20080201115102


今日から2月。

おばさんの葬儀も無事に終わり、そしてみなさまの心温まる思いで、それは悲しみにつつまれたものでしたが無事に送ることができました。

たかちゃんもみーちゃんも薬を飲まずに過ごせるようになり、低迷していた先月を振り払い、今月から心機一転、気分を変えてがんばろうと思います。

なんか、今月からとか今年からとか、気分を改めて何かを決意などあまりしなかったこの私。

昨年の12月から本当に沈没していたので2月になったのを機会に気分を変えたいと思います。

今日は家の中には陽がさしこみ、全く暖房がいらないくらいで、すごくいい気分です。
そして、おととい、枯れて腐りきってた玄関前の花壇やプランタをきれいにして少しだけ花を植えました。

私、風水とかそういうものは特に信じてはいないのですが、ずいぶん前にテレビか何かで、玄関前の花などを枯れたままにしたりすると家族の運気が下がると言っていたのを折りにふれて思い出します。

玄関前というのは家に帰ってきたときにまず目に入るところ。

仕事で疲れて帰ってきた旦那が、まずここで「家に帰ってきてよかったな」とほっとするところ。

外から子供を連れて帰ってきて、「あー、我が家だ」と自分がまずほっとするところ。

その場所に枯れた花が荒れ放題が置かれていたら、疲れも癒されず、悪い運気が家の中に入ってくるということでした。

確かに、家の前にきれいな花があるといい気分です。

そういうちょっとした気分が人の心に少しのゆとりを生むのだそうです。

そして、もう一つ思うのが、逆に、自分にゆとりがないと、花なんかにかまっている余裕もなく、すると花は正直で手をかけなければあっという間に枯れるということです。

つまり、花が枯れたというのは自分にゆとりのないサインなんですよね。

ひどいときは、その枯れ切った花をとりあえず捨てることすらせず、毎日、「あー、枯れてるなー。汚いなー。」と嫌な気分で毎日そこを通ります。

ここ2ヶ月の私がまさにそうでした。

もちろん枯れた花を見て、嫌な気分で家に入ります。
運気も下がるわけです。

でも、それ以上に、花に気を配ることができないぐらい自分にゆとりがないということは、家族に対してもゆとりがないということで、これでは家族健康に楽しく過ごせるわけがないと思うのです。

今までも、低迷しきってほんの少し上向きの兆しが見えたときにいつも花が枯れていることが我が家の運気を下げていることに気づきます。

花が枯れていることが我が家の運気を下げている=ゆとりのない自分が家族の健康をも危ぶみ、前向きに過ごすことを忘れさせている、私はそう思っています。

そう、午後になっても我が家のウッドデッキにはまだ陽がさしています。
我が家は12月中旬から1月下旬までの1ヶ月半ぐらいの間だけ午後1時15分頃からウッドデッキに陽がささなくなります。

私は1月下旬になってウッドデッキに午後も陽がさすのを楽しみにこの1ヶ月半を過ごしています。

今日はじめて、午後になっても陽がさしているのに気づきました。

我が家にも明るい陽がさしますように。

上の写真はますますやんちゃになってきたみーちゃんの動きが撮りきれない画像です(笑)。


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