中日→広島→中日 音 重鎮さん | プロ野球カードとサイン

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アメンバー限定記事は主に球場でサインを貰う(インパーソン)際に更新しています。

80年代〜90年代のOB選手を中心です。

 「 スーパー忍者キャッチ 」 といえば・・・



中日広島中日 音 重鎮 さん です!


石川県にある星陵高校から名古屋商科大学へ進学。


愛知大学リーグで通算99試合出場、打率.306、4本塁打、49打点を記録し、ベストナインも1度受賞しました。


卒業後は、新日鐵住金名古屋でプレーし、1987年。


ドラフト1位の立浪和義 選手と同タイミングで、ドラフト5位にて中日ドラゴンズに入団しました。


入団一年目から、リーグ優勝に控え選手として貢献し、西武との日本シリーズにもスタメンとして出場しました。


音さんの背番号40時代の代表プレーは、なんといっても「巨人 斎藤投手のノーヒットノーランを阻止」です。


1989年 vs巨人戦で、9回裏一死までノーヒットノーランに抑え込まれていた巨人の先発 斎藤雅樹から代打で右翼線にヒットを打ち、そこから大逆転のきっかけを演出しました。



1991年 長嶋 清幸 選手とのトレードで、山田 和利 選手と共に、広島東洋カープへ移籍します。


1994年 115試合に出場し、レギュラーを獲得。この年の一つのプレーが有名になります。


vs横浜ベイスターズ戦 広島市民球場の外野フェンスをよじ登って、佐伯 貴弘 選手のホームラン性の飛球を好捕!


この忍者キャッチの映像が松下電器の大画面カラーテレビ「プレイバック・ヨコヅナ」のテレビCMに使われ、繰り返し放映されました。


1995年には、初のゴールデングラブ賞を獲得。広島の中心選手として活躍。


そして、中日へ星野 仙一さんの監督復帰が決定した後、



1996年から、山田 和利 選手と共にドラゴンズへ復帰します。


移籍初年は86試合に出場。


巨人 槇原 投手の3連発は、バース・掛布・岡田 選手が有名ですが、平成の時代でも3連発はありました。


それが、音さんのホームランからスタートした、音・山崎・大豊 選手です。


内角低めの球を上手くさばき、ポールの内側へ運ぶ技術に長けていらっしゃいました。


その後、代打が多くなり、チームが11年ぶりに優勝した、1999年限りで現役引退をします。



引退後は、ドラゴンズでスコアラーやコーチなど任され、現在はスカウトに。四国を中心に、人材発掘に尽力されています。