進化するふしぎ系整体師 ひろみです。

わが心の師匠
沙璃さんのもとで「心理学カウンセリング講座」をお勉強していて、そこで思い出してシェアしたことを書きますね。
 
9歳で人生の選択を迫られる

母は子どもにレールを敷いてその通りに進ませるタイプで、気がつかなかったけれどわたしの人生は母の気持ちを優先したので、自分で行きたかった方向と違う道を歩んできていました。

わたしが9歳の頃、母は「子どもにこんな父親はいらない」と決断して「慰謝料もなにもいらないから、これに判を押してください」と離婚届を父に突きつけた女丈夫です。

子どもにこんな父親はいらないという理由で離婚を決めたのに、父の目の前でわたしと弟に「あんたたち、お父さんとお母さんとどっちについて来るの」って聞くのって変じゃないと今は思いえるのですが、当時はそんなことを考える余裕はありませんでした。

父との生活は考えられなかったので母を選んだら「ほらごらん、あんたとは暮らしたくないって言ってるよ」って母は勝ち誇ったように言ったように覚えていあす。 

高校は母の勧める学校に進学

高校に進学するとき、わたしが通っていた中学校では保護者を学区の高校に連れて行ってくれる見学ツアーがあって、それに参加した母はある高校の校内の雰囲気とか制服が気に入って、強く勧めてきました。

塾の先生に相談したところ「もうワンランク上の学校にしたらどうだ」って言われましたが「母子家庭だから落ちたら私立には行かせられないから」と家庭の事情を持ち出され、母の希望する高校を受験しました。

高校に合格して、担任の先生に受験の順位を聞きに行ったら208人中24番でした。

それを塾の先生に言ったら「だから〇〇高校に行っときゃよかったんだよ」って言われましたが、母に洗脳されたようなものでしたからなんとも思いませんでした。 

就職先も母のレールに乗せられる

就職するとき、部活で吹奏楽をやっていたので吹奏楽団のある某企業に行きたかったのですが、母に言ったところ「あそこは同業他社だから、あんたにあそこに入られると社内で都合が悪い」と却下されてしまいました。

他に行きたい会社がなかったので、求人票を見て適当な会社を選んだら「そんな聞いたことない会社、寄らば大樹の陰って言って大きい会社の方がいいから」とまたもや却下されてしまい、「どうすればいいの~」と途方に暮れていたら「人事に頼んで、あんたの学校に【にしまぎひろみ】指名で求人票を出してもらうから」と驚きの発言をしてくれました。

しかもそれができてしまう母ってすごいと思いました。
母は会社役員でもない普通の社員なんですけどね。

めでたく母と同じ会社に入社しましたが、ずっとコネ入社だと思っていました。
だからといって引け目もありませんでしたが、それから何年もしてから「求人票は出してもらったけど、そこからはあんたの実力よ」と聞かされたときは、その頃にはコネだろうとちゃんとお仕事していたので、なんとも思いませんでしたが「今さらそんなこと言われても」と戸惑ったものでした。 

母の扱い方に変化が?

東京に行くときは母のところに泊まりますが、月に4回も行くことになると「さすがに毎週だとお母さんも疲れるわ」と言うので「だったらホテルに泊まるからいいよ」と反撃に出ます。

この言葉の裏に母は絶対「いいわよ」って言ってくれるのがわかっている娘の甘えが潜んでいます。
案の定ホテルに泊まったことはありませんし「なんのお構いもできないわよ」と言いながら、いつも多すぎるくらいの料理でもてなしてもらっています。

母の扱い方が上手になったのでしょうか。 

母に謝られてしまう

ある日「あんたにはひどい育て方して悪かったって思ってるのよ」って言われました。

「あんたには全部は言ってないけど、お父さんにずいぶんひどいことされてね、その八つ当たりを全部あんたにしてたんだね」

「あんなにひどい育て方したのに、ちゃんと育ってくれて」とか「あんなにひどい子育てしたのに、孫をちゃんと育ててもらって」とか言ってくれて、わたしがなんて答えたかというと「大丈夫よ、ちゃんと愛されてるって思っていたから」でした。

愛されていると思いたかったのかもしれませんね。
ずっと弟の方が愛されていると思っていたし、寂しい思いしてきましたから。

 それに母は弟には八つ当たりをしなかったんです。
 それってずるいよねという話も今では普通に話せるようになりました。

いまだに母にがんじがらめかもしれない

なぜ母の愛を信じたかったかというと、小学生のときに自分の名前の由来をお母さんに聞いてきましょうというのがあって、宿題だから聞いてみました。

母が話してくれた名前の由来は、結核で亡くなった才色兼備のお姉さん「ひろこさん」から一文字もらって「ひろ」世の中をよく見るようにって「み」それで「ひろみ」にしたのよというものでした。

その話を聞いて親の願いの込められた名前なんだなって愛着が湧いて、ブログネームや、お仕事の名前をつけるにしても「ひろみ」にこだわりました。

もしかしたら母の想いにがんじがらめになっているのかもしれませんが、それでもいいのではないかと思っています。 

あんなに母への凝り固まっていた想いがいつのまにか溶けてなくなっています、それは許しとかそういうのではなく、消化して昇華したという表現になります。



16年間ボランティア活動を通して地域の家庭と深く関わり、親子関係、嫁姑問題、夫婦関係など家庭における人間関係を改善するお手伝いをしてきました。
中には「あのままだったら息子を手にかけていたかもしれない」とか「大げさに主人が鬱だと言っているのだと思っていたけれど、自殺を考えていたそうです」
とか深刻な状況だった家庭も今は円満に暮らしています。
ご相談があれば言ってきてくださいね。
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