活字遊戯 ~BL/黄昏シリーズ~ -1027ページ目

scene1

 その日は、いつもと違った。今日こそ、あの道場を辞めてやる、そう心に決めていた。
 幼いころから母のすすめにしたがいピアノも絵画教室も英会話教室も、とにかく行けといわれたら迷わず通った。だが合気道の稽古だけは続けていく自信がない。いや、正直なところ好きではなかったのだ。習いものには向き不向きがある。瞬(しゅん)は武道独特の、あの道場の雰囲気に、どうしても馴染(なじ)めなかった。ただでさえ馴染めないところにもってきて瞬の通っている道場には外人の門弟が多い。日本の文化を学ぶことによって「学習ビザ」がとれるからだそうだ。大多数の外人にあてはまるのだが、あの腕力といったら一般の日本人の比ではない。女性でさえ、先日、容赦なく腕をねじあげられ瞬は悲鳴をあげた。数ヶ月前は腰を痛めた。たしか同じアメリカ人女性だった。
 もう、がまんできない……。
 黄昏が足元を、ほのかに紅く染めていた。普段は夜の稽古にあわせて、もっと家を遅くでるのだが今日は退会手続きをするつもりだったので、いつもより早く家をでた。
 道場は閑静(かんせい)な住宅地の奥にあって普通の家屋を改築して稽古場にしたものだった。道の両側に軒(のき)をならべる家々から夕げの匂いがただよってくる。
 そういえば昨夜からあんまり食べてない……。
 寝不足気味でもあった。母親に無断で道場に退会届けを出すということは、そのまま親への反抗を意味する。瞬は二十三歳で、大学卒業後、働いてもいる。いまさら反抗期だのと言われることもないのだが、そもそも、これまで親に逆らったことがなかったのだ。
 趣味ぐらい、もう自分で決めたいし……。
 道場の門が見えてきた。瞬は生唾(なまつば)を飲みこむと意を決してドアのノブに手のばした。すると中から勢いよく扉がひらかれた。ドアの体当たりをまともにくらって背後に投げだされた瞬の背中を、しっかりと受けとめた人間がいる。
「大丈夫か?」
「はい……」
 男はドアの方へ怒鳴り声をあげた。
「注意しなきゃ駄目だろう、マケイン!」
 ドアのところで、一九十センチはあろうかと思われる黒人男性が困惑(こんわく)した表情で瞬に頭をさげてきた。
「ソーリー」
 振りむくと、男が片頬笑いで瞬を見おろしていた。身長が一八十センチほどあるだろうか。
 この人、稽古では見かけたことない……。
「間一髪だったな」
「……ありがとうございます。助かりました」
 それが、篠塚(しのづか)との出会いだった。



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