おっひっさっしぶりです!

あまりに暑い夏、もぅ何をするにも気力なく体力なく、溶けて溶けて、・・・トロトロ…

 

しかし生きなければ。旗

 

 

ということで、8月18日(日)の日経新聞(文化面)に掲載されていた、劇作家の別役実さんの随筆をご紹介。

 

 

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「台詞と科白」

 

(要約) 

 

「台詞」は言葉だけのものを言い、「科白」はそれに仕草が加わったものをいう。

使い分けるにあたり、演劇の言葉に対する独特の感じ方がある。

 

「煙草はせりふを割って吸え」という教訓がある。舞台で煙草を吸う場合の演技者への教訓。

意味は、「せりふの途中で、せりふを割って吸え、煙草を吸うには口にくわえる、火をつけるなど細かい動作が必要とされるがそれらをすべてせりふとせりふの間に配分しなければならない。

 

日常動作は、意識的にやろうとすると、かなり難しい。

だがこうして出来上がったセリフは手触りのあるものになっている。

「台詞」が「科白」になったのだ。

 

 

最近は、言葉は意味が記号化された「台詞」としてのみ流通し、「科白」としての質感を失っていった。

多くの劇作家は、人々の言葉をしゃべる速度が速くなったことに気づいている。

戯曲は、400字で1分だったのが、600字で1分になっている。

つまり言葉が消化されやすくなった、逆に言えば味わいが薄くなった。

 

全体的に言葉が軽くなり、出来事が上すべりしている感がある。」

 

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台詞と科白の意味の違い、初めて知りましたーそうだったのか、奥が深いなあ。

 

 

それから、現在の「言葉が軽くなっている」 確かにそんな気がします、うん。

 

 

水村美苗さんの名著、「日本語が亡びるとき」を思い出します。 

 

 

あと、週刊誌でどなたかが書いてらしてのが、「知識ではなく、思考力」ということ。

 

ネット環境では「雑多な知識」だけはやたらと増えるけど、それは「思考すること」にはつながらない。

 

日本語も日々崩れてきてますね・・・

 

戦前までの日本語の名文がなぜあんなに素晴らしいのか、っていうと、当時の日本人は漢文の素養が備わっていたから。という記事をどこかで読んだなあ。

 

そうそう、漢文かなり重要だそうです。

 

今は「知識」があればOK、というような面もあるけど、結局は「思考する」ことができなければ。っていう意味のことで、なぜか耳が痛い(笑)

で、「思考力」を鍛えるには、本を読むことなんだそうな。乱読でも雑読でも。

 

 

よし、涼しくなったら(←ここで既に情けない (;^_^A) たくさん本を読もう! 

 

 

 

↑ 何でしょうこの目茶目茶な文章 暑さのせいだけじゃないな… ガクリ