発信責任 | *

*

↑『ゆきのひとつぶ』と読みます

礼。

 

ブログで記事を書くにあたり、

何を書こうとも書く人の自由だと私は思います。

 

これは個人的な教育環境も関係してきますが、

私は、

自由には責任が伴うと教わってきました。

 

例えば、ブログで書いた内容が法に触れる内容で、

読んだ人が真似して法に触れた場合、

ブログを書いた人が直接罰せられるかは不明ですが、

読んだ人が「○○ブログにこう書いてあった」と供述した場合、

何らかの調査が入るのは間違いないでしょう。

調査が入ったことが社会に知れわたれば、

ブログの社会的信用は一瞬にして失われると思います。

 

さらに、法に触れるだけではなく、

読んだ人の行為で被害者が出た場合、

加害者(=読んだ人)の「○○ブログに書いてあった」

という供述があれば、

被害者は、加害者とブログ主を相手に訴訟を起こす可能性も

十二分に考えられます。

その訴訟が知れわたれば、

裁判の勝敗に関係なく、

やはりブログの社会的信用は失われると思います。

 

余計なお世話かもしれませんが、

スポーツのブログで技術論を書くときには、

安全面に細心に注意を払った方がいいと思います。

 

日本人のメンタルとして不可抗力による事故には寛大ですが、

防げる事故を防がなかった場合や

安全に逆行する行為があれば、

容赦なく訴訟の対象になるというケースは増え続けることでしょう。

そこで加害者がブログの存在について言及すれば

見ず知らずの人の事故に関連する訴訟に巻き込まれる

なんてことも増えていくのは避けられない現実です。

 

裁判で何が怖いって・・・

原告の主張が100%通ることがレアケースな一方で、

被告の立場で100%退けることもレアケースである

というところに恐ろしさがあります。。。

(双方の弁護士がそれぞれもっともらしいことを書くわけですから(笑))

 

スポーツに挑戦や冒険が必要なのはわかります。

ですが、

挑戦や冒険が必要な時ほど、

くどいくらい安全に言及するべきではないでしょうか?

 

スキーのリスクについて考えるとき、

自分が怪我するだけでなく、

他人を巻き込むリスクを考えられるのが

真の上級者であることは言うまでもありません。

 

わかっていても今さら変わることはできない

という方もいらっしゃるかもしれません。

一つここは勇気を出して変わってみてはいかがでしょうか♪

 

https://news.yahoo.co.jp/byline/kiyoshimio/20180507-00084938/

選手も選手ですが、監督も監督ですね。。。

 

巷ではスポーツ指導者のルール無用の勝利至上主義(※)が

古い体質のように指摘されていますが、

昔の方が指導者に教育者としての姿があったように思えます。

 

むしろ最近の方が指導者に成果主義が求められて

教育が評価されにくくなっていないでしょうか?

その背景には学校が教育主体としての姿から

経営効率を追求する経営としての姿に変わりつつある

社会的背景も問題としてあるかもしれません。

 

 

これは個人的見解ですが、

スポーツ指導者にはいたずらに成果主義を強要するのではなく、

人間教育を含めた教育者としての指導者像を期待していくような

社会基盤づくりが求められるのではないでしょうか?

 

と思っていたら、こういう記事を発見しました♪

https://ameblo.jp/tonakai-no-hitorigoto/entry-12365256443.html#cbox

 

礼。

 

※あらゆるルールを守るという大前提において勝利を目指すことは重要なことではあります。