苦しいこともあるだろう。
云い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。
これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。
今どきの若者は全くしょうがない
年長者に対して礼儀を知らぬ
道で会っても挨拶もしない
いったい日本はどうなるのだ
などと言われたものだ
その若者が、こうして年を取ったまでだ。
だから
実年者は若者が何をしたか、などと言うな。
何ができるか
とその可能性を発見してやってくれ。
人は神ではない。
誤りをするというところに人間味がある。
中才は肩書によって現はれ
大才は肩書を邪魔にし
小才は肩書を汚す。
と、自分に言い聞かせる日々・・・
分かっているのに
まるでジャック・バウワーのように
「クソーッッ!!凸(▼▼メ」
と言ってばかりの日々・・・