たぶん夢のレプリカだから水滴のいっぱいついた刺草(いらくさ)を抱く

                                                 加藤治郎「マイ・ロマンサー」より

 「夢が叶う」「夢を追う」「夢の力」そんなイメージの歌を探してみた。でも、何故か、そう言う歌を見つけられなかった。恋の歌なら、夢をかなえたい的な歌は確にある。しかし、夢に向かってゆく、そう言う歌を見つけられなかった。
 夢落ちの短歌は、時々、いや結構見かける。なのに、夢に向かって進んでいるような歌は無いのかなぁ?
どちらかと言えば、夢を見るなんてこととは、無縁の世界観が短歌なのかしらん?そんな風に思ってしまうほど、短歌における夢は、儚すぎてむしろ悲しい。悲しいからこそ短歌たる所以なのか?
 他にも夢と言う文字の入った歌はある。しかし、眠っている時(妄想であっても)に見た夢の中の出来事が圧倒的に多い。この歌自体も夢に向かっていると言うよりは、その夢が現実ではない、レプリカであるからと言う、非常に屈折した構造になっている。それでも、この歌を選んでしまったのは、微かでも夢に対して前向きなものを感じたから。例えそれがレプリカであったとしても、どこか奥底で本物の存在を感じている気がする。夢現の境目を行き来するような感覚を刺激する為の水滴のいっぱいついた刺草。たぶんと言ってしまいながら、何処かで現実を求めているその可愛さみたいなものを感じた。単なる夢物語ではない切実さがこの一首には詰まっていると感じるのだが、それはあくまでも危うさの中でのみ成立する感情なのだ。明日を希求してやまない煮え滾る情熱ではない。そもそも、夢がレプリカだったらいくつでも作れてしまうではないか。いや、叶わない夢だからこそ、レプリカを作れてしまうのかも知れない。だから結果として危うさとしての微熱は感じても、マグマが爆発するような情熱は感じられない。
 う~ん・・・それが、短歌における「夢」の現実なのかなぁ?青臭くて照れくさくてバカじゃねぇのって思うけど、心をガシガシ掴んで離さない、そんな夢を追いかけているような一首は無いのかな・・・・・・この手で地球を、いや、宇宙を変えてやるよ!くらいに明日を目指す歌。その思想そのものがポエジーみたいな歌って無いのかなぁ~。
 どうしても、短歌ってマイナスイメージがないと秀歌と呼ばれない気がしていて・・・人の不幸は、何とかじゃないけれど、負の要素のある歌は人の心に何かを残してしまう。逆に、明るすぎる歌は、“あぁ、ソウネ“と通り過ぎてしまうことが多い。でも、でも、たまには明るすぎる歌があっても良いじゃないかな、とも思う。そんなわけで探してみだけれど、心にメガヒットする夢の歌を見つけられなかったのでした。
 あ、今の気持ちはこんな感じ。

 ゆめは夢を食らいつくしてうつつやみ兵どもの地平遥けき

(文法、合ってる?)