生還した「マルメロのパル」 | 日々是ねこパト (sakki が繋ぐ地域猫活動)

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野良猫1匹を巡って、いろんな人が関わっている。
それを繋げていくと、町がそのまま「形のないシェルター」になるよ。
小さな町で、sakkiが紡いだ“猫を巡るコミュニティ”のお話

半月4月26日の夜。私はパルを我が家で預かることにしました。


25日休診日の前後3晩をホテル・幸楽に泊めて頂いたおかげで、パルは目に見えてしっかりしてきました。

相変わらず病院ではハンストを続けていましたが、幸楽宅では良く食べるそうです。この分なら栄養不足の心配はありません。


幸楽さん発案の通院作戦は、実に有効でした。


我が家へやって来たパル。大げさに横倒しになって動かない。
私はこの情けない姿に、すっかり騙されていたのかもしれない


しかし、通院はいつまで続くかわかりません。この後も、パルの預かり先を、あちこち探しておく必要があります。

自分でやってもいないことを、軽々しく人に頼むわけにはいきません。

そこで、「ここらで我が家へも一度、お招きしようグッド!と思ったわけです。


本当はもう一つ、理由がありました。トミ黒でした。


2012年の12月に公園から引き取って以来、トミ黒は、一度も猫に会っていないのです。

パルが来たら、トミ黒はどんな反応を示すでしょうか? 


パルの妹・サビー、公園の美少女・縞ちゃん 、母の完全家庭内野良猫・サバ、公園から外遊する猫となったマルなど、

歴代の猫が一時逗留した我が家の「幸せの小ケージ」を、わくわくしながらしつらえました。

狭いトミ黒部屋の、私のベッドの足元です。キャットタワーをずらすと、それなりに居心地の良い部屋になりました。



パルは、病院で排膿処置を受けた後、ガチガチに緊張してホテル・猫崎へやって来ました。


小ケージの中のパトカー猫に、トミ黒はすぐに気づきました。ベッドの上からじっと見つめています。


しかしパルの方は、横倒しにへたばったまま動きません。

排膿ドレーンを固定するテープとTシャツのせいと言うより、極度の緊張と、体力と自信が追いつかないために、

初めて会う老猫の前で、「えっここは猫を被るに限る」と決め込んだようです。


私は静かに、2匹の様子を見つめていました。


トミ黒はきっと、パルの体から漏れる膿の臭いを嗅ぎ取ったと思います。

とうとう気持ちを抑えきれなくなって、トミ黒は、するするっとパルに近づきました。

そして正面から、その顔を何度も舐めました。


公園で生まれた子猫たちの親代わりになり、病気の花ちゃんに寄り添って「水はこうやって飲むんだよ」と教えていた、

「公園キング・トミ黒」は、1年半を経ても、健在でした(→「飼い猫をやめた猫」 )。



        へたばって動かないパルに近寄って顔を舐めるトミ黒(右)。

        もしパルが健常だったら、成猫のオス同士をいきなり同室させることを、私は躊躇ったと思う。

        しかし公園時代のトミ黒は、病気で弱っている猫や子猫に対して、いつも寛容だった。

        「10匹に1匹位、そういう猫がいるみたいだよ」と相棒は言っていた。

        トミ黒の良さは、我が家に1匹でいるより、本来は多頭の場でこそ発揮されるのかもしれない


パルは少量ずつ何度もフードを食べました。水も良く飲みました。カラーを付けたまま大人しくしています。

2匹と1人の夜は、静かに過ぎて行くかと思われました。


星空ところが、2時半を過ぎて、パルは豹変しました爆弾


きっかけはトイレでした。にゃんとも清潔トイレの固い砂は、かき回すと大きな音がします。

ムキになってザクザクやっているうちに、パルの中で、何かが覚醒してしまったようでした。

カラーをケージに打ち付けて、腹の底からうなり声を上げ、出せ出せ!! と暴れ出したのです。


参りました。 壁一枚向こうは娘の寝室ですガーン


過労気味で、判断力が付いて行きません。考えもなくケージを開けカラーを外すと、パルは暗闇の中に飛び出しました。


獲物を狙うヒョウのような低い姿勢で、部屋中を忍び歩く気配がします。

私とトミ黒は体を寄せて、夢ともうつつともつかない時間を体を強ばらせて耐えました。


やがてパルはカーテンの裏に窓を見つけて、ひらりと窓枠に飛び上がりました。

外に向かって、昼間とは全く違う、険しくて粘着質な声で鳴き続けます。

もしかして、網戸を蹴倒すのではないか?と思ったら、眠気が吹っ飛びました。


私は初めて、パルを恐ろしく感じました。


羽交い絞めにとっ捕まえてカラーを嵌め、ケージに戻しましたが、パルの興奮は納まりません。

ついに耐えきれなくなり、私はリビングへ避難しました。布団一式とトミ黒、それにトミ黒のトイレも持ち出しました。


パルが動いている間、トミ黒は何度もトイレに入っては排尿しようとしていましたが、出ませんでした。

トミ黒のオシッコが出なくなってしまったら 「ホテル・猫崎計画」は、飼い主の浅慮が招いた大失敗と言わざるを得ません。

5時半頃まで、うとうととリビングで過ごし、また猫部屋に戻った時には、疲れ果てていました。


昼間の、借りてきた猫状態で、自信なさそうにへたばっていたのは、完全なフェイクだったのです! 騙されましたショック!


本来、猫は夜行性の動物です。

しかし、膿胸を患い痩せ細ってしまったパルが、あれほどのエネルギーで外を希求するとは…ガーン


子猫時代から見守って来たパルの本当の姿、今や逞しいオスの成猫であるという事実を、無理やり突きつけられた気がしました。



       5月1日、リリース前夜のパル。我が家最後のお泊りの夜。

       相変わらず深夜に騒ぎ出すが、きっぱり起き上がってリビングに出て、猫ジャラシを振ると夢中で遊んだ。

       そして朝までぐっすり眠るようになった。

       トミ黒も一緒になって遊び、以降忘れかけていた猫ジャラシに盛大に反応するようになった。

       やっぱり若者の存在は刺激になるようだニコニコ

       明日はマルメロに帰る。パル、またおいでとは言わないけれど、来てくれてありがとう



翌27日、29日、5月1日と、パルはホテル・猫崎に泊まりました。28日、30日はホテル・幸楽で過ごしました。


「夜中、騒いで大変でしたガーンと言うと、幸楽さんは「やっぱり、そうでしたか?」と事態を理解してくれました。

3晩連続で泊めた時は、幸楽さんもフラフラで具合が悪くなりそうだったと、打ち明けてくれました。


マルメロには、

「sakki さんや幸楽さんばかりに頼るのは申し訳ない。うちでも一日位は預からないと」と言って下さる人が他にもいました。

でも、お孫さんや他のご家族や、先住猫がいるご家庭ばかりです。これは安易には頼めないと思い、お断りしました。

それより、リリースした後の世話をよろしく、とお願いしました。


幸楽さんと私だけが、真夜中のパルの本当の姿を知る仲間でした。


交代でパルを泊めているうちに、夜中覚醒しないよう先手を打つ作戦や、受け流す心の余裕も生まれました。

パルも次第に人間との生活に慣れ、互いに平和に過ごせるようにもなりました。


しかし私は、現時点で、パルの家猫素養はゼロだ と思っていました。


パルは、人間に24時間監視され、守られてぬくぬくと生きることよりも、

冒険に繰り出し、自力で危険をかわし、困った時には都合よく人間の力も拝借し、

持って生まれた高い知力をフルに発揮して、マルメロ通りで、外猫のまま生きて行くことを望んでいる。


それが、誰にも冒せないパルの本質だと感じていました。


そうであるなら、一日も早く膿胸を治し、体力を付けて、マルメロ通りに戻してやるべきです。


私は「パルを誰かの家猫に」、と内心感じていた迷いを断ち切りました。

そして、そのために、私とマルメロの皆さんはどうすればよいだろう? ということに、照準を絞りました。


パルの胸にたまった膿は順調に減って、27日には10ミリを切りました。

細菌と有効な薬物を特定する感受性の検査でも、すでに細菌は死滅していました。


28日月曜日、排膿ドレーンを入れてちょうど一週間目に、K先生はドレーンを抜きました。

長期抗生剤の注射と経口投与の抗生剤を併用しながら、パルは2つのホテルを泊まり歩いて療養を続けました。

カラーから解放され、ドレーン穴の縫合跡の保護テープだけになったパルは、身軽になりました。


5月2日金曜日、私はついにパルをマルメロ通りにリリースしましたクラッカー


相葉さんのベランダでぐったりしているところを保護されてから、ちょうど2週間目のことでした。



      5月2日、マルメロ通りにパルをリリースした途端、母猫モナカ(右)が駆け寄って来た。

      2週間ぶりに再会する母と息子は、互いを舐めあって無事を確認した。

      パルを保護してしばらく、モナカはいつもは行かないところで目撃された。息子を探していたのかもしれない。

      母と子がこれほど長く絆を結ぶのは珍しい。

      でも私の作った現場には、そうやって寄り添って生きる親子が他にも何組かいる

メモパルの連載を始めたのは5月7日でした。

その時すでにパルはマルメロ通りに戻っていて、冒頭、私は「生還させてやれました合格と書きました。


しかし、私は膿胸を甘く見ていたのかもしれません叫び



5月17日、長期抗生剤の継続のため、パルを通院させました。


体重は4.08キロのままで、リリース時から1グラムも増えていませんでした。

そして、いったんは落ち着いた白血球数が2万を超えていました。


レントゲンを撮ると、膿は溜まっていないものの、粒状の白い影が胸に散在していて、K先生は重く見ました。


一度途絶えていた経口投与の抗生剤を処方してもらって、私はマルメロに走りました。

「あまり良くないですガーンと言うと、皆さんは「やっぱりえっと反応しました。


リリース後のパルは、幸楽さん、相葉さん、大野さんのお宅へ入ってきて、寝て過ごすことが多かったそうです。

皆さんを最も不安にさせていたのは、一度にごくわずかしか、フードを食べないことでした。

まだどこかに異常を抱えていて、食べられないのでは?と心配していました。


複数の目による毎日の観察は、検査の数値と同じくらい、敏感なセンサーだったのです。


私は、パルが我が家でよく食べた高栄養のフードを皆さんに配って、少量でも回数勝負で給餌してくださいと頼んで歩きました。

7日分の抗生剤を飲ませるのは、晶子さんが引き受けてくれました。

歯を食いしばって薬を拒否するパルが相手です。晶子さんの手は、たちまちひっかき傷だらけになりましたドンッ



             5日前に処方された抗生剤の効果を確かめるために通院したパル。

             この時も診察台では大人しかったが、初めてしゃんと体を起こして採血を受けた。

             目に力が戻っている。

             パル、多分これが最後の通院だよ。ひと月の間、キミはよく頑張った


5月21日。再び検査に連れて行きました。


「良しビックリマーク下がってる合格 パルの白血球数を調べていたK先生の声が、バックヤードに響きました。


抗生剤が奏功したのです。私は思わずガッツポーズしました。

体重は4.24キロでした。わずか5日で、160g増加していましたアップ


マルメロに走ると、皆さんからも嬉しい報告がありました。

「昨日あたりから何でも食べるようになったよ。足取りもしっかりしてきた。もう、大丈夫だと思うチョキと言われました。



「膿胸は、1ヶ月はかかる。 治らないこともある、命に関わる病気です。 sakki さん、良いですか?」


ちょうど1ヶ月前、K先生がそう言ったことを思い出しました。あの時即座に、私は「治療して下さい」と答えました。


パルは、K先生の言葉通りきっかり1ヶ月の闘病を経て、今度こそ生還を勝ち取ったのです。

もしかしたらこの1ヶ月は、極めて危うい綱渡りだったのかもしれません。 パルは幸運にも、細くて長い綱を、渡り切ったのです。


関わってくれたすべての皆さんに、感謝しましたクラッカー



          マルメロ通りのパル。

          ここで生まれ、ここで生きる間に、自分を信じ人間を信じる両面を身に付けた「地域猫」だ。

          パルを知れば知るほどに、その魅力の虜になる。

          地域の皆さんも、同じ気持ちに違いない



猫崎公園の行き帰りに、今も毎日マルメロに寄ります。すると、パルはどこからともなく私の前に姿を見せます。

鬼ババが来た、また病院に連れて行かれちゃたまらんべーっだ! と思っているでしょうに。 結構律儀で、可愛いヤツです。


このひと月、一緒によく頑張ったと思います。パルと私は、またもや戦友になってしまいましたにひひあせる



いつかパルが年を取って、マルメロ通りの誰かが、

私の家においで。もう、どこにも行かないで、ここにおいで」と、言ってくれる日を夢見ます。


老いたパルが、自らそれを望む日は、必ずや来るでしょう。 トミ黒と同じように。




それまでここで、元気にやるんだよ。困った時は、誰かの家に飛び込んで助けを求めなさい。

この通りの皆さんは、必ずキミを助けてくれる。キミを見ていてくれる。


ここは、キミのふるさとなのだから。



心の中で話しかけると、

パルは、人の気持ちを見通すようなあの目つきで、私を見つめ返してくれるのです。



                                              

                                        膿胸になった「飼い主のいない猫」   完








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