きっかけ
私が初めて高野山に行ったのは、写真を撮りに行こうと、友人ユージ氏にに誘われたからである。
私の生まれは、四国の田舎である。
ド田舎である。
なので、お遍路さんをしていた母やら親族やら友人などから、高野山の名前だけは知っていた。
八十八カ所を廻ったあと、締めに行く場所、その程度の認識でしかなかった。
八十九カ所目のお寺さん、か?
山の中にでかい立派な寺があるんだろう、、か?
初めて高野山を訪れた時、南海電車の中で、寝不足で、しかもひどい二日酔いの頭でそんなこと考えていたのを今でも覚えている。
何回電車の橋本駅から、高野下駅をすぎたあたりで、電車は、急勾配になる。
ひどい音をたてて車輪を軋らせながら上がっていく。
いつもなら、へろへろでくたくだでげろげろである。
しかし、なぜかだんだん頭が覚醒していき、気分が良くなった。
奥の院につくころには、ライフもHPも完全回復した。
気分が良い。非常に良い。
かなりの樹齢の木々が多数あるからか?、標高が高い(800mくらいらしい)から?、
奥の院の前で、.私は友人に尋ねた。
ここは弘法大師さんのお墓か?
繰り返すが、私たちは、写真を撮るために、ここに来たのである
神仏と無縁な彼の言葉に、私は、少なからずの衝撃を受けた。
私の生まれは、四国の田舎である。
ド田舎である。
なので、お遍路さんをしていた母やら親族やら友人などから、高野山の名前だけは知っていた。
八十八カ所を廻ったあと、締めに行く場所、その程度の認識でしかなかった。
八十九カ所目のお寺さん、か?
山の中にでかい立派な寺があるんだろう、、か?
初めて高野山を訪れた時、南海電車の中で、寝不足で、しかもひどい二日酔いの頭でそんなこと考えていたのを今でも覚えている。
何回電車の橋本駅から、高野下駅をすぎたあたりで、電車は、急勾配になる。
ひどい音をたてて車輪を軋らせながら上がっていく。
いつもなら、へろへろでくたくだでげろげろである。
しかし、なぜかだんだん頭が覚醒していき、気分が良くなった。
奥の院につくころには、ライフもHPも完全回復した。
気分が良い。非常に良い。
かなりの樹齢の木々が多数あるからか?、標高が高い(800mくらいらしい)から?、
奥の院の前で、.私は友人に尋ねた。
ここは弘法大師さんのお墓か?
違う。と友人は真顔で言った。いつものややニヤけている顔を引き締め、続けて言った。
「弘法大師様は、今もここに住んでおられる」
繰り返すが、私たちは、写真を撮るために、ここに来たのである
神仏と無縁な彼の言葉に、私は、少なからずの衝撃を受けた。