6 | コウトオフィシャルブログ コウトの言葉

コウトオフィシャルブログ コウトの言葉

声のお仕事をさせていただいてます。
ここはTwitterには書けない僕の奥深い場所。

覚悟はいいですか?
それではごゆっくり。

日に日にお仕事をこなしながら過ごしていく時間は、幾分か病気を忘れさせてくれた。
けれどその病気さえもいつもの生活の中でしんどくなってきた時にふと我に返る。

階段をのぼることができない。
走ることもできない。
電車で立ったまま失神しそうになる。

こんなことを繰り返してるうちに僕の体は悪い方へ悪い方へを進んでいった。



2013年9月の事だった。

目の出血もだいぶ収まり体調も安定していた。
その頃は数ヶ月の間、出張を兼ねたお仕事を毎年請負う形でお仕事をしていた。
それは大阪への出張の前日に行った精密検査の事だった。。。

いつもどおり待合室で待っていると看護師さんが慌ててこちらに来て、
「コウトさん、体調大丈夫ですか!!」と伝えている。
僕は普段と変わらない、ちょっと頭がいたいぐらいだけですと伝えると、
「いつでも辛くなったら連絡してくださいね!」と。。。

これを言われてしまうと、やっぱり結果が悪かったんだって思わずを得なかった。


診察の時間になるとやっぱり先生が怪訝な顔をしていた。
僕が「そんなに状況が深刻ですか?」というと、一言。。。
「コウトさん、これは緊急入院してください。」

寝耳に水と言うかこれには僕も動揺してしまい、数日待ってもらえないかという打診をしてみた。
せめて大阪の出張だけはこなしていきたいと思っていたから。
だがその希望も次の一言で砕かれ、恐怖に陥れられることになる。


「コウトさん、これ以上は命の保証ができません。」



数値に詳しい人ならどのくらいだかわかるけれど、
クレアチニンの数値は13.6で頭が痛いのは間違いなく尿毒症から来ているもの。
このまま帰らせると本当にいつ意識を失いそのまま息を引き取るかわからない。
そう言われてしまうと僕も覚悟を決めることしかできなかった。
とりあえず荷物を持ってくる猶予だけはいただき、帰り道でお仕事先にキャンセルの連絡を入れた。

これでこのお仕事もできなくなる。
今まで積み上げてきたお仕事さえも全て水の泡。。。
人生を狂わす病気を本気で憎んだ。
憎んで憎んで、、、このまま電車に飛び込んでやろうかとその時は本気で思っていた。


入院をした2日後には手術を受けることになった。
先生の決断も早く、僕はそれを受け入れることで精一杯だった。
PDのカテーテル導入術と言って分かる人はどのくらいいるだろうか。
そう、、、いわゆる透析の開始だった。

透析には2種類あり、一般的な血液透析と腹膜透析がある。
僕は後者の夜間でも行える腹膜透析を選んだ。
腹膜透析とはお腹に管を入れ、その管から腹膜へ透析液を入れ込む。
寝ている間にその腹膜内の血管を介して血液中の老廃物などが透析液に染み込み、
それを起きるときに透析液を抜き出すことで老廃物を体の外へと出す仕組みだ。


これが実際病院でこんなかんじだよーって練習台にされていたコリラックマ。。
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通常導入術をしてから数ヶ月おいて体になじませることが多いのだが、
僕の場合本気で緊急を要していたために導入してから3日も立たずに開始された。



初めての透析の時、看護師の前で泣いた。
あまりの早さでここまで来てしまって、全く心の整理もできていなかった。
見てみれば、お腹から管が出ている。
毎日この管の出入口を消毒し、寝る前には必ず透析機械につなぐ手技をしなきゃならない。
お腹に透析液を入れるということだけで恐怖があり、それが僕の命をつなぐということも信じられなかった。
そんな僕を看護師さんは優しく声をかけてくれていた。


寝る前には必ず手技をする。
僕が使っていた機材はバクスターのゆめという機械で、寝ている間にすべて自動で透析液を出し入れしてくれるものだった。
バクスターのゆめ

これが意外と曲者でエラーが起きるとかなり大きな音をだす。
寝ていてもこの音で必ず起こされ、エラー回避をしなきゃならない。
苦痛でしかなかった。
毎日エラーが起きるんじゃないかと思いつつも、やっぱりこれが僕の命になるもんだと思うと、
ちょっとだけだけど愛おしくも感じてきた。
俗にいう「ツンデレ」なゆめちゃんww

しかもその機械につなげるための機械がくりーんフラッシュという機械だった。
相方はそれを見て「倖田來未だw」と和ませてくれていた。
くりーんフラッシュ


倖田來未とゆめちゃんに囲まれて寝る日々がこうやって始まったのだった。


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