障害を持つこと。心臓病を持つこと。本当に想像もしていなかった。
健康体に産まれてきた息子は病気などとはかかわり合いのない人生を送るのだ
と、勝手に思い込んでいた。
テレビの向こう側の人達の事で、彼らを見ながらなんて可愛そうなんだ!
と思いながら、でも自分は違うのだと。
しかし、いつ逆の立場に回るのか、人生は分からない。
病気になって、息子とともに入院、経過をたどるなかで思うことは、
「当事者の立場となり、経験してみないと分からないことが沢山あるということ」
入院中の辛さ、医師への思い、看護婦さんの対応、
他の患者さん達とのやりとり、病院で数か月生きてみて、知った事、知らなかった事が沢山あった。
その後、心臓の治療のみになり、約4ヶ月ぶりに自宅に帰ることが出来た。
外来通院となり、転院先の九大病院が近かったのだが、前のこども病院の先生が熱意を持って診ていく
と言わたので、遠いけれどその医師に、みてもらっている。
将来的に喋れないかもしれない。歩けないかもしれない。
いつまで命があるのか、分からない。そんな息子は不幸なんだろうか?
子供など、持った私が悪かったのか?
友達の子供は正常に発達しているが、我が子は様々な事が出来ない。
比べてもきりがないのに悲しくなる気持ちが勝手に沸き上がる
彼の命の意味はなんなんだろう。
考えても仕方ないのに、頭のなかでぐるぐる回る。
でも、また死に直面する日が来るかと思うと
、怖くなる。
それでも、今、命がある事に、生きていてくれることに、感謝すべきなんだろう。
もしも将来喋れたら、担当した医師に「助けてくれてありがとう」と言えるようになったらいいな。
小児科の医師達は皆、痛い注射を打つ憎まれ役で、患者(子供)から感謝される事は無いんだから。
何故こんなに大変な小児科医を志したのか、いつか機会があれば伺ってみたい。
抜管後の写真↑↓ 因みに↑の病院着は肩のところを切って、マジックテープで張り付けできるように
改良したものです。
大きな点滴をつけているので、両手を袖から通すことができない我が子用に手縫いしたものでした。
本来病院にはそういった病院着がレンタルであるのですが、生後半年の子ども用には置いてなかったため、
手作りせざるを得なくなりました (笑)
目を開けて此方を見てくれる。それだけ大きな進歩でした。