「砕ける月」第8章 | 『Go ahead,Make my day ! 』

『Go ahead,Make my day ! 』

【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】

 
「何が入ってるの?」
 菜穂子はいかにも興味深々という顔で言った。
 それを横目で睨みながら封筒をひっくり返した。出てきたのはボール紙で作った板に挟まれた薄っぺらいプラスチックのケースだった。
「何だこりゃ、DVDか?」
 しかし、手の中にそれはDVD-RでもCD-Rでもなかった。プラスチックのケースの中に銀色のディスクが入っているのは同じだが、開いて中を取り出せるようにはなっていない。上の真ん中辺りのスライドするカバーの部分に“1GB MO”というロゴっぽい文字と“OLYMPUS”というカメラでしか聞いたことのないメーカー名が入っている。見た感じはケースを透明にして大判にしたフロッピーディスクといったところだ。
「へぇ、MOじゃない。今どき珍しいわね」
「……エムオー?」
「マグネット・オプティカル・ディスクの略よ。光磁気ディスク。MDをそのまま大きくしたものだと思えばいいわ」
「ああ、なるほど」
 と言いつつ、ミニディスクもアタシ世代にはあまり馴染みのあるメディアじゃないが、父の車のカーコンポにMDがついていたので我が家には実物があった。言われてみればサイズが違うだけでそっくりだ。
「なぁ、今、珍しいって言ったよな?」
「言ったわ。MOって一般にはあんまり出回ってないの。元々、耐久性が高いって理由で企業とか官公庁のデータの保存用に広まったものだから。最初は物珍しさもあって普通のパソコンで使ってる人もいたんだけど、すぐにCD-ROMとかDVD-Rが普及しちゃったからね。あと、USBメモリとか」
「ふうん……」
 では何故、由真はそんなものを持っているのか。
 学校ではあまり片鱗を見せないが由真は無類のコンピュータ・マニアだ。学生カバンの中にはマックブックを持ち歩いているし、家にはアタシのバイクが三台くらい買えそうなデスクトップも持っているらしい。ちなみに由真はリンゴマークの信奉者だがそれはともかく。
 アタシのデスクトップにはMOとやらを挿し込めそうなスリットはない。何度か見たことがある由真のマックブックにもなかったような気がする。何かというとDVDを焼いてきていたことから考えると由真のデスクトップもMOが廃れた後の代物だろう。
 となると、ますます由真が持ってた理由が分からなくなる。

 ――そう言えば。

 脳裏に浮かんだのは今泉で由真たちがやりとりしていた物体だった。
 男はプラスチックのケースを車の中から取り出して由真に手渡し、由真はしばらく見つめてから男に返した。何の意味があったのかは分からない。しかし、二人が漂わせていた深刻な雰囲気の理由はこれだったんじゃないのか――漠然とだがそういう気がする。
 あのときの物体と手の中のMOが同じものだと断言はできない。しかし、由真が他の何かを送りつけてくる理由がまったく思いつかない。まあ、同じだとして、それをアタシのところに送る理由も思いつかないが。
 手っ取り早いのは由真に訊くことだろう。というより他に方法がない。アタシはケイタイを取り出して由真の番号を呼び出した。通話ボタンを押して呼び出し音が鳴るのを聴いた。
 心臓が急に鼓動を早めるのを感じた。
 最初のコールが終わる前にぎゅっと目を瞑る。と同時にアタシは通話終了のボタンを押してしまっていた。
 おまえはバカか。そんなに気軽に電話が出来るんなら、最初から何日もモヤモヤした想いを抱えたりしてないだろうに。
「どうかしたの?」
 菜穂子はアタシの隣から離れてキッチンでコーヒーを淹れ始めていた。勝手知ったる、じゃないがこの女は何をするにもいちいちアタシに断ったりしない。ま、どうでもいいが。
「……何でもない。それより、アタシのは濃い目にね」
「はいはい」
 他に手紙でも入ってないかと封筒を覗いたがそれらしきものはなかった。アタシはふと伝票の送り主のところを見た。
 おかしい。由真の字じゃない。
 ギャルファッションを敵視するくせに由真の字は典型的なギャル風の丸文字だ。あんなので答案を書いてよく教師が何も言わないなと思う。「キレイに書こうと思えば書けるんだからね!」と息巻いてたこともあるが多分嘘だろう。
 送り主の署名はどちらかといえば男性的な感じがした。そういえば由真と一緒にいた男――あいつの苗字は確か、高橋といった。封筒の会社名と同じだ。
「……変だな」
「何が?」
「何であいつ、アタシの住所なんか知ってるんだ?」
「友だちだからじゃないの?」
「そうじゃなくて」
 菜穂子に経緯を説明するかどうかちょっとだけ迷ったが、しないと話が続かない。
 マグカップを手に戻ってきたところで先日の夜の今泉での出来事を話した。その後の仲違いについては冷やかされそうで気が進まなかったが、意味が通らなくなるのとどうせ問い詰められるので隠さずに話した。
「なーるほどねぇ。何だかんだ言って青春してんじゃない?」
 案の定、菜穂子はにやにやしてアタシの顔を覗き込んできた。くそ、ホントにぶん殴るぞ。
「……あのなぁ、笑いごとじゃねえんだよ。こっちはなんッにも悪いことしてねえのに何でシカトされなきゃなんないんだ」
「恥ずかしかったからじゃないの?」
「ラブホから出てくるとこ見られたのが? コニシキみたいな彼氏を見られたのが?」
「どっちかは分かんないけど」
 どちらであってもアタシにはそんな経験がないのでいまいち想像がつかない。
「それにしても、やっぱり今どきの子は進んでるのねぇ」
 菜穂子は見るからにわざとらしいため息をついた。
「ナニ言ってやがる。自分だって大して違わなかったんだろ」
「そんなことないわよ。私は純情だったんだから」
「ウソつけ」
 聞いた話だがこの女はかなりモテたらしい。いや、過去形ではない。こいつは二年ちょっと前に離婚しているが、それ以降にアタシが知ってるだけで六人に言い寄られている。もっとも付き合ってはいないらしいが。
「そういう真奈ちゃんこそ彼氏とかどうなの?」
「アホか、こちとら女子高だっつーの」
「そんなの理由になんないわよ。由真ちゃんだって同じ学校なんでしょ?」
「……そうだけど」
「ねえ、好きな人とかいないの?」
「いねえよ」
 彼氏なんかどうでもいい、というのがアタシの正直な気持ちだ。男嫌い、あるいは男性恐怖症という話ではない。そういう欲求が湧かないのだ。
 恋愛に関する感情はある出来事を境にアタシの中から完全に欠け落ちてしまっている。それには目の前の東南アジア女も微妙に関係しているが、あまり掘り下げたくなるような話ではない。
「つまんねえこと言ってんじゃねえよ。それよりコレどう思う?」
 アタシは封筒を指でトントンと叩いた。
「そうね、その男の子――高橋くんか。ここの住所を知ってるってことからすると、由真ちゃんに送るのを頼まれたような気がするけど。MOを返すときに「ねえ、コレ真奈んとこに送っといて」って言ったんじゃない?」
「……うーん」
「なに、真奈ちゃんはそうじゃないと思うの?」
「確信がある訳じゃねえけどな」
 由真という女は確かにわがままだが面倒くさがりではない。誰にでもという訳じゃないだろうが甲斐甲斐しいところもある。「あたしが送っとくよ」と言うことはあっても逆は考えにくい。ましてや、わざわざアタシの住所を教えてまで他人にやらせるのはらしくなかった。
 だとすれば高橋が由真の名前を騙ったことになるが、その理由はもうアタシの想像の埒外だ。
「タカハシ・トレーディングってのは?」
「ちょっと待って」
 菜穂子は携帯電話を操作し始めた。
「えーっと、東区にそういう会社があるわ。ほら」
 差し出された画面は電話番号検索のもので〈タカハシ・トレーディング〉の社名と封筒のものと同じ電話番号が表示されている。
「彼、自分で会社やってそうな感じ?」
「見た目じゃ分かんねえよ。乗ってるのは結構いいクルマだったけど」
 どんな車かと訊かれたのでシビック・タイプRだと教えてやった。菜穂子は短く口笛を吹いた。この女と別れた夫は夫婦揃って無類の車好きで、免許も持たないアタシが車種に詳しいのは二人の影響によるところが大きい。
「何にしても、ここでああだこうだ言っててもどうにもならないわよね」
 菜穂子は意地悪そうな笑みを浮かべてアタシの目を覗き込んだ。
「……んだよ?」
「由真ちゃんに電話するいいきっかけじゃないって言ってんの」
 それはそうかもしれないが。というより、さっきかけてみたがすぐに切ってしまった。菜穂子は気付いてないことだが。
 いや、本当は気付かれてるのかもしれないが。
「でもよ、拒否られたりしたらヘコむじゃん?」
 菜穂子は遠慮なく吹き出した。
「へええ、真奈ちゃんってそういうこと気にするんだ?」
「なんだとコラ」
「私に凄んだって駄目よ。弁護士なんかやってるといろんな人に脅かされるから、ちょっとやそっとじゃビビらなくなっちゃうんだから」
「麻痺してるだけじゃねえか」
「そうよ。揉め事ばっかり目にするから人間不信にもなるし。――こう言ったらあなたは怒るかもしれないけど、ちょっとだけ羨ましいな」
「何が?」
「だって、そういうのってあなたくらいの歳のときしか味わえない悩みなんだもの」
「……子供扱いすんな」
「はいはい。じゃあ、私はそろそろ帰るわね。じゃないと電話しにくいでしょ?」
「とっとと帰れッ!」
 怒鳴ったところで菜穂子には通じないことは分かっている。ムカつく話だがこの女から見ればアタシなど本当に子供なのだ。それはこれまでに何度も思い知らされてきたことだった。
「そういえばよ――」
 玄関に向かう菜穂子の背中に声をかけた。
「なに?」
「……いや、いい。何でもない」
 振り返った黒目がちな瞳がアタシを射抜くように見つめていた。
 アタシと菜穂子の間にはどちらも触れたがらない話題が二つある。一つは遠い昔に解決したことだし、アタシの一人相撲なので笑い話にしようと思えばできる。だが、もう一つはたった三年前のことだ。どちらにも一人の男が関わっているがアタシはそいつにもう二年以上会っていない。
 菜穂子は会っているのだろうか――かつての夫に。
「元気にしてるって恭吾に伝えとこうか?」
「……いい。余計なことすんな」
「分かったわ。じゃあね」
 菜穂子はそれ以上何も言わずに部屋を出て行った。