雪頭ヶ岳~鬼ヶ岳 富士山麓トレッキング日記(20-2)・・・命の尊さ | ラケットちゃんのつぶやき

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ブルセラコスチュームで、あちらこちらに出かけてます。
最近は、主に富士山麓の山に登ったときの、雄大な富士山と、自身の写真をつけてます。
ブルセラアイドルの夢を見ながら、日常の現実に対するいろんな思いを綴ります。

雪頭ヶ岳~鬼ヶ岳 富士山麓トレッキング日記(20-2)・・・命の尊さ

 

 

前記事から続きます。

8時5分、雪頭ヶ岳山頂を出発。

標識の右横の登山道をくぐり抜け、小さなコルを通過、次の岩場を、ロープも頼りに登って、
9時5分第一のピーク(高度計1720m)へ到着。

空は、やや霞んできた富士山や十二ヶ岳、王岳・南アルプスです。

 


 

ここから先は、急降下の、険しい道。
滑落しないように、足場を選んで降りていきます。
以前はありませんでしたが、最近は、ここにもトラロープが設置されています。

 

 

これを降りて、第二のコルを通過し、少し登ると、大きな岩場のピークまでアルミの梯子が掛けられています。

 

 

見事に、こんな岩場まで、こんな大きな梯子をもってきたなあ。

登ってみると、少しもグラグラしません。立派な梯子です。


9時20分、第二のピークです。
険しい岩場です。

この北側をトランスバースすると、北側には、鬼ヶ岳です。

 


鬼の角岩(鬼の角の形をした岩)が見えます。

山頂に続く道は、崩れそうな痩せ尾根で、両側は、切り立った崖。
左側は自然林がありますが、右側は全くなし。
右側は、下2~300mぐらいでしょうか。
滑落したら、一間の終わりです。
ロープが設置されてます。

 

 

9時25分、鬼ヶ岳山頂に到着です。

山頂の、大岩に登ってみました。

360度のパノラマです。

 

 

いつものセルフ撮影です。

 

 

鬼の角岩と富士山が同時に写るアングルです。

 

 

大岩に上って立ってばんざ~い

 

 

 

10時過ぎてから、かなり霞んできます。

 

 

鬼の角岩です。

いつもの通り、もたれたり、抱っこしたり、上ってみたり。

 

 

他の登山グループから、カメラ要請でした。
バンザ~イ

 

 

つつじの木をバックに・・・

富士山は、私の顔の近くです。

 

 

再び大岩に、上ってみました。

すこしずつ仰向けにもたれようとしたら、心が少し弛んでいたのか、一気に背中が倒れて・・・
イタあ・・・

まるで、大岩にアルゼンチン・バックブリーカーを、かけられた感じ。

バランスが崩れて落ちそうになって、しばらくこの態勢で動けず・・・

ようやく左足で支え直して・・・

少しずつ体を起こして、なんとか落ちずにすみました。

危なかったけど、しっかり、カメラは、回っていましたねえ・・・。

また、快感となりました。

 

 

また、一人、登ってきました。

こんにちわ~

 

富士山とともに、大岩に座っています。

 

 

ばんざ~い

 

 

また、少し気が弛んで・・・、ああ・・・

 

 

 

頭上に雲が出てきています。

もう、降りよう。

 

11時10分、鬼ヶ岳を出発。
もと来た道をたどり、11時30分、雪頭ヶ岳山頂に到着。

 

 

まだ、昼前なのに、しっかり、曇っています。

しかし、写真はとれました。

少し後ろの、低い桜の木も、まだ芽が出ていません。

前の冬は、雪に埋まっていたけれど、今年も、そのうち、咲くのだろうなあ。

 

 

朝は晴れていたのに、もう曇ってきたのか。
天気予報は、一日晴れマークがついていたのに・・・。
まあ、下界は晴れているかもしれない。
スマホで下界の富士山ライブカメラをチェックしたら、やっぱり、どこからも曇っていた。


これは、もう降りなさいという兆候なのでしょう。

ええい!

いつもの悪霊退治散キックです。

 

 

 お昼ごはんを食べながら、待っていても、変わりなし。
グズグズしてたら、ガスってきて、視界が悪くなるばかりか、雨が降ってくる。
そうなると、雨具を着たり、ザックにシートをかぶせたりで煩わしいばかりか、滑落しやすくなる。

 

 まあ、今回は、十分、富士山と対話できたし、早めに降りよう。
そう思いながらも、とても眠たくなってきて、シートを敷いて、ひと眠り。
まだ十分に時間がある。
深夜1時過ぎから起きていたので、仕方がないか・・・


ちょっと、眠りすぎたなあ・・・

 

 

14時35分、雪頭ヶ岳山頂を出発。

ヤバい。

少し、ガスってきました。

 

 

松の木です。
草原地帯は、この辺りまでです。
曇っていなければ、後ろに富士山が見えるところです。

 

 

いつもの、危険な岩場の手前付近です。

晴れていれば、壮大な富士山が見えるところですが・・・

 

 

ブナ原生林の標識です。
この後も、南西方向に続く尾根を降ります。

 

 

鈴蘭の花でしょうか。

 

 

 

15時30分、尾根の終端です。

小さな、花が咲いています。

 

 

 ここで、少し休憩しました。
そのあと、また眠たくなって、シートを敷いて、ひと眠りしました。
45分も、眠っていました。

 

16時20分、
ここを、直角に左(南東)に折れて、斜面を下ります。

 

16時50分いつもの、標識です。

 

 

17時5分、登山口の、東入川堰堤広場に着きました。

 

 

ここでも、ちょっと休憩し、さらに林道を、下ります。

17時25分、登山道入り口に、無事、着きました。

 

 

 18時10分ごろ、根場民宿バス停から、富士急バスに乗って、文化洞トンネル入り口まで行き、そこから、西湖湖畔の道路を南に歩いて、西湖南湖畔の宿:ホテル サンレイクに着きました。
 ここは、コテージ風の宿で、喫茶店もあります。
おおいなる、贅沢ですねえ。

 

 ゆっくり、一泊して、翌朝、湖畔散策です。

空は曇り。

前日に登って、当たりだったなああ!

南側は、足和田山で、富士山は見えませんが、よく登っている十二ヶ岳が見えます。

 

 

昨日登った雪頭ヶ岳です。

 

 

王岳です

 

綺麗な桜です。

 

 

綺麗な花たちです。

 

 

今回の山行も、とっても楽しい思い出となりました。

 

 深夜に、ライトをつけて出発し、日の出を山頂で迎え、午前中は、一刻千金の瞬間でした。
そのあと、次第に曇ってきたとは言うものの、山の天気は、変わりやすいもの。
途中でガスってきたけど、途中で昼寝もして、無事に降りてこられたのは、大成功でした。
諸天もよく護ってくれました。


感謝です。
いっぱいいっぱい感謝です。

 

 

さて、
  「生きる」ことそのものを超える宝はありません。
  「生きて生き抜く」ことが、真実の幸せであり、真の仏法の目的です。
「健康長寿」のために、仏法は説かれたのです。
その一つ、可延定業書を思い出しました。
長期間、病気と戦ってきた富木尼御前に対し、南無妙法蓮華経への強盛なる信心で、必ず宿命転換できることを教え、励まされた御手紙です。

 

可延定業書 弘安二年 五十八歳御作 与富木常忍妻
夫れ病に二あり一には軽病二には重病・
重病すら善医に値うて急に対治すれば命猶存す何に況や軽病をや、・・・(中略)
命と申す物は一身第一の珍宝なり
一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり、
法華経の一代の聖教に超過して いみじきと申すは寿量品のゆへぞかし、・・・(中略)
早く心ざしの財をかさねていそぎいそぎ御対治あるべし、・・・(中略)
くれぐれもいうが、身の財さえも惜しむならば、この病気を治すことはむずかしい
一日の命は三千世界の財よりも勝れている。
まずお志を示されるがよい。
法華経の第七の巻に三千大千世界の財を供養するよりも、手の指一つを焼いて仏・法華経に供養しなさい、と説かれているのはこのことである。
命は三千世界よりも尊いものである。
しかも、尼御前は年もまだそれほどとっているわけではない、
しかも法華経にあわれたのである。
一日生きておられれば、それだけ功徳も積めるのである。
ああ惜しい命である。惜しい命である。
ご姓名ならびにお年を自分で書いてとくに遣わしなさい。
日蓮から大日月天に申し上げよう。
伊予殿も、非常に心配しているから、日月天に自我偈を読んで御祈念するであろう。恐恐。
  日蓮花押
尼ごぜん御返事・・・・・(日蓮大聖人御書全集、可延定業書)

 

 

そもそも病には二つあります。一には軽病、二には重病です。
重病でも善い医者にかかり、早く治療すれば命を永らえることができます。まして軽病はいうまでもありません。・・・(中略)
命というものは人間第一の珍宝です。
一日でも寿命を延ばすならば千万両の金にも優れています。
法華経が釈尊一代の聖教のなかでも、ぬきんでて勝れているというのは寿量品のゆえなのです。・・・(中略)
早く心ざしの財を積み重ねて急ぎ絶え間なく病気を対冶してください。・・・(中略)
くれぐれもいいますが、身の財さえも惜しむならば、この病気を治すことは困難です。
一日の命は三千世界(全宇宙)の財宝よりも勝れています。
まず、お志を示されるとよいでしょう。
法華経の第七の巻に、三千大千世界(全宇宙)の財を供養するよりも、自分の手の指一つを焼いて仏・法華経に供養しなさい、と説かれているのはこの意味なのです。
命は三千世界よりも尊いものです。
しかも、尼御前は年もまだそれほどとっているわけではありません。
しかも法華経にあわれたのです。
一日生きておられれば、それだけ功徳も積めるのです。
ああ惜しい命です。惜しい命です。
ご姓名ならびにお年を自分で書いて、どうかお手紙をください。
日蓮から大日月天に申し上げます。
伊予殿も、非常に心配していますから、日月天に自我偈を読んで御祈念するでしょう。恐恐。
  日蓮花押
尼ごぜん御返事 ・・・・・(私風現代語訳)

 

 

 

 

 仏典には「善をなすのを急げ」「善をなすのに、のろのろしたら、心は悪事を楽しむ」というのもある。

 大聖人も「いそぎいそぎ御対冶あるべし」と、指南されています。
 一日の生命の尊さをかみしめたら、それを妨げるような、治療を躊躇する理由は、ないでしょう。
 面倒だからといって、治療を受けるタイミングを逃して、後悔してもしかたがないでしょう。
 病気は「早く治療しなさい」と、大聖人も仰せです。
 仏法は、どこまでも道理です。

 

 仏典には「善をなすのを急げ」「善をなすのにのろのろしたら、心は悪事を楽しむ」とあります。
 「一日でも早く健康に!」そして「宿命転換のチャンスを逃がすな!」との深い御慈愛が、このお手紙に込められています。

 健康長寿、「生きて生きて生き抜く」ための法理を、説いているのが、日蓮大聖人の仏法なのです。