定時制の説明会での教師の言葉
「基本的に皆んな受かりますから」との事。
この言葉を聞いて、自分が、基本的に含まれるのか凄く考えてしまった。
ネットで調べると、定時制の試験で不合格になった人もいたからだ。


それからいろんな事を考えた。
無事に入学出来ても、いじめられたらどうしようか、部活で先輩達と上手くやっていけるだろうかとか、ヤンキーの人達も多いだろうなーとか。
予期不安爆発といった感じだった。
気持ちの余裕がどんどん無くなっていった。


いろんな人と繋がりたい。でも、人への恐怖心はまだまだ強い…そんな気持ちの中での高校受験は恐怖そのものだった。


自分が、人に対して恐怖を感じるのはある意味当たり前なところがある。
社会不安障害だからとかの前に、何度も人前で吐いた経験がかなり大きい。
小学生の低学年の頃、日曜日のショッピングモールの人混みのど真ん中で、盛大に吐いてしまったことがある。両親は慌ててすいません、すいませんと言いながら嘔吐物を片付ける。
居合わせた見知らぬ人からは、汚ねーとかクサーイといった言葉が聞こえてくる。
何よりショックだったのは、女性の悲鳴だった。
目の前でいきなり吐かれたら悲鳴をあげるのも分かるけど、本人としてはかなりのショックだった。
自分は、悲鳴をあげられなければいけない存在なのか…と思うと、悲しいなんて言葉では済まない程ショックだった。
そんな気持ちの中で、嘔吐物を片付ける両親の背中を見ている自分は、世界から取り残されたような、何とも表現し難い気持ちになった。
何の為に生きてるんだろうって…
小学生の低学年の頃は、自殺までは考えて無かったけど、生きている喜びなんてほとんど無かった。


こんな経験からか、女性恐怖とはいかないまでも、初めて会う女性にはかなり緊張する。
悲鳴をあげられないか(笑)とまでは考えないけど、男性と会うよりもかなり神経を使ってしまう。
HSPの交流会の時もかなり緊張してたなー。
女性と話せる事は素直に嬉しいんですけどね。身構えてしまう癖が抜けないと言うか。



後、体臭恐怖にもなった。散々クサーイって言われたり、悲鳴を聞いてたらそりゃ匂いだって気になるわって感じだけども。これは今も治ってはいない。
嘔吐物に対してのクサーイだと分かっていても、匂いは目に見えないから、自分がクサイんじゃないかって考えになってくる。匂いの悩みって人に相談しにくいから余計にだと思う。
親に頭の匂いとか確認してもらっても、ホントにクサくない?って何度も確認しちゃったりする。
やっぱり子供の頃の経験って、大人になってからいろいろ出てくるなーと感じる今日この頃。



ダラダラと書いてしまいましたが、今日はこの辺で終わりにします。
最後までありがとうございました。