結果的に、僅か5ヶ月の闘病となりましたが、やはり、入院病棟の看護師さんのお顔を見ると、何故か安心感がありました。
まだ、私が顔と名前も一致してないどころか、担当看護師さん達のお顔自体よく覚えてない頃………
一階の売店に買い物に降りていた私を、見かけたらしいある一人の看護師さん。
主人の病室に出向き
「下で奥さまをお見かけしたので、Fさん入室されたんだぁ~って分かりました」
って仰られたこともありました。。。
抗がん剤治療の継続が中止と決まった時、それまで一人で看ていた私のこと、師長さんをはじめ、何人もの看護師さん達が、本当に気遣ってくださいました。
「可哀想過ぎる」と、子ども達にはどうしても言えない・言いたくない与命(余命)のこと、最後まで子ども達のことだけ考え、守ろうとした主人。
それだけを理由に、親にも兄弟にも言うな………と固くなでした。
そこに話すことで、子ども達に知られることを、最も恐れてました。
さすがに、義両親や兄弟には会っておいてもらわなきゃと焦る私。
板挟みになってる状況の中、アドバイスをくださったり、、、
主人が息を引き取ったあと、泣きながら部屋に挨拶に来てくださった男性看護師Nさん。
臨終の時、病室では気丈にみえた、長女が「あの看護師さん大好き」と言っていたWさん……廊下に出られてた時は泣いてたよ………子ども達から聞きました。
抗がん剤治療は、基本通院治療となる場合が多い中、主人の場合は、色々なことがあってか、入院が比較的長かった為、本当にお世話になりました。
実は、まだ最後のお支払いがまだなのと、保険会社に提出する診断書の依頼も9月分が未提出。
なるぺく早めに、病院に出向き、改めて…お礼の挨拶に行ってこようと思ってます。
将来なりたい職業、看護師なんて言葉、口にしたこともない次女。
「看護師さんになりたい」
なれるかどうか、その気持ちが続くかどうかなんて今はわからないけど、お見舞いにくるたびに、近くで見た看護師さんに憧れの気持ちが強くなったんだよね。きっと。
それと、最期を見届けるまでに、号泣しながらパニックになった次女、何度も過呼吸になり、主人の様子を見にきてくださってた看護師Hさん、素早い対応をしてくださいました。
それが本当にありがたかったと。。。
保育士を目指してる長女、児童養護施設とか、24時間保育に就きたい思いがありましたが、病時保育にも興味が出てきたようです。
大好きだったパパを亡くしたことは、まだまだ心のリハビリが必要だけど、5ヶ月間に接した看護師さん達の姿、確かに大きな大きな存在だったと思います。
私も・・・・・