大進展!~奇蹟の軌跡~2013.7.20 | 【心声(ココヘ)プロジェクト】

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山元町に長く関わっているADRA JAPANさんのページです。


======引用ここから=====

国際協力NGO アドラ・ジャパン(ADRA Japan)

本日2013年7月19日、宮城県漁業協同組合山元支所、山元町、ADRA Japanの三者で「山元町漁業の復興支援に関する協定締結式」がおこなわれました。

山元町は、リンゴとイチゴとほっき貝が特産の町。
漁業に関しては、「資源管理型漁業」を1989年から取り入れ、小さい漁港ながら、先駆的な運営をしてきていました。
今回の震災による津波で、40隻のうち39隻の漁船が操業できなくなり、荷捌所をはじめとする漁港の機能も失われてしまったのです。
山元町の海は4000個以上のテトラポットを含め1m以上がれきが散乱していますが、少しずつ撤去が始まりました。
震災から2年4か月、漁協のみなさんも自分たちで船の再建等、出来る努力をし、町役場も漁港の再建に向けて力を尽くしてきたのです。

今回、ADRAは山元町の漁港(磯浜漁港)の再建にむけて、以下の支援をおこないます。
・操業・出荷体制の整備
・マーケット戦略の立案と実施
・放射能対策計画の立案と実施

このために、ジャパン・プラットフォームからも支援を受けることができました。

これからが本番ですが、みなさんの支援を心から感謝します。

漁協のみなさんのうれしそうな顔が印象的でした!


======引用ここまで=====


……いつだったか、(←失礼なヤツ)
いつも社協の中でいろいろと相談にのってくださっていた
ADRAのMr.Wさんからある方を紹介されました。

その方はKさんと言います。


「山元町に港があるなんて初めて知った!」
「社協に張ってた(ステッカー販売の)ポスターを見て知った」
「何か困ってることはないかな」
「協力できることはない?」

そんなことを言ってきてくれました。
しかし団体様と関わることが苦手な私は、

「漁師さんと直接関係を持ってください」
「お話の時間をとってもらうようにしますので、そこで直接聞いてみてください」
「私はボラなんで、何ともいえません」

と言って、漁師さんにKさんとお会いする時間を作ってもらい、直接お話しして貰うようにお願いしました。

そこで、漁師さんはこれまでの磯浜の歴史や経営形態、震災後の問題や現状の悩みなどを話しました。

県有数を誇ったホッキ水揚げ。
その漁が、海底瓦礫により行うことが出来ない。
施設もない。
魚を獲っても、売りに行くまで(これまで合った機材等をすべて失っているため)鮮度が落ち、うまく仕事が回らない。
氷もない。氷は隣町(亘理町の荒浜漁港)からその都度購入している。


そんなことを話していたかと思います。
それが今年の年明け頃か、そんな感じだったかと思います。

震災前から磯浜にて漁師さんたちとともに
ホッキなどの生態調査等を行っている東北大学のS先生と漁師さんたちは
「どうすればホッキ貝が獲れるか」
そればかりを考えて、
漁具(マンガ)の改良をしては破損、改良をしては破損、の繰り返しでした。

そして去年から「噴流式」という方法でホッキ貝が獲れないか、という実験が始まりました。
漁具に取り付けたホースから新たに水圧をかけることによって
海底の砂を吹っ飛ばし、
土の中から吹っ飛んできたホッキ貝を獲る、という方法です。

噴流式も、何度も失敗を繰り返しました。
「ダメなんじゃないか」
「ここをこうすりゃいいんじゃないか」
繰り返すたびに、新たな方法で挑む先生と漁師さん。

その最中に「協力したい」と結びついたのがADRAさんでした。
そして先日、Kさんがやってきました。

「製氷機!やっとなんとかできるよ!」

そういうなり「いやー!ほんと君はきゅーぴっどだ!」と。


なんでも、磯浜漁港の支援を決めたADRAさんは
助成を募集したようなのです。

当初は海外で。
しかしスポンサーは渋るようでした。
それは地形的な問題でしょう。
磯浜漁港の立地場所。
漁をする、海洋生物を獲る、ということに対しての忌避。
原発問題が絡んでくる支援は、やはり海外の方には
あまり受け入れられないのかもしれません。

その後、日本国内で助成先を募集したところ、
無事にその助成先(スポンサー)さんが見つかったとのことでした。

ですが、

「どんなことをしてる港?」
「公式情報は? ないの?」
「役場のHPは? あら、港のこと書いてなくね?」

……と、一時は雲行きが怪しくなったそうです。

そんなときに、Kさん(の苦渋)の決断が発動。
“このブログ”をお見せした、と……。
そして、Kさんは言ってくれたのです。
「きゅーぴっどだ!」と。


「ドルトさんのブログが決め手になったんだよ!」
「港のこと、応援してくれるよ!」


これには泣きそうになった。
こんなブログで、そんなに大きな金額を決め手にしていいのか、って。

Kさんの話が本当なら、
奇蹟かと思いました。
素直に、ものすごく嬉しかったです。

だけど、仮にそれが本当で、
「奇蹟」であると思ったことが今は現状で、
偶然の縁や繋がりが、なければならないものであって。

出逢うべき人達が出会えた奇蹟。

その奇蹟が集まった先に、
さらなる前進を臨んだときに
それらが軌跡になっていくんだと感じました。

本当に良かったな、と思いました。


そして明日の夕方、
漁師さんたちは苫小牧に視察に行きます。
噴流式マンガの使い方等を学ぶ、という視察になります。

これにはS先生も「いろいろ大変だったんだよ~」と。

「初めての漁具だからさ、なかなか書類が通らなくて。
“本当にこんなに(お金が)かかるの?”
“どれくらいの効果が見込めるの?”
“ちょっと、この件に対してもう少し詳しく(書類追加)”
……ってさあ。初めてのことなんだからわからないよねえ~!」

と。

各方面、各方面でいろんな人が港をよくするために頑張っています。

「ドルトさんも一緒に行きなよ~。それで噴流式をいろんな人に伝えればいいよ。磯浜がどんな風に復活していくか、書いて伝えていったらいいんじゃない? え、私が書けばいいって? 私が書くと堅苦しくなっちゃうからさあ~。その気があるならADRAに頼んであげるよ?」

と、なんともありがたいお言葉。
S先生、ありがとうございます。。。

大学のS先生……は同行しないので、
S先生の助手の男の子(雨男疑惑)と、
漁師さんたちとKさんたちが向かうようです。

で、他の漁師さんからも「北海道、いかねーのか?」といわれ。
一応、午後からの仕事もあるしなあ~、と言いつつ、
見てみたいなあって想いもあるんですけど笑

ADRAさんにボラ身分の旅費出せっていうならもっとイイコトに使ってほしっすよ

とか言ってみる。

「なんだや~行がねのがあ~。おめはこの港を見届ける義務があるんだよ?」
「おめはこの港の“岸壁の母”なんだがらよ~」

とか言われて嬉しかった。
すごく嬉しかったですよ。
占い師かよ!
って思いましたけども^^*


フェリーでの運航費はADRAさんが持ってくれたようです。
ADRAさん、本当にいろいろとありがとうございます。

いろいろと焦りもあったようです。
「港支援は難しいね」ってこっそり漏らされたこともありました。
私もそう思いますが、NGOさんなので私みたいな個人で動く可能範囲も、支援の規模(金額)が違います。

それでも、
「約束を果たせて良かったよー!」
「(約束を果たすことが出来て)ホッとした!」
といってくれたときのあの瞬間。

この人は本当に心から応援してくれる人だ、って思いました。

その時は、信じ切れなかった自分が恥ずかしかったわけです。
なんせ、名誉万歳!NPOとか嫌いなもんですから……。
だから、団体さんとか組織さんは身構えてしまうのです。

(勿論、心から頑張っているNPO所属の方も知っているので、「片っ端から反NPO」って訳ではありませんのでご了承ください^▽^)


……そんなわけで、これまでの漁法とは違う、磯浜の新たな漁具と漁法。
明日から4泊5日?
漁師さんたちはお勉強に行ってきます。

誰も居ない港は寂しいですね。
でも、彼らが帰ってくるのを楽しみに待とうと思います。

きっと、
「あんなの無理だびゃー!」とか
「ホントにできんだべが?」とか
いろんなコトを言いながら、
それでもあれこれ葛藤して、不安も不満もありながらも
彼らは進んでいくんだと思います。

人間だから、文句くらい出ます。
だけど、文句だけ言って立ち止まる人間たちではありません。笑

磯浜のホッキ漁復活。
ものすごく楽しみです。

「おめが此処にいなくても、震災後初のホッキ祭りには招待すっから」

そう言ってくれた船主会長。
応援したい人間のくせに、いろいろ支えられまくっています。


ゆくゆくはホッキ貝通販!
そのときは是非、磯浜のホッキ貝を味わってみてください!


ドルト.