続・王岳~鍵掛峠・・・富士山麓登山日記(10)Vol.2 | ラケットちゃんのつぶやき

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ブルセラコスチュームで、あちらこちらに出かけてます。
最近は、主に富士山麓の山に登ったときの、雄大な富士山と、自身の写真をつけてます。
ブルセラアイドルの夢を見ながら、日常の現実に対するいろんな思いを綴ります。





前ブログよりの続きです。




下りに入ってすこし進むと、第2グループに出会いました。
狭い登山道では、下りの人が道を譲ることがマナーになっています。登りの人のほうが体力の消耗が大きいからです。
ついでに藪にはいって富士山を撮影してました。





「こんにちは\(^O^)/」
「こんにちは(*^ー^)ノ」

ついでに、登山道の先を見たら、まだまだ第三グループの方々が、列をくんで続いています。
しかも、そこは、稜線屈指の、南側が切れ落ちた崖である、危険な岩場ではないか。







「お気をつけて!」

降りていったら、第4グループの方々にお会いしました。
ここでも、以前に山でお会いしたお姉さん方でした。
「記念にお写真とらしていただいていいですか」
「OKです」
目いっぱいの笑顔とポーズで、パシャ
「ありがとうございます」
「またお会いしたいでしゅ。お気をつけて。」





この危険な岩場が、実は、絶好の撮影場所なのでした。
ここには大きな岩稜があって、登山道はこれを南側に巻いているが、その一部が崩れかけて、切れ立った崖ですけど。
危険なのか、ある時期から、ロープがつけられたこともある。
前に来たときには、この大きな岩の上に上って、富士山を眺めながら昼のおにぎりをたべたこともありました。
もとろん絶景です。










セルフ撮影は、その斜面で。
とてもダイナミックな写真がとれます。
その後も、皆さんは、危険なところなので、私の居る岩の上など見上げることなく早々と通り過ぎていきます。
声をかけると危険なので、見守るだけにしていました。

この稜線は、南側が、富士山を中心とした絶景が続くところですが、同時に、ところどころ切れ落ちているため、滑らないように、また浮石などを踏まないように、細心の注意を要する箇所でもあります。
まあ、慣れた人にとっては、絶好のスリルを楽しめるところです。
地上よりも一足二足も紅葉が進んでいます。
鮮やかですねえ。





さて、この後も、小さなコルとピークを越えて、次なるポイントへ目指します。
この稜線上は、王岳から鬼ヶ岳を越えるまで、私の把握しているだけでも、7~8箇所の、絶景セルフ撮影ポイントがあります。
そこはみんな、そのすべてが、人の手が加えられていない、「天然」のポイントです。
気持ちのいい明るい尾根道です。
南側は、どこが切れたっているか分かりませんので、注意深く進みます。

実りの季節。
色づく季節。






木々一つ一つ、みんな違う、個性的な木々の自然林。
下界の紅葉の名所も、手軽に楽しめていいけど・・・
それでいて、ありのままの姿。
背伸びもなく、虚飾も泣く、誤魔化しもなく、お金もなく、プライドなんて、なおさらない。



こんな貴重なものはない。
そのすべてが、人の手が加えられていない、「天然」の紅葉なのだ。
この時この場所、この瞬間にしか巡り会えない、
やがて散ってしまうものの、この一年の実りをそれぞれに独自にアピールしている、まさに、山上のコンクールっていうか、祭典という感じです。



鮮やかな楓?



わたしも、こんな風に、実っていきたいなあ。



一人ひとりの人生、一切衆生の生滅の姿、一番総仕上げの季節なのだあ~

一番総仕上げの時、老後、臨終のとき・・・
これらの、山上の一切衆生のように、
恥ずかしくない、自分らしく、堂々と、凛々とありたい。
日蓮大聖人は、まず臨終のことを習ってから、ほかのことを習うべきであると指摘されている。
臨終、つまり死の意味をつかんでこそ、生きていることの真の価値が分かるのであろうとおもう。
ここの大自然の有様も、みんな、ありのまま、そのままのすがた、まさに、平等な、無垢の世界なのだ。
大自然の、ありのままの働き、これを成仏の姿というのだろうか。
つまり、これらも、すべて、本来仏の状態であって、南無妙法蓮華経の功能であり当体なのだ。
富士山をはじめとする、まわりの雄大な空間が、それを、これでもかこれでもかといわんばかりに、私を包みこんでいる。



前ブログより・・・
所詮釈尊も文殊も提婆も竜女も一つ種の妙法蓮華経の功能なれば本来成仏なり、
仍つて南無妙法蓮華経と唱え奉る時は十界同時に成仏するなり、
是を妙法蓮華経の提婆達多と云うなり、
十界三千竜女なれば無垢世界に非ずと云う事なし、
竜女が一身も本来成仏にして南無妙法蓮華経の当体なり・・・・・(御義口伝、日蓮大聖人御書全集)


所詮、釈尊も、文殊などの菩薩も、提婆達多や竜女たちも、皆、同じく妙法蓮華経という一つの種の働きをあらわす存在であるから、もともと仏なのである。
だから、南無妙法蓮華経と唱えるとき、十界の衆生が同時に成仏しているのである。
これを妙法蓮華経の提婆達多というのである。
また十界三千の竜女であるから、全世界・全宇宙すべては、平等に無垢世界である。
竜女の一身も、本来仏であって、南無妙法蓮華経の当体である。・・・・・(御義口伝、私風現代語訳)

南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経





着きました。
このテラスも、私の好きな場所です。
ここも、さきほどの場所と同じで、通過するのに予断を許さない登山道からは死角になっています。
つまり、穴場。
ここで昼食です。
以前も、ここで昼食をとり、横になって一眠りしました。
ぽかぽかと、秋の陽気です。
横の岩の上からの眺めも最高です。




いつもの悪霊退散キックです。




すこし横になってみようかなあ。









ゆっくり休んだ後、また出発です。
鍵掛のピークの手前に2箇所ほど、好きな場所があるんです。

いくつかの小さなピークをこえて、着きました。



切れ立った南側の自然林が僅かに途絶えていて、その先に、僅かなテラス様の場所。
もちろん、その先は切れ立った崖ですけど、崩れないことを、ストックや足で確認しながら降りてみました。





だんだん日が傾いてきてますけど、お構いなしに、セルフ撮影です。


次のポイントは、鍵掛のピークの手前のコルです。
この大きな岩の手前からの富士山です。





さて、次は、峠までの、最後のひと登りです。

鍵掛のピークです。



前に来たときは、この木に鍵掛と書かれた札がありましたが、今はなくなっていました。

その後、下ること10分ぐらいで、鶯宿(芦川町)からの道が合流して、少し登れば、鍵掛峠の広場に来ました。



もう、夕日が傾いています。

富士山が、きれいです。



色づいた木々もきれいです。











さて、これからは、安全に下山するだけが目的です。
まあ、途中で暗くなることが確実ですから、ヘッドライトの確認をしました。
少し登って、根場への標識を確認し、右へ折れると、九十九折れを続けながら降りていきます。
自然林の合間から、夕日に輝く富士山がチラチラみえます。
ここも紅葉が美しい、尾根道です。



しかし登山道には、やたらと倒れた木がふさいでいます。



崩れかけたところもあります。



靴跡の幅しかありません。
ほとんど切れ立った斜面で、要注意です。





木々の間から、富士山がチラチラみえます。







でも、鮮やかな紅葉に出会うたびに、立ち止まってシャッターを切っているうち、尾根道から斜面に折れて下るポイントあたりで、見えなくなり、ヘッドライトをつけました。
落ち葉でかくれた細い登山道ですが、真っ暗の中、ライトを照らしながら九十九折れをスムーズに下っていきます。
明るくても迷いを誘う重要なポイントである、沢の水場への分枝あたりには、以前とはちがって、ロープが張られていました。
また、九十九折れの道が、一本の大木で2箇所ふさがれているポイントでは、最初はこの大木を登ってまたいで通過し、曲がって折れて再び出会った次は、ザックをこすりながら大木の下をくぐって通過していましたが、今回は、新たな道が、ロープによって誘導されて、楽に通過できました。


さて、峠から降り始めて1時間ほど、無事に、林道に出ました。
一休みしていると、寒くなって、風も強くなってきたので、ダウンのコートを羽織り、ゆっくりと根場へ林道を降りていきました。
やがて、人里の明かりが見えてきて、両手に持つストックの鈴をはずしました。
西湖いやしの里根場を左に、薬明大神の社を右に見ながら、根場民宿村に着きました。


疲れた~
でも、かつてない、有難い、大自然や人々との出会いの連続でした。
この快感!
O(≧∇≦)O イエイ!!