実家宮城の亡くなったお祖父ちゃんのお通夜、葬儀を終えて新潟に帰ってきました。


もう90歳を越えたお祖父ちゃんだったし、充分長生きしたし・・・

それでいて昔っから面白おかしなお祖父ちゃんだったからか・・・


親族もご近所さんも親しい方達も・・・


涙を流して悲しむような人もいなく・・・


でしたが・・・







うちの田舎の方では、早くに火葬をしてそれからお通夜、葬儀となります



火葬も早い日程時間で行われたので間に合わず、私達が地元に着いたときは、お祖父ちゃんの姿を見ることは出来なくて・・・


だからか亡くなった実感がわかないままお別れをしてきました



私自身が身内の葬儀っていうものを初めて経験したのは、30年ほど前に曾祖母ちゃんが亡くなった時でした。


私が年長のときかな・・・



今回亡くなったお祖父ちゃんのお母さんにあたるわけですが



曾祖母ちゃんが亡くなった時、曾祖母ちゃんのは、80代だったと思います・・・



その時、泣いてる人がいない中で、お祖父ちゃんは涙を沢山流していました



小さい私に向かってお祖父ちゃんが


「どんなに長生きしても、お祖父ちゃんのお母さんだから、死んだのが悲しいんだよ・・・」


そう泣きながら話してくれたのを覚えています



今回、90歳を越える長生きをして亡くなったお祖父ちゃん・・・



ただただ悲しくて、いっぱい可愛がってくれた思い出が甦ってきて、涙が溢れて・・・



30年前にお祖父ちゃんが私に言ってたように



どんなに長生きしても私の大好きなお祖父ちゃんだから死んでしまったのが悲しい・・・



どれだけお祖父ちゃんに可愛がって貰ったか・・・



共働きの両親の代わりに、保育園の迎えや、忘れ物したときは学校に届けにくれたり、


毎日とにかく遊んでくれ


田んぼや畑にお祖父ちゃんと付いてって、忙しく農作業してるっていうのに


何回も「お祖父ちゃん~」と呼んでは



手を振りながら「こゆずさ~ん」と返してくれてた優しいお祖父ちゃん

(なぜかお祖父ちゃん私や兄を呼ぶときさん付けでしたかお


オーバーリアクションで、にこにこしながらいつもいつも私の頭をクシャクシャになるくらい撫でてくれて・・・


正真正銘のお祖父ちゃん子の私でした



呆けてしまう前、いや・・・若い頃か天然でとにかく元気で面白くて優しくて活動的で、大食いでそれでいて農作業、日曜大工などが得意でとにかく何するにも器用で・・・


同居してたしね・・・沢山面倒を見て貰って可愛がってくれました


充分長生きだったけど・・・

別れは悲しい・・・



お祖父ちゃん今まで可愛がってくれて本当にありがとう・・・



私の小さい頃の写真にはお祖父ちゃんに抱っこされてる写真がいっぱい・・・



反抗期もなぜかお祖父ちゃん反抗してた時期もあったしね・・・



涙を流して帰ってきても
本当に実感わかないままなんですけどね・・・