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声のお仕事をさせていただいてます。
ここはTwitterには書けない僕の奥深い場所。

覚悟はいいですか?
それではごゆっくり。

病気についてを見てくれてる人へ。
しばらく書いてなくてごめんなさい。
やっぱり病気のことを振り返ると辛くなります。
僕自身他人事のように今まで過ごしてきましたが、ふと一人になって何も考えない時間が出来ると、
「大丈夫だろうか」「急に悪化してないだろうか」などと今でも浮かびます。

ですがこの病気になったことでつらい苦しいって言っていると、
誰も幸せになれないって感じました。
これも病気になって分かった人の重みでした。
今日もただ連々と書き記したいと思います。


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手術と言うが日帰りでしかも1時間もかからない目のレーザー手術。
その不安の中、同時に悪くなる腎臓。
希望という道は正直少なかったけれど、その中で僕は今しかできないことを
ただひたすらやっていた。

年は超え僕はいつものお仕事をこなしていた。
なんとかこなしていた。
その頃になると目の網膜症に関して進行が落ち着いていた。
腎臓のお薬という画期的なものはないものの、
腎機能が衰えると必然的に体で作られるインスリンが体外に出にくくなる。
幸いにもインスリンの単位数は極端に少なくなっていた。
ただ早く言えば病気は悪化の方向に進んでいる証拠でもあった。


連続で働くだけの体力もない。気力も薄れていた。
お仕事の調整をしてその頃に長期休暇を1ヶ月取った。
3月の寒い中だったけれど、家族は暖かく迎えてくれたことを覚えている。
いつも心配をかけるように声をかけてくれて見守ってくれた。
そう、その時に出来た作詞が「母へ」だった。
僕としたら当たり前のような母の存在。
離れて暮らすなかいつも大きな愛で包んでくれた。
それを北海道帰省の集大成として作詞に仕上げしかも奇跡的に曲にまでなって・・・。
僕のひとりよがりかもしれないけれど恩を返すことが出来たかなって思っている。



腎臓が悪化すると必然的に食事療法をすることになる。
その食事療法を守ると少しでも病気の進行を抑えられると教えられ、
信じて自炊をして調整をしていた。
一日塩分6g・タンパク質40g・カロリー1800キロカロリー。
この数値がどのくらい厳しいものかは作り始めて初日に痛感した。

その日から味噌汁などのスープ類はいっさい取らず。
醤油やソースなどの調味料はすべて塩分控えめのものに買い替え。
肉か魚は1食10gまで。肉なら一切れ、魚なら切り身1/3でおしまい。
ご飯は180gでそれ以上もそれ以下もダメ。主食になるうどんの場合はご飯物一切ダメ。
僕の好きなソバは腎臓に良くないので食べれない。
僕の大好きな納豆やじゃがいも、かぼちゃなどのタンパク質が多いものはその分ご飯を減らす。
塩分が多いソーセージやハム、ウインナー類もダメ。
カリウムが多い野菜はダメ。
卵も白身は捨て黄身のみ。
牛乳はもちろんチーズやヨーグルトなどの乳製品もダメ。
・・・正直食べるものがなかった。

調味料は毎回スプーンで量り、作った時に必要なものを全て記録する。
野菜も肉も毎回量りにかけ、食事を作り上げるのだけで平気で2時間ぐらいもかかるほどだった。

ただこれだけの制限があるとカロリーが足りなくなる。
頑張って頑張って取っても1200キロカロリー。
そうなるとカロリーが豊富な油ものを大量に加えるしか方法がなかった。
必然的に体に負担がかかり、体重よりも体に肉がつく。
しかも油や甘いものでカロリーを考えると糖尿病が悪化する。。。


・・・この食事療法が僕の家族を苦しめた。
今までにないほど神経質になって、家族がいつも食後のデザートや甘味類なども、
僕の前では食べずに隠れて食べていたようだ。
食事を作る為に冷蔵庫を開ける僕が知らないわけもなく、食べたいものが食べれない苦しさ。
人間の3大欲のひとつを粉々にされた僕にさらなる追い打ちが降りかかった。




5月が過ぎ体をだましながらお仕事をこなしていた矢先に急に右目が見えにくくなった。
出血が多かった左目はこの頃もよく爆発は起こしていたのだが、
先生が安心していいっていう右目が明らかにおかしかった。

慌てて先生に連絡。
今にでもすぐに病院に来て欲しいということで、
偶然にもお仕事が休みだったその日に予約外で伺った。

・・・

先生の診断は意外と早かった。
「網膜剥離一歩手前だね。」
それは僕にとって寝耳に水の予想外の事だった。

通常出血は水晶体の中で新生血管から起こる。
ただ右目の場合水晶体の外に出血したものが流れ込みそれが網膜と水晶体の間にたまってるらしく、
運が悪ければその出血が網膜を引っ張り剥がしてしまう。
そうなれば失明は免れないという危機的状況だった。
しかも特効薬はなく出血が自然と体に吸収されるのを待つだけという。


目が見えなくなる。
今までで考えられないほどの恐怖が体中を駆け巡りながら、
その駆け巡る血液も糖尿病という病に侵されて、
毒素を抜こうにも尿からは毒素よりも大量のタンパク質が漏れ出されている。
なんでこうなってしまったんだろう。
なんで僕なんだろう。
やっぱりそんなことを考えるんだね。病で戦う人は。。
この時親父をはじめて恨んだ。

天国から見守ってくれていると思ってた親父が、この病気から救ってくれるんだって思っていた。
あっという間に僕の病気なんて嘘のように消えてなくなるんだってね。
ただ日に日に悪化していく体を背負いながら、
同時に急にこの世からいなくなった親父は亡くなる間際、どんなことを考えていたんだろうかと。


未だにその答えは僕には見つかってない。


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