夫婦って関係 | わたしに嵐のテレビ見せてーーー!!

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プロフィールで、長々と話していますが、大野智さんが大好きなママです。
あまり文章能力がないので、ノンビリと好きな事(智さんはもちろんですが、
子育て中の発見など)を書いていこうと思ってます!!

この記事、ほんとは先週の11月22日(いいふうふの日)にアップしようかなって思ってたんだけど


体調不良と智さん関係記事先行(それは当然)だったので今日になっちゃいました。



ちょっと、今回は夫婦ってネタで書いてみました。


夫婦関係って、ほんと変わった関係


生きてきた環境が全然違う二人が一つ屋根の下で生活して、


育ててくれた両親よりも長く一緒に生活を共にするんだよ。


それに産まれた子供はお互い血のつながりがあるけど、夫婦って全くの他人なんだよね~。(当然なんだけど)


まあ、他人の中では最も濃いつながりのある他人なんだよね。


今日は、私たち夫婦の事じゃなくって私の両親の話をしてみたと思います。


ちょっと初めは暗い話になっちゃうかもしれませ~ん!!



こほん。

私の父親は、私が23歳の時に58歳で病気で亡くなりました。


この父親、ワンマンでサラリーマンしてるのが性に合わない人だったんです。

(人に指示されたくないってこと)


結婚する前はダンプに乗ってたりしてたらしいですけど


結婚してからは、ある会社に入ってそこの従業員の送迎バスの運転手をしてたんですって。


この仕事そんなに束縛なくって、母親は父親が気に入って仕事してると思ったらしいんですけど、


私が小学校1年の時に、父親がちょっと病気になって会社を1年間休職した事があって、


そこからどうも自営業をしようと企んでいたようです。(あくまでも私の見解)



で、私が小学校4年の時に自宅を半分壊して増築して、工場を作ったんですよ。(家内工業ってやつ)


もうねその後、就職するまでの私の人生は、毎日学校(小学校~高校)から帰ってきたら


父親の工場で働くってルーチンが課せられてました。(工場は24時間操業)


だから、私は放課後に友達と遊ぶとか友達の家にお泊りなんてした事ないです。(寂しい青春)


(なので母親に家事や料理を教えてもらう時間が無かったので、私が結婚したときは大変だった)



母親はお店(田舎なので何でも売ってるようなお店)をしてたので、そこと並行で工場も手伝ってました。


父親の趣味って仕事だったので、一年間で工場が休むのはお正月の三が日の間だけでした。

(仕事が大好きなのも考えもの)


なので、自営業を始めてからは一度も家族旅行は行ったことなかったし、


父親との思い出って私が幼稚園の時に、私がハチに咬まれて父が咄嗟に


口で毒を吸い出してくれたってくらい昔をさかのぼります。


それ以外は、仕事してる後ろ姿だけしか思い出せません。



なんでも、良いことも悪いことも自分で決断して行動しては

(工場で使用する機械を勝手にリース契約しては)


請求書が届いて母親とケンカしてました。

(機械1台3000万だからね。ケンカもするわ)



もうな~んでもワンマンで、父親はその当時、


朝の情報番組で「日本の社長」ってコーナーがあったの。


確か宮尾すすむさんって言うリポーターが


日本の社長(たたき上げの社長が多かった)の


豪邸に行くような内容だったと思うんだけど、


いつの日か自分も成功して、そのコーナーに出演したいって


願望があったみたい!!


その願望に向かって、仕事仕事の日々。


それに合わせて家族も同じように仕事仕事の日々。



そりゃ不満もい~ぱいあるけど、その仕事の成果が私たちの生活に直結してるし、


我が家は3姉妹だったので男手が父親一人だったから


「私達を休ませろ~!!」なんて言えなかった。。。



母親は、自分のお店&家事&工場の手伝い&子育て

(まあ、子育ての部分は若干放任だったけど)


こんなに掛け持ちだったけど、父親はそんな母親への配慮は全く考えてなかったから、


母親が一番大変だったと思う。


いつも自分の思い通りに母親を動かそうとして、父親の怒鳴り声が響いてた。


だから母親は常にリコンという三文字が頭をよぎってたみたい。

(確か私が小さいとき母親に勧めた覚えがある)


まさしく、「家族を顧みない父親」って言葉がピッタリだったね。



私が就職で家を出てからは、姉が父親の片腕となって工場を手伝ってたけど、


時はバブル崩壊の頃、あっけなく小さな下請け工場である父親の工場も弾けちゃった。



その後も、ほとぼりが冷めたらまた一発当ててやろうなんて野望を持ってたみたいだけど


あるとき、はしごから落ちて足を骨折しちゃって、しばらく寝たきりになってから状況が変わってきたの。



急に、ボケ始めた。


家族の存在自体も分からなくなってしまって、


姉たちに初対面みたいな挨拶をしたんだって。


姉は慌てて、父親を病院に連れていって分かったんだけど、


父親は昔から肝臓が悪かったのよ、でもずっと自分の身体も顧みないで仕事をしてたから

(恐がりな部分もあったから病院から足が遠のいてたのかもしれない)


随分悪化してたらしい、それと寝たきりになった状況が記憶障害を引き起こしたみたい。


病院で血液の流れを正常にする点滴をしたら、すぐに治ったの。


でもその時、父親の寿命が後一年持たないだろうって診断されたのね。



そこからは、度々血管が詰まって記憶無くなって点滴して、入院も度々くりかえしてた。


それから約2年後、私が勤めてた会社に父親の危篤の知らせが入って、急いで病院に駆けつけたら


何とか輸血で一命は取り留めてた。


私は「親の死に目に間に合った。。。」って安堵したのを覚えてます。



でも、病院の先生は父親がこの状況で、まだ生きている事態が奇跡だって言われるほど


父親は気力だけで生きてたんです。


それから5日後に父親は亡くなったんだけどね、


父親は夜中でも意識が戻るとね、信じられないくらいの体力を使って


身体中に入れてある管を全部外して起き上がろうとするのよ。


だから、私達娘は母親と交代で付き添うつもりだったのに、


残念ながら娘が3人も居るのに父親が覚えていたのは母親一人だけ。


そのために、母親がずっと付きっきりで付き添ってました。


一度も労いの言葉や感謝の態度を母親に向けたことのない父親だったのに、


最後の記憶に残っていたのは、血のつながった娘ではなくて他人である母親だったんです。


なんだか、その時に夫婦っていう関係って本当はすっごく深いんだって思いましたね。


私達にはわからない理解しがたい二人の歴史があるんだろうね。

私達が付添いに役に立てないので、私達3姉妹は一先ず実家に戻って


翌朝お弁当を作って、父親と母親の待つ病院に揃って向かい、母親と4人で父親に付き添ってました。


そんな生活が4日間続き、父親の状態が小康状態だったので、


翌日は私だけ一度家と(私結婚2年目だった)、会社にも状況を説明しに帰りました。


その翌日にはまた実家に戻るつもりでいたのですが、


その夜私が家に居たところに父親が亡くなったと電話がありました。



結局私は、父親の死に目には会えない運命だったんですね。


でも、病院に残ってた姉二人も死に目に会えなかったんです。


実は、いつもどおり父親が小康状態だったので、面会時間が過ぎて


姉たちはまた実家に戻るために車に乗ってたそうです。


父親の状態が急変したのは、ちょうど姉たちが車に乗ってる間だったみたい。

(今みたいに携帯がないころだからね連絡のしようがない)


結局、5日間家族総出で付き添ってたのに、


父親の人生の最後を看取ったもの母親ただ一人だったんです。



でもこの5日間は、嫁いだ姉も私も父親のお陰で、姉妹揃って実家で寝泊まりし


一緒に料理を作り、これからのことについての話をして、そして昼間は母親と共に


父親の傍に居ることができたんです。


奇跡の5日間のお陰で家族5人が同じ時間を過ごせたんです。


父親はずっと出来てなかった一家団欒を、最後にしたかったのかもしれない。


きっと満足したんでしょうね。


で最後の最後に、父親は誰よりも母親を選んだんですよね。



そうそう、父親は母親の作ったおはぎが大好きでね、


おはぎがある時は、それを白飯がわりにしておかず食べてたほど好きなの。

(私には出来ない食べ方)


それでね、亡くなって初めてのお彼岸の時、



母親が父親の大好きなおはぎを作ったの。



そしたら、おはぎが出来上がって直ぐに玄関の方から


「ただいま」って父親の声が聞こえたんだって!!


「お父さんは、おはぎ大好きだったからきっと食べに帰ってきたのよ!」って


楽しそうに嬉しそうに私達姉妹に教えてくれました。ニコニコ



はあ、夫婦って奥が深い、深すぎる。。。


人の母になって歳も重ねた今の私なら、父親にいろんな話を聞いてみたいって思う時があります。


でもね、同性の母親には聞きにくいのはなぜだろう?ちょっと恥ずかしいのよね~。

(あっ、決して変な事じゃないよ。普通のことでも何故か照れるのよ)


さて、父が亡くなって14年経ちますが未亡人となった母親は、今でもすっごく元気です!!チョキ


急に若返っちゃって実年齢よりも若く見られるようになりました。






すっごく長い長い話を書いちゃいましたけど、


もしここまで読んでくださっている方がいらしたら心よりありがとうございます!!


なんか、結論の無い話になった気がする。。。