長文ですみません!少しずつ発症時からのこと、アップしていきます
母が倒れて思ったこと

救急車は本当に必要な方の為に!!
救急車をタクシー替わりに使うなんて考えられないし、救急車が通っているときに並走する一般車もありえません
母が倒れた時、すぐに消防車(救急車が時間がかかりそうだからと消防隊員の方がAEDもって先にきてくれました)、救急車が来てくれ、運転されていた方々が道を譲ってくれたから、母は助かったのです。
本当に感謝感謝。

2011年8月

弟の結婚相手が挨拶に来てくれるとのことで、実家から離れてくらす兄と私が家族を連れて帰省中。弟は挨拶を済ませ自分の家に帰宅。


母はお昼ご飯の天ぷらそばをつくってた。ふと台所に目をやると、母が横になってこっちみてる。しかも笑顔。
『あー孫とふざけて、倒れた真似してんのかな?』なんて気楽に考え、私も笑顔を返し、その場を立ち去ろうと。。。ん?でも何かおかしい。。。ともう一回見てみる。すると真上を見たまま母静止。動かない。倒れてる!!!!!
義姉も気づき、「お父さん、お母さんが倒れてます、おかしいです!」と言ってくれ、父、兄、義姉、私の旦那、私が駆け寄る。息ができないようで、息苦しそう。どんどん顔がこわばって行き、舌の沈下を防ぐために力づくで口を開ける。
皆で「息して!呼吸して!」と叫ぶ。
その間に私、119番。すぐに心臓マッサージを指示され、父がマッサージ。兄が口を開け、義姉が両足を楽にして脈をはかる。私の旦那と孫は救急隊が通れる道をつくり、誘導の為、外へ。
かろうじて呼吸はできているようだが、意識はない。「うんうんうん」と苦しそうな母。ほどなくして救急隊の人が来てくれたが、「意識なし、呼吸あり、脈あり」そして、その中の一人がぽつり。「頭かな」

今思えば。。。
母が天ぷらをあげていた最中に倒れたにも関わらず、狭い台所で何にもぶつからず油等をひっくり返さなかった奇跡。
義姉が倒れた瞬間を見ていた為、迅速に人工呼吸等処置ができた奇跡。
午前中に出かけていた父母以外の家族が渋滞に巻き込まれた為迂回路を使って早く帰ってこれた奇跡。。。。あげてみればキリがない程、この時の母には偶然と言うには言葉が足りない程のことが起こっていた

救急外来受診、造影剤での検査後、母はICUに入院。この時には弟も病院に到着し、Drから説明「くも膜下出血です。グレード5(最も重篤)、肺水腫、たこつぼ型心筋症併発、自発呼吸なし、血圧も昇圧剤を投与しないと保てない、この状態では手術できません。このまま待つしかないけど、亡くなる可能性が非常に高い」とのこと。
Dr「ご家族の中で同じ病気をされたかたいますか?」
母方の祖母が、くも膜下出血で10数年前に倒れ、亡くなってるというと、この病気は遺伝性のものが考えられているので、皆さんも一度検査受けた方がいいですよとのこと。祖母が亡くなった時は、倒れている状態で発見されたのが数時間後だったため、すでに脳死状態。CTの画像は真っ白で、手術するとかしないとかの状態ではなかった。今回母が倒れたとき、皆がそばにいてよかったと思った。そして、祖母の時、なぜその時のDrは母に検査を勧めてくれなかったのかと思った。そしたら出血起こす前に気づいたかもしれないのに。10数年前には遺伝性で、血管に瘤ができやすくなるって知られてなかったらしい。それにしても、悔しい!!

~そんな説明の最中、私は一人考えてた。~
『母は、人工呼吸器につながれたくないって言ってたよな。機械で動かさなければ生きていられないなら、あなたが電源切ってと言ってたよな』って。Drに聞いた。「今の時点で呼吸器の電源切ってほしいとか、家族が希望した場合は医療行為を止めてもらえるのですか?するとDr。「う~ん。今の時点で医療行為を止めることはしたくありません」と。。

母に面会。呼びかけると目を開けたりする。でも、呼吸器をとりつけられているので、声は出ない。そしてその目もどこを見ているのかよくわからない状態だった。心電図が何ともいえない音をたててた。
その日は一旦帰宅。帰宅すると、洪水のように涙があふれてきた。母がお昼に用意してくれていた天ぷらそばを流し込み、夜、父と話した。
私「母が明日になっても、自分で呼吸ができなかったりしたらさ、母を楽にしてあげようよ、ずっとそう言ってたことが気になって」
父「そうだよな、考えたくないけど、そういってたよな。でも辛い」
そして眠れぬ夜を過ごした。