空中分解もありえる局面で、彼らはギリギリで踏みとどまった。

 

これは、ファンのために、嵐が「嵐を守った」という一言に尽きると思います。

 

「5人が同じ方向を向いている仲の良いグループ」という物語は、嵐神話のコアストーリーだからです。

 

「活動休止」ではなく「嵐解散」だったら、「ケンカ別れ」だったら、ファンはその現実を受け止めきれたでしょうか。

 

今後も5人の嵐は続き、復活の余地を残す、これが嵐神話を崩さないための、唯一の道だったのだと思います。

 

嵐神話が守られた中での、今日までの2年間という長いロスタイムは、コアなファンにとっても、自分のような周辺ファンにとっても、とても幸福な時間でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、この幸福な時間が、彼らの自己犠牲によって成立していることを、我々は忘れてはなりません。

 

仮に事務所を辞めたとしても、「元嵐」に本当の意味での普通の生活は難しいでしょうが、芸能界を完全引退して「一般人」になれば、マスコミも無茶な報道はしにくくなったはずです。

 

大野君は「嵐であり続ける」という選択をしたことで、来年以降も「半公人」状態は続き、当初の希望はかなり制約されることになってしまいました。

 

また、30代後半の彼らが2年間の延長タイムを設けたことは、その間に、日本国民として当然の権利である結婚や恋愛の選択を巡り、メンバーそれぞれが人権侵害的な報道や一部からのバッシングに、より強くさらされることにもつながりました。

 

彼らはそうしたリスクも覚悟の上で、この決断をしたのだと思います。

 

妥協、妥協と書いて気になったかもしれませんが、嵐を守ることを最優先に、そうしたプライベートの犠牲を一定程度許容した。つまりは妥協したんだと思います。

 

大切なのは、それは誰のための妥協なのか、ということです。

 

そう考えたとき、嵐ファンの皆さんは本当に幸せだなって羨ましく思います。

 

また、嵐というグループの凄さは、全員が「嵐ファースト」という考えに立って合意形成ができた点なんだと改めて感じます。

 

もちろん、「嵐ファースト」というのは、「自分ファースト」ではありません。

 

「ファンファースト」とも言い換えられるでしょうが、もっと踏み込んで言えば、「大野ファンファースト」でも、「松潤ファンファースト」でも、「翔君ファンファースト」でも、「相葉ちゃんファンファースト」でも、「ニノファンファースト」でもなかった。そこに迷い込まなかったということです。

 

例えば、嵐以上に絶大な人気があり、私もリスペクトするSMAPという国民的アイドルがいました。

 

彼らの残酷なラストを考えると、良いか悪いかは別にして、様々な現実の中で、メンバー全員が一致して「SMAPファースト」を貫くことが簡単ではないということ、その難しさ、厳しさを痛感せざるをえません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冒頭に「国民的アイドルとしての終焉を迎える」と書きました。

 

嵐が活動を再開する可能性は極めて低いと私は思いますが、その可能性はゼロではありません。

 

ただ、アイドルというのは、「旬があるからこそ儚くて美しい」ものなので、今後、彼らが5年後、10年後、40代後半や50代、60代になって、嵐を再開させても、それは厳密な意味での「国民的アイドル」とは違った存在になるのだと思います。

 

「国民的アイドル」の定義については以前ここで論考しましたが、例えばSMAPが今、4年ぶりに復活したとして、現実的に以前と同じような「国民的アイドル」には戻れないと思うんです。たった4年しか経っていないのに。

 

アイドルにはいつか終わりが来ます。

 

大野君の申し出がなかったとしても、遅かれ早かれ嵐にもその季節は訪れたことでしょう。

 

そのとき、自己犠牲もいとわない「嵐ファースト」を貫くことができた、その厳しい覚悟と責任感を持っていたことに、嵐という稀有な国民的アイドルの本質があると、私は思うのです。

 

「仲が良い」「わちゃわちゃ」「ほっこりする」などという言葉で表現されてきましたが、彼らの作り出す独特な空気感、幸福な空間の核も、実はそこにあるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、今日、国民に惜しまれ、国民に新たな旅立ちを祝福されるという最高の形で、嵐は試合終了の時間を迎えようとしています。

 

こんな幸せなフィナーレを迎えた国民的アイドルはかつていたでしょうか。

 

これはすべて、あの日、嵐が、嵐にしかできない判断をしたからです。

 

彼らは最後の最後まで「嵐ファースト」を守った。

 

それは嵐が長年、嵐であり続けられた理由であり、それによって救われた人もたくさんいました。

 

私自身、嵐がいなかったら、知念担の先輩と親友になることはなかった。このブログも存在しなかった。かけがえのない大切な人たちに出逢えなかったかもしれない。

 

嵐がいた時代に生きられたことに感謝します。

 

21年間お疲れ様でした。

 

嵐、ありがとう。