中日→ロッテ 宇野 勝さん | プロ野球カードとサイン

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80年代〜90年代のOB選手を中心です。

珍プレーの元祖」 「ヘディング」と言えば・・・



中日 → ロッテ 宇野 勝 選手です!


1976年 千葉県にある銚子商業高校時代3年次に甲子園へ出場。


後に巨人へ入団する原 辰徳さんに、「一緒に東海大学へ行き、二遊間を組もう」と誘われたものの、資金面を考え、プロへの入団を志しました。


そして、ドラフト3位で中日ドラゴンズへ入団します。



1軍定着は1979年 122試合に出場し、2割6分 本塁打12本の活躍。


ここから、1992年まで長期に渡り、ドラゴンズのレギュラー選手として活躍します。


宇野さんといえば、有名なのが、「宇野ヘディング事件」


1981年8月26日VSジャイアンツ戦で、7回裏の守備


のちのロッテ 監督山本 功児選手が放った、ショート、レフト間のフライ。


目測を誤り、おでこでボールをヘディング!


ボールは、レフトフェンスまで転々と・・・。


エラー?で失点した投手 星野 仙一さんは、グラブを地面に叩きつけて悔しがりました。



このプレーを、フジテレビ系列で放送されていた、「プロ野球ニュース」で特集。


ナレーションをみの もんたさんが担当し、生まれた番組が「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」でした。


宇野さんは、珍プレーのパイオニアですね。


もちろん、プレーヤーとしても超一流。


1984年には、37ホームランを放ち、本塁打王を獲得(阪神 掛布選手と同本)


ベストナインは、3回 (1982年、84年、87年)


中日在籍時代に打った334本塁打は、球団史上最多記録です。



1992年 立浪 和義選手や種田 仁選手との定位置争いに敗れ、同オフに、千葉ロッテマリーンズへトレードに出されました。



1993年は59試合に出場、1994年は14試合。余り活躍することができず、戦力外通告を受けました。


当初は、星野 仙一の監督の復帰に伴い、中日ドラゴンズへの復帰が内定していたのですが、


その年は、国民的行事になった10.8決戦まで行き、翌年も高木 守道監督が指揮を執ることに。


行き場のなくなった宇野さんは、現役引退を決意。


その後は、解説者や古巣中日ドラゴンズのコーチとして活躍。落合政権を支えました。