主人のこと、今の私の思いや記録として書き留めたくて、日記代わりに載せます。長文になるので、お時間ない方はスルーしてください
主人にとってのpowerの源、自分の居場所…自分が所長として仕切ってきた(いる)現場。
工期はまだまだ数年先。
工事の規模が規模だけに、やり甲斐も溢れてます。…溢れてました…かな
今のところ治療最優先で、現場を空けること、支店の上層部からは何も言われない。
それより「大丈夫か?」「現場のことは気にするな!」など、温かい励ましの言葉ばかりかけていただいてます。
実際問題、同じ現場の方々には多大な迷惑をおかけしてますが.....。
本人もそれはそれは申し訳なさの気持ちでいっぱいだし、とにかく迷惑かけることは最小限に押さえたい気持ち。
今のところ、主人の代わりに所長としてどなたかが赴任してくる話も無く、社内的にはまだ主人が現場代理人の職のまま…?
公共工事なので、役所側には、次席の方を現場代理人で申請したとか。
2回目の抗がん剤治療、3日間の投与期間と経過観察も含めて5日…つまり1週間程現場不在でやっていけると考えていたのに、結果的に12日間の入院生活。
投与後の血液検査の結果が悪く、転移してる肝臓が……………って思い知らされました。
そんな状況ですが、副作用は食欲不振と倦怠感ぐらい…?
いや、白血球の値が低かったこともあり発熱が続き、当初の予定での(抗がん剤)治療は数日延期になりました。
抗がん剤と一緒に吐き気止めの点滴もしてるので、ありがたいことに嘔吐はありません。(全ての人にこれが当てはまるわけではなく、たまたま主人に嘔吐は無かった…だけかもしれません。)
倦怠感は、「元気な頃の6割~7割の元気さ」というぐらいで、現場からのmailには比較的即座に対応してました。
今回の入院は、高知(現場)からパソコンを送ってもらい、会議資料なども作りました。
( ; ゜Д゜)
本人が一番参ったのは、とにかく食欲不振が酷く、病院食は1割食べられたらいい?…ほぼそのまま返品。
白米や味噌汁、とにかく温かい物の匂いさえダメな状態。
つわりの酷い感じ…?
そのときそのときで食べたいモノ、食べられそうなモノが違うので、私が何か作っていくこともままならず、大学病院内の売店やLAWSON、時に外まで出てSeven-Eleven…などに買い出しへ。
、、、、、ってこんなことをツラツラと打ってたら(書いてたら)、辛そうな体調に思えますよね?
まぁ、正直、副作用の出始めから数日は、確かに辛そうなんですが、でも若いから?体力があるから?
髪の毛が抜けて帽子を被ってる姿以外は、元気にみえるんです。
その帽子も、長女selectでお洒落な物をネットで購入。
どんどん抜けていく髪の毛をバッサリ切る為に、病院内の美容室に行った時、そこで買った帽子は、予備に降格しました
常に前向きだった主人ですが、脱毛に関しては、正直へこんでました。
最初の抗がん剤投与から数日、抜ける気配は全くなく、「俺は抜けないのかも」って、退院後、喜んで仕事へ。
ところが、仕事に戻った2日目あたりから、信じられない量が抜けていく。
毎日「今日はこんな感じ」と自撮りの画像をLINEで送ってきてましたが、2回目の入院を次の日に控えた日、突然の激痛で仕事も無理になり、自力で岡山に帰ってくることも無理な痛み。
高知まで迎えに行き、痛みで眠れなかった憔悴ぶり、髪がかなり抜け落ちた主人の姿を見た時は、私は泣くのを我慢することで精一杯でした。
外来で急遽診ていただき、次の日から予定通り入院。
2回目の入院、長引きましたが、今は副作用も落ち着き、痛みも薬でコントロール出来て、ここ数日は元気です(*^^*)
水曜日の外来で、担当医に「本当にお元気ですね。」と言われたぐらい。
日曜日に退院し、月曜日は自宅から最寄りの病院へ外来。
※痛みなど急変した時、bedの空き状況などで岡大病院で対応出来ないことがある。そんな時の為に、入院施設のある、自宅から近い病院を決めておいてください。…と言われました。
で、担当医がアルバイトに行かれてたこともあり、現在も岡大からdoctorが行かれてる…という関係性の病院に決めました。
外来で顔合わせをさせていただきましたが、その病院の先生も、凄く感じの良いdoctorです。
火曜日は早速高知(仕事)に戻りました。
水曜日が岡大の外来で、血液検査・超音波検査…決まっていたのに、「仕事!」って
!Σ(×_×;)!
で、今日木曜日…………またまた高知に行っちゃいました。
2回目の入院で、痛み止めの薬は、増えたし・何種類か変わりました。
ロキソニンやカロナールなどといった痛み止めとは別に、医療用麻薬(頓服薬)も.......。
麻薬は断固拒否してましたが、今の医療現場では、癌以外にも当たり前のように使われている説明を何度も受けました。
誤解もあり、じゅうぶん納得した上で服用開始。
これがかなりいい仕事してくれてます。
激痛では無いにしろ、常に3割~4割の痛みがあったのが、今は0か1
薬に助けられ、今まで送ってきた生活レベルに戻すことが出来てます。
そして、現場で仕事をすること。
これが、主人にとって、最大の幸せと充実感みたい
今日は、三人それぞれ電車の時間が違って、最寄り駅まで車で送ること3往復(笑)
お弁当も3つ(*^^*)
次女の朝練で、私も4時半から起きて、朝食造りにお弁当作り
眠いし大変なんだけど、でも、とにかく嬉しいし幸せだし、楽しくて、、、
まだまだ先のことは分からないし、不安もいっぱいですが、でも、今はとにかく、「今を楽しもう」って、最近やっと思えるようになってきました。
実は、癌告知から約2ヶ月…私が泣かなかった日は、今日が初めて
一時期は、自分の感情をコントロール出来なくて、意思とは無関係にポロポロ涙が溢れてくる。
主人や子どもがいると【我慢・耐える】といったswitchが入るのに、一人になる午前中がダメでした。
家事をこなしながら涙が止まらない…クッキーがいつも心配そうに見てました。
主人の癌、以前にもblogで載せましたが、かなり珍しい癌(神経内分泌腫瘍)です。
大学病院の先生でも、今までに、10人ぐらいしか診たことがないと…。
【病は気から】
なんて、簡単にいかないことも覚悟の上で、前しか…それも光しか見てない主人のこと、私はどこまで支えられてるか分からないけど、今はふんばり時だと思ってます。
今日も、夕食を終えた主人から「お腹いっぱい」とLINEがきた時、スマホの左上に出てくる文章は「お腹い」までしか表示されない。
「お腹いたい」
と勘違いした私、一瞬で緊張が走りました。
そんな出来事を、主人は「神経質過ぎる(笑)」と呆れてて、長女は「早とちり過ぎ」と苦笑い
次女に関しては「いたいなら痛いとパパは打つ!平仮名は打たない!」と冷静な言葉。
これからも、時々…本当に時々?ですが、主人のことも、あくまで応援の意味でblogに綴りたいと思います。
長女の起立性調節障害をきっかけに、細々と続けてきたblogですが、長女自身は、多少ODの体調が残ってる感じてすが、毎日笑顔で登校し、学校が楽しくて楽しくて仕方なく、「きっと高校も全日制だったら、こんな感じだったのかな?」って、今日も笑顔で溢れてます。
家族四人で、今回の主人の病気とも、前向きにtryしていこうと思います
明日…もぅ今日ですね、、、
神頼みならぬ、ご先祖頼み
おじいちゃん・おばあちゃんのお墓参りに、久々行ってきます