ロックスターのような不妊治療のスーパースター | 松林 秀彦 (生殖医療専門医)のブログ

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生殖医療に関する正しい知識を提供します。主に英語の論文をわかりやすく日本語で紹介します。

本論文は、ART治療(体外受精、顕微授精)の歴史に関する雑感記事の論文です。

 

Fertil Steril 2023; 120: 955(英国、フランス)doi: 10.1016/j.fertnstert.2023.04.032

要約:過去50年、不妊治療(ART治療)は目覚ましい発展を遂げました。世界初の体外受精に成功したSteptoe、Edwards、Purdy、卵巣刺激はWood、Trounson、Howard Jones、Georgeanna Jones、顕微授精はPalermo、Devroey、Van Steirtegehem、PGTはHandyside、Winstonが大きく貢献しました。彼らには真の開拓者精神があり、新しい時代が訪れました。 1675年にIsaac Newtonは「もし私が他の人よりも遠くまで見れたとしたら、それは巨人の肩の上に立ったということだ」という名言を残しました。 強い使命感と目的意識を持った人だけが成功するのはそのためです。このようにして、ロックスターのような不妊治療のスーパースターが誕生しました。

 体外受精は現在、日常的な医療になっています。かつては妊娠率に重点が置かれていましたが、現在は資本主義の波が押し寄せています。今では国境を越えてARTクリニックを統合し、グループ化やチェーン展開が生じています(KKR、CVCなど)。かつて、患者はロックスターのような不妊治療のスーパースター医師の評判に基づいてクリニックを選択していました。現在は、チェーン展開のクリニックで、サラリーマン的な医師従順な働きバチ的医師として勤務しているだけです。「中世のギルド」精神を持った熟練した医師が不在となり、低コストで簡素化したART治療が行われつつあり、今後は、標準化と均一化、自動化と小型化が進行することが予測されます。クリニックと患者の間を取り持つコンシェルジュ的な存在が必要になるでしょう。今後、人工知能が生殖医療を提供する未来の世界では、医師や医療者の役割はどのようなものになるでしょうか。Charles Darwinが「種の起源」で「生き残るのは最も強い種でもなく、最も賢い種でもなく、変化に最も適応できる種だ」という有名な言葉を書いたとき、もしかするとARTに関与する医師を頭の中に思い浮かべていたのかもしれません。

 

解説:1978年に世界初の体外受精での出産が報道され45年、確かに不妊治療は目覚ましい発展を遂げました。世界的に有名な上記に記載された先人達は勿論ですが、日本でもART治療の創世記を支えた医師たちがおられます(現在70歳前後の医師)。まさに皆さんがロックスターのような不妊治療のスーパースターでした。これらの方を第1世代の医師としましょう。第2世代は私たちの世代60歳前後で、第3世代は40〜50歳あたりになります。日本にはまだ巨大な不妊治療のグループ企業は参入していませんが、確かに海外では世界的にチェーン展開したARTクリニックが複数あります。企業が大きくなると、採算や経営が最優先課題となり、患者さん主体の医療ができなくなるなどのデメリットも起こり得るでしょう。低コストで簡素化するのもありだとは思いますが、患者さんに寄り添った個別化治療からは遠ざかります。メリットとデメリットを考慮した不妊治療が望まれると思います。