§アラビアン・ナイトは眠れない 寿退社
「おめでとうございます!!」
LME本社の中では、社員たちがこぞって集まりお祝いの言葉を口々にかけていた。
その中心に、蓮が花束を抱え笑顔を見せていた。
抱えている花束を蓮は笑顔で正面にいる、奏江に差し出した。
「琴南さん、ご結婚おめでとうございます」
「ありがとうございます・・・敦賀副部長」
奏江は照れくさそうに微笑みながら、その花束を受け取った。
「まさか経理の鬼が、ヘッドハンティングじゃなくて寿退社とか・・・いや~・・世の中にはキトクな方もいるんですね~」
「・・・村雨主任この間の出張費、申告漏れがあったので全額支払えませんよ?」
「え!?うそ!?勘弁してくれよ~・・同期のよしみでさ~」
「どうせ、私は経理の『鬼』ですから?」
奏江はにっこりと、美しく微笑んで村雨を凍りつかせると蓮を見上げた。
「・・・君の大親友がここに居れば・・・もっと大騒ぎだっただろうね・・・」
「そうですね・・・・・あの子・・・今頃、何してるんですかね?」
奏江の親友であり、蓮の恋人でもある最上 キョーコはLMEの社長ローリィに頼まれ男装して最上 京太としてここで働いていた。
目的は、ふがいない噂を立てられ仕事にも支障をきたし会社にも損害を与え始めていた蓮の周りを落ち着かせ女性社員が辞めないように守ることだった。
男装したキョーコを男と勘違いしたまま恋に落ちた蓮が、苦悩の末うっかりキスをしてしまってから告白して誤解と迷走を招いたが、何とか本当の姿もわかり晴れて恋人となった。
しかし、会社にいるときは男同士で噂も少なからずたてられたがなかなか進展しない関係だった。
ようやく、お互いの心も体も一番身近に感じた数か月後・・最上 京太にニューヨーク支社への移動の話が舞い上がったのだ。
「もう5年前のことなのに・・・昨日のように思い出すよ・・・・京太がここからいなくなるなんて、想像すらできなかったから・・・・」
新人では初の大抜擢。
驚き、引き留めたい一心の蓮に京太は何かを決意した顔をして『行きたいです』と告げてきた。
もし、あの時『もう、京太にならずにキョーコに戻ってここに来ればいい』と言えていたら今も側に居てくれたのだろうか・・・そんな考えがグルグルと蓮の頭の中を繰り返し襲った。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
『企画営業課には・・・・『最上 京太』の居場所はあっても、『最上 キョーコ』は中の人に申請を出してもらってパスを首から下げていないと入ることすらできないんです・・・・そこに私が存在できる場所は・・・なかったんです・・・・』
ニューヨークに行ったあと、久しぶりに話した国際電話でキョーコがどんな顔でそんなことを言ったのか蓮は考えただけで苦しかった。
蓮はいつの間にか『京太』として側に居ることは、『キョーコ』も慣れ親しんでいるんだと勝手に思い込んでいた。
『蓮さんは・・・・初めにあったのが京太じゃなくて・・・・キョーコでも、私自身を・・・見てくれましたか?』
キョーコを想いわかっているつもりでも、側にいる『京太』に安らぎを感じていたことも事実で・・・二人が同一人物だと知っているからそう思うんだと何度伝えても口にするたび蓮自身もわからなくなってきていた。
『京太』の姿でいるときに恋に落ちている。
けれど『キョーコ』の姿が最初だったら?もしかしたら、視界に入れる事さえなかったかもしれない。
あの頃は、女性の顔をまともに見ることなどなかったから・・・。
そんな考えに悶々としている日々の中、半年ほどキョーコと連絡を取れなかった。
お互い忙しかったのと、時差のせいで・・・・という言い訳だな・・・と思わず蓮は苦笑した。
だから寝耳に水になった。
【最上 京太がニューヨーク支社で辞表を提出して、LMEを去った】
というニュースが。
***********
「本当に・・バ・カ・・ですよね?敦賀副部長・・・あのニュースがあった時に、ニューヨーク行っちゃえば良かったのに」
送迎会も終わり、仲の良い千織、蓮、社、貴島、村雨そして経理で奏江たちと同期の百瀬を加えて内輪の飲み会に花を咲かせていた。
「ちゃんと社長直々に、キョーコのことについて説明するって話もあったんでしょう?」
「そうそう・・・ちゃんと、キョーコちゃんの『京太』としての仕事ぶりも評価されていたしね・・・」
千織の言葉に、社は頷きながらも悲しそうに眉尻を下げた。
「けれどキョーコちゃんが・・・『あれは、最上 京太だからできたことです』って・・・・」
「あの子、変なところで意固地なんだから・・・」
主役の奏江は、疲れた表情を見せつつも心底親友を心配しているのか怒っているのに寂しげな口調になっていた。
そんな奏江に蓮は、気のないふりをして気になっていたことを聞いてみた。
「琴南さんは・・・・今回のこと、キョーコに連絡した?」
「・・・・一応・・・返事はなかったですが・・・でもちゃんとアドレスには届くし連絡はいっていると思います・・・そういう副部長こそ・・・あの子と何年連絡取ってないんですか!?」
「何年って・・・そんなに長くないよ・・・8か月前に、『落ち着いたら話そうと思っていました。また連絡します』ってメールが来たよ」
退職したニュースを聞いた一ヵ月後のメールが最後だった。
「そのメールなら俺にも来たよ?」
と、貴島は自分のスマホをいじって表示した。
すると・・・
「私もよ?」
「俺も・・・・」
「あの・・・・私も・・・」
直接はあったことない百瀬までもが、蓮にキョーコからのメールを見せた。
「ええ!?俺だけ!?もらってないのっ」
村雨が悲しみのあまり叫んでいることに触れず、蓮は同じ文面に凹んだ。
「・・・・キョーコ・・・・・」
キョーコと離れていながらも、一途に想うオーラが女性を近づけさせなかったのだが・・
ここ最近哀愁が重なりだすとソレは逆効果になるらしく、先ほどから落ち込む蓮を遠くから店にいる女性たちが狙っていた。
その気配の鋭さに、みんな辟易していると店の扉が開いた。
皆で一斉に振り返ると、奏江が顔を赤くして「あ・・・」と、小さく声を出した。
「まだこんなところにいたのか!?帰るぞ!奏江!!」
「飛鷹君!?・・迎えに来てくれたの?」
眉間に無理やり皺に作っている青年に、奏江が驚きながら声をかけると彼は慌てだした。
「なっ!?ち・・・ちが・・・・たまたま・・・・そう!たまたまだ!!行くぞ!」
奏江の荷物を乱暴に掴みながら、飛鷹は顔を真っ赤にしながら店を先に出て行ってしまった。
「あ!まって・・・じゃあ、みんなまた連絡するね?!」
「うん!結婚式楽しみにしてる~」
バタバタと出ていく奏江が、外でちゃんと待っていた飛鷹と楽しそうに帰っていく姿をガラス越しに見送った一同はため息を付いた。
「あの奏江嬢が、上杉物産の若社長と結婚とか・・・」
「というか・・・本当にまだまだ社会人一年生も抜けきれないって感じだったな・・・・」
「どこが良かったんだ?あんな小僧」
「将来性だって、以前おっしゃってましたよ?」
「「「・・・・・・・・・・・・・・」」」
百瀬が留めの言葉を落としたことで、無言で解散することとなった。
「蓮は・・・どうする?」
「・・・俺はもう少しここに居ます・・・社さんもみんなと一緒に帰ってくださっていいですよ?」
「でも・・・・・」
社は、手負いの獣にハイエナがジリジリ近づいているような空気を感じながら蓮にもう一度声をかけた。
しかし、答えは同じだった。
「・・・・・・蓮・・・キョーコちゃんもちゃんと考えていると思うぞ?お前のこと」
「・・・・・そう・・・・ですね・・・」
笑ってそう言った蓮の目は、半ば光を失っているようで社はそれ以上声をかけることが出来ず店を後にした。
すると途端に、蓮の周りの空気がそわそわしだした。
女性たちが、あちらこちらから立ち上がって蓮の元に足を向け始めたのだ。
しかし、それを遮るように着信音が蓮のジャケットから鳴りだした。
「!!」
蓮は大急ぎで取り出し、画面を確認して一気に落ち込んだ。
「・・・・はい・・・なんですか?社長」
『なんだ、なんだ・・その湿っぽい声は』
「なんでもないですよ・・・・・何か用事ですか?」
『ああ、人事についてな・・・明日正式にお前を副社長にすることになった』
「・・・・・・・・・・・・は?」
『まだ現場で好き勝手したいだろうが、俺もそろそろ遊びたいんだよ・・・お前に全部任せるからよろしく頼むぞ!また明日詳しい話をしよう!!』
「え!?えええ!?ちょっ!?叔父・・社長!!?」
ツーツー・・と無機質な音を耳にして、叫んでいた蓮は頭を抱えると女性たちが気後れしている間に店を出た。
「はあ・・・・なんで・・急に・・・・」
蓮は混乱したままスマホを操作して、かかってきて欲しかった番号を表示させた。
「・・・・キョーコ・・・」
しかし切なげに呟いても、その人物から電話もメールも来ることはなかった。
翌日は大パニックだった。
副部長をしていた蓮が、急に副社長になるため蓮が抜けてしまう企画営業課も蓮の秘書を急遽探すことになった秘書課も大騒ぎだった。
「どうするの!?琴南さん退職しちゃって・・・彼女ぐらい優秀じゃないとあんな忙しい人、お世話出来ないわよ・・・・」
「でも、敦賀さんよ!?この機会にお近づきに!」
「アンタの能力でできるわけないでしょう!?」
「なんですって!?」
女の争いを間近で見て、男性社員が震えあがっているとローリィが現れた。
「急で悪いな・・・辞令通り、敦賀 蓮を副社長にして社の運営の方に回ってもらうこととなった・・・まあ、責任者の部分で今まで蓮がやってきた企画や契約したものは引き継ぎをしっかりしてれば何とかなるだろう・・・・それで、秘書のことなんだが・・・」
ローリィが、そう口にすると秘書課の女性たちがザワ・・・と色めきたった。
「実は以前から準備していてな?ひっじょ~に優秀な秘書で、NBAまで取ってしまって彼女を秘書として使っていいのかさえ悩むほどだが・・・蓮には彼女以上に必要な人物はそうそう見つからんだろう」
ローリィは含み笑いをしつつ、柱の陰に隠れていた人物を手招いた。
呼ばれた人はコツ・・コツ・・・とヒールを鳴らし、ローリィの横に来た。
その人物に今度は男性たちがざわめくが、蓮はただただ呆然とするばかりだった。
「お・・・おいっ・・・あれ・・・・もしかして・・・蓮・・・何か聞いてるか?・・・・蓮?」
「・・・・・・・・いいえ・・・」
社の問いかけに、蓮はただただ力なく首を振るばかりだった。
「まったく・・・知らされていません・・・」
力ない蓮の声に、社が心配そうにしているとローリィの横にいた人物が一歩前に出て深々とお辞儀をした。
「本日よりお世話になります・・・最上 キョーコです」
さらりと長い黒髪に、綺麗に化粧を施し笑みを浮かべる女性の雰囲気は今迄のキョーコとは比べ物にならないほど妖艶なのだが纏う空気に懐かしさが滲み蓮の心臓がドクドクと音をたてた。
「キョーコ君・・・今日から敦賀副社長についてくれ」
「はい・・・よろしくお願いします」
笑顔で手を差し出しながら、やってきたキョーコの手を蓮はじっと見つめた。
京太の時は、もちろんだが以前はネイルで整えられた指先ではなかった。
それが今では女性らしい指先に、上品な色合いのネイルを施してキラキラとさせている。
雰囲気も、以前のキョーコの感じが残っているのに他人のように感じるのはこのことを黙っていられたせいなのだろうか?
蓮は苦悶の表情でキョーコを見つめたあと、踵を返してその場から走り去った。
「え?!」
「ええ!?」
そのことに、キョーコと社が驚きの声を上げるだけで周りはポカンとした。
しかし、キョーコはぐっと口を結ぶと蓮が走り去った方へと猛ダッシュし追いかけた。
そのことに社も、もうただただ呆然として見送るしかなかった。
「やれやれ・・・・ここまで来ても素直にならんとは・・・面倒な奴だな・・」
ローリィがそう愚痴るのを、社が(誰のせいだ・・)と睨んでいる一方で蓮は社内の屋上に向かって走り続けていた。
背後からしばらくヒールの音が追いかけてきたのは知っている。
追いかけてくれたことを感じて、頬は弛むがそれでも面と向かうと心にもないことを言ってしまいそうでとにかく離れようと屋上のドアに手をかけた。
ガチャン・・と少し重たい扉を開いた瞬間、空いていた片手がぐいっと引かれた。
「待って!!」
いつの間にか脱いだヒール片手に、整えた髪も乱して全力疾走していたキョーコが蓮の手を掴んでいた。
「待ってっ・・・蓮・・さんっ・・」
息を切らしながら必死に追いすがるキョーコは、先ほどまでの別人のような雰囲気をかなぐり捨てて必死に見つめる瞳の強さは昔のままだった。
「おねがっ・・・説明っ・・・させて・・・」
汗で化粧がはがれかかっていても、気にすることなく掴んだ手を離さないキョーコに蓮は苦しそうにしながらも頷いた。
蓮は少しだけ上がった息を整えながら、キョーコは靴を履き直して屋上に出た。
「・・・ごめんなさい・・・連絡できないままで・・・今回のことはあまりにも急で・・私もちょっとパニック気味というか・・・」
「・・・その割にはばっちり決まった格好に、登場だったけど?」
そう言ってしまった直後、心の中で蓮は自分に舌打ちをした。
キョーコの表情が一瞬にして曇ったからだ。
やっぱり棘が付いた言葉がをついて出てしまった。
それでもキョーコは必死に笑顔を見せたが、前で重ねられた手は小刻みに震えていた。
「・・・・・・・えっと・・・極秘・・と言われたんだけど・・」
「なにを?」
チラリと蓮の様子を見た後、困った顔をして続けたキョーコの言葉に蓮は固まった。
「LMEのニューヨーク支社で支社長のクー・ヒズリさんと仲良くなったの・・・」
「なっ!!?」
「・・・・ヒズリさん・・・蓮さんのお父様・・・なのね?」
社でさえ知らない蓮の秘密を、キョーコには知られていたことに蓮はただただ驚いて立ち尽くすばかりだった。
「・・・・・・・あ・・ああ・・・・」
「ニューヨーク支社長は本社の宝田社長と共同出資者で、事実上のCEOだっていうのはここで『京太』としている時に知っていたけど・・・・その方が蓮さんのお父様なんて知らなかった・・・」
「・・・・・ここにいる間は・・・企画営業課で一社員として居る時には、色メガネで見られたくなくて誰にも正体を明かしていなかったんだ・・・」
「・・・・それは・・・納得できたけど・・・少し寂しかった・・・」
「っ!・・・・・ごめん・・・いつかは・・・言わなきゃと思ってたんだ・・・でも、まさか君がN.Yに行ってしまうなんて思いもしなかったから・・・・」
「・・・うん・・・・」
二人の間に沈黙が落ちた。
気まずい空気がしばし二人を包んだが、それをキョーコが切り開いた。
「・・・・蓮さんの考え・・・『京太』になったから理解できた・・だから寂しさも直ぐになくなった・・・・でも『キョーコ』になってここに戻ってきたらいいって言われた時・・・・」
キョーコは一度息をつくと、眉間に皺を寄せて泣きそうなのを堪えながら口を開いた。
「もし・・『キョーコ』になったら誰にも受け入れられないかもしれないって・・遠巻きにしか相手にしてもらえないんじゃないかという不安・・・・あの時・・・社内パスを渡された時に漠然と私の中に湧き上がった感情がはっきりしたの・・」
「!・・・キョーコ・・・俺は・・」
「わかってるの・・・・こんな風に出会うのが私たちの運命で、最善なんだって・・・それでも・・・不安になるの・・・・もしかして、『京太』という存在が別にいていつか私という存在は蓮さんから消されてしまうんじゃないかって・・・」
目の前で冷たい風に吹かれているキョーコが、酷く小さく感じて蓮は唇を噛みしめた。
「俺は・・・酷い男だよな・・・」
「え?・・」
「恋人を気取っていたのに・・君の心の中にまで目を向けてあげることが出来なかった・・・こんな男・・・君に愛想つかれても仕方のないことだよな・・・・」
蓮がそう零すと、キョーコは驚いて首を激しく左右に振った。
「違うの!怖かったの・・・蓮さんに『最上 キョーコ』という存在を否定されたらって勝手に思って・・・」
「でも、俺のせいで君は不安になったんだよな・・・ごめん・・・キョーコちゃん・・・・」
「ちがっ・・・っ・・もう!」
項垂れる蓮に痺れを切らしたキョーコは、蓮のネクタイを引っ張ると少しだけ背伸びをして自分から唇を重ねた。
その行動に蓮は目を丸くしたままで、懐かしい感触に浸る暇もなく唇が離れることを寂しく思ってキョーコを見下ろした。
すると、その視界には今にも茹で上がりそうな顔も耳も真っ赤にしたキョーコが恨めしそうに蓮を睨んでいた。
「不安になったのは自分に自信がなかったから・・・蓮さんに釣り合う女性になりたかったんです・・・会社の後輩でも同僚でもなく、恋人として・・・・」
キョーコは蓮からそっと離れて一歩下がると距離を置いた。
そして深々と頭を下げた。
「敦賀副社長!・・・ずっと、あなたのことが好きです!・・・・私を・・恋人にしてくれませんか?!」
「・・・え・・・・・・・」
突然、キョーコから告白されて蓮は戸惑った。
久しぶりに会社で告白されたが、今まではとにかく迷惑以外の何物でもなかったのに。
相手が想っている人というだけで、改めてこんなに嬉しいものなのかと実感した。
それと同時に、先ほどから驚かされてばかりいたため小さな悪戯心が働いた。
「・・・ごめん・・・恋人は・・・ムリ・・・」
「・・・え・・・・・」
キョーコは考えないようにしていた、蓮に別の恋人が出来たという回答を覚悟して青くなった顔を上げた。
「恋人はムリだよ・・・・君には、俺と一生・・・夜も朝も一緒に居てくれなきゃいけないんだから」
「へ?・・・・・・・・」
予想していた言葉と違うことを言われて、キョーコの思考回路がストップしている間に蓮はクスクスと笑いながら側に歩み寄った。
そして、呆然としているキョーコをふわりと抱き寄せた。
「最上 キョーコさん・・・・俺の奥さんになってくれませんか?」
「・・・・・・え!?」
蓮の腕の中で驚いているキョーコのつむじにキスしながら、蓮は嬉しそうに笑った。
「もう嫌だと言っても受け付けないけどね?」
真冬の冷たい風も、誤解が解けて告白し合った者たちには気にならないのか様子を見に来た社内のほとんどの者たちの口の中をジャリジャリいわせ寒風を押し付けたのだった。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
株式会社LME
ここには伝説がある。
仕事を真面目にこなし、資料倉庫で残業したものだけが屋上で告白すると意中の相手と結ばれる―
かもしれないという伝説・・・・・・・
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「なんですか?そのバカげた伝説」
凄まじいスピードで、キョーコは書類を部類別に分けながら今聞かされた伝説に首を捻った。
「俺たちのご利益にあやかろうとする連中が、そんな伝説を作ったらしいよ?」
こちらも、テキパキとキョーコが分けた資料に素早く目を通して決済印を押していく蓮は笑いながらそう言った。
「・・・ご利益・・・」
ため息と共にそう言うキョーコの側に、蓮は副社長の革張りであつらえられた椅子から立ち上がると歩み寄った。
「あれ?ご不満?俺の奥さんをしながらの副社長の秘書は」
蓮の質問に、キョーコは手を止めると少し考えて頷いた。
「そうですね・・・・奥さんはいいとして・・・秘書の仕事は誰かに引き継がなきゃいけないかもしれません」
「え!??」
冗談のつもりだったのに、キョーコにそう返されて蓮は慌てた。
「ちょ・・・冗談だよ!?君以外に俺の秘書なんて無理だよ」
「そうですね・・・でも、三人態勢なら・・・」
「待って・・・なんで急に・・・もう2年も秘書として頑張ってくれてるのに・・もしかして、企画営業部にいきたいとか?」
焦る蓮をよそに、キョーコは薬指にはめた指輪を光らせながら書類の部類分けを進めていく。
「君も納得してくれたじゃないか・・・俺の秘書のままでいいって」
「はい、言いましたよ?ちゃんとニューヨークにいる間に秘書の資格も取っていましたし・・・秘書のお仕事に不満はありませんよ?」
「でも・・ならなんで・・・・」
困惑する蓮に、キョーコはようやく作業を止めて向き直った。
「しばらくの間は、奥さん業と秘書のお仕事の両立は難しいからです」
「家事なら俺だって手伝っているけど、足りないなら頑張るよ!?」
「・・・・これからのお仕事は私にしかできないこともあるので・・・」
「・・・・・・これからの・・・仕事?」
首を傾げている蓮に、キョーコは少し頬を染めながら耳打ちすると蓮の目が大きく見開き振り返ると頷いたキョーコと共に二人で喜びを分かち合うのだった。
副社長夫妻のおめでたいニュースと共に、伝説はさらに熱を帯びて・・・・・
株式会社LME本社にある資料倉庫には、今日もたくさんの残業申請者が押し掛けることになるのだった。
end